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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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田中 浩康
67
名前
たなか ひろやす
生年月日
1982年5月24日
経歴
尽誠学園高−早稲田大−ヤクルト(04年D自由枠)−横浜DeNA
入団年
17年にヤクルトから移籍
在籍年
17年−18年
背番号
17年−18年[67]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
甲子園出場
:
京都で生を受けたが小学2年時に千葉に引っ越して、そこで野球を始める。小学校1年時から空手も始めており中学まで続けて全国大会での入賞も果たしている。中学2年の時に京都に戻ってボーイズリーグの奈良スターズに入り、のちに多くの選手がプロ入りするレベルの高いリーグで腕を磨いた。尽誠学園では1年夏、2年夏に甲子園へ出場、1年秋にはショートへコンバートされたが秋季大会でエラーを犯した事もあって、監督に「ショートは向いていないと思います」と伝えてセカンド専任となった。
:
早慶戦で満塁ホームラン
:
早稲田大に進学すると1年春からレギュラーを掴んで開幕戦に1番セカンドで出場したが4三振、全12試合に出場したが打率.152と苦しんだ。だが1年秋には打率.269と大幅に数字を伸ばして早慶戦では長田から本塁打も放って見せた。2年時には早稲田史上最強と言われた和田、青木、鳥谷らと共に春秋連覇を達成、2年秋の早慶戦の2回戦では早慶戦史上4本目の満塁ホームランを記録、大差がついたことで試合出場を果たした4年生の先輩たちからは「ありがとう」と礼を言われた。
:
4連覇
:
3年春に打率.373、3年秋には打率.366を記録して早稲田史上初の4連覇に大きく貢献、3年秋には部史上初の10戦全勝優勝を達成して自身もベストナインに選出された。4年時には主将を任されたが偉大な先輩たちが卒業したこともあって5連覇を逃すと、4年秋には開幕戦で左手首に死球を受けて骨折、すでにヤクルトから自由獲得枠での指名を伝えられていたが、強行出場を続けて史上24人目の100安打を達成した。だが勝ち点を取ったほうが優勝となる早慶戦では連敗して退任する野村監督の有終を飾ることができなかった。大学1年春から4年春まで全試合フルイニング出場を記録、通算102安打、打率.277。自由獲得枠でヤクルトに入団。
:
チャンス掴む
:
ルーキーイヤーは開幕一軍にこそ残ったが1打席で登録抹消、5月上旬に復帰すると5月4日の中日戦では途中出場で2打数2安打を記録したが再び登録抹消になるなど同年はわずか6試合で4打数2安打とほとんどチャンスを貰えなった。翌06年は7月に宮本 慎也の故障で回ってきたショートスタメンのチャンスをものにしてヒットを量産すると、宮本が復帰する直前に2試合連続ホームランを放ってアピール、すると宮本と入れ替わるようにラロッカが負傷離脱したためセカンドが空いて引き続いてスタメン出場継続となった。夏場までは3割前後の高打率を記録して一時は5番も任されたがラスト一か月で大幅に数字を落として打率.266(214打数57安打 )に留まった。
:
レギュラー1年目でベストナイン
:
07年は開幕からスタメンを任されながら4月29日終了時点で打率.130と期待に応えられない日々が続いていたが、交流戦で打率.373、出塁率.447、送りバントも15個というチームトップの成績を残して一気に数字を上げると、夏場に入っても好調を持続させて完全にスタメンの座を掴んだ。同年は132試合に出場して打率.295、リーグトップの51犠打と早稲田の先輩である青木に続く2番打者として申し分のない活躍を見せた。また8月25日の横浜戦では同点で迎えた9回裏に一死満塁で打席に入って那須野からサヨナラヒットを記録するなど勝負強いバッティングも見せて51打点を記録、球団史上29年ぶりとなるセカンドでのベストナインに選出された。
:
打率
:
08年は巨人との開幕3連戦で12打数8安打を記録すると、続く横浜戦の初戦でも3安打を放ってスコアボードには打率.733が表示された。その後もヒットを積み重ねて3・4月にはリーグトップの打率.382を記録したが、惜しくも月間MVPは逃した。5月終了時点でも首位打者争いに名前を連ねていたが、運動量の多いセカンドで全試合出場を続けた事もあってか徐々に数字を落として最終的には打率.290と3割を超えることはできなかった。また同年には全144試合に出場してわずか4エラーという安定した守備を見せた。
:
スクイズ空振りから珍記録
:
08年7月17日の阪神戦では0対0で迎えた9回表にダブルスチールなどで作った一死満塁のチャンスで田中が打席に入ると、高田監督がスクイズを選択したが久保田の投球がワンバウンドとなったため田中は空振りしてしまった。だが好スタートを切っていた三走の福地がホームに還ってホームスチール成功となった。また3人の走者がすべてスチール成功となったため21世紀初のトリプルスチールが記録された。さらに田中のピッチャーゴロで久保田がホームへ悪送球を投じると、レフト前ヒットで出塁した次打者のウイルソンが二盗を成功させて史上4度目でリーグ初となるイニング6盗塁が記録された。
:
CSで活躍
:
09年は開幕戦の第2打席から5打席連続ヒットを記録したが、続く打席から23打数連続ノーヒットを記録、4月下旬にも21打数連続ノーヒットを記録して打順が8番まで下がった。だが5月にはリーグトップの月間打率.377を記録して大幅に盛り返すと、その後も3割近い高打率を残していたがシーズン終盤に失速して打率.258に留まった。同年も130試合でエラー3と前年から引き続き堅実な守備を見せた。また初出場となったCSではファーストステージの初戦で逆転のきっかけとなるツーベースを放つなど13打数6安打(打率.462)と気を吐いた。
:
ベストナインならず
:
10年はキャリアハイとなる155安打を放って初の打率3割を記録(ラスト3試合を残した時点では打率.295だったが4打席連続ヒットを放って打率を.300に乗せると以後の打席は欠場し際どく大台達成)。またリーグ3位の67四球も選んで出塁率.385という素晴らしい成績を残したが、阪神の平野がリーグ2位の打率.350を残したため惜しくもベストナインは逃した。翌11年は6月14日の西武戦で9回裏に起死回生の同点タイムリーを放つと迎えた11回裏にサヨナラ犠牲フライを放ってお立ち台に上がるなどの活躍も見せたが打率.252と大幅に数字を落とした。
:
ベストナイン&ゴールデングラブ
:
12年は青木がアメリカに渡った事もあって1番を任されると開幕戦で3安打、翌日には2ランを放つなど活躍、4月10日の横浜戦では10回裏に山口からライトオーバーのサヨナラヒットも記録したが、その後は打率が2割そこそこという打撃不振に苦しんだ。だが6月中盤から本来の2番に仕事場が戻ると7月1日の阪神戦で逆転スリーランを放つなど復調、9月には月間打率.378を記録して逆転でのCS出場に大きく貢献した。またチームに故障者が続出する中で139試合に出場するなど早稲田時代から続く鉄人ぶり見せて自身2度目のベストナイン(荒木の42票に大差をつける206票)と球団史上初となるセカンドでのゴールデングラブに選出された。
:
1つのポジション
:
ベストナインとゴールデングラブに輝き名実ともにリーグを代表するセカンドとなった13年はキャプテンにも就任してオフには2年2億5000万円の契約を結ぶなど大きな期待を受けて迎えるシーズンとなった。だが開幕から打率1割台に低迷し31歳の誕生日である5月24日についに登録抹消、6月8日に再昇格を果たしたが田中に代わって一軍に昇格していた若手の山田 哲人が打率3割を超える好成績を残していたためスタメン復帰とはならなかった。そんな状況にも腐ることなく6月29日の巨人戦で7回に代打で決勝打、7月7日の中日戦でも10回表に代打で決勝タイムリー、久々のスタメンとなった7月15日の横浜戦では3安打を放つなど意地を見せたがチームが最下位に沈んでいたこともあって球宴明けも山田のスタメン起用が続いてチャンスは貰えなかった。
:
数少ないチャンスで
:
14年は山田が右打者最多安打記録を更新する193安打を放つなど打率.324で29本塁打という驚異的な成績を残して、MVP投票でも2位の344点を集めるなど一気にスーパースターへの階段を駆け上がったため田中はさらに厳しい立場へと追い込まれた。そんな中でも初スタメンとなった5月13日の巨人戦には3番サードで出場して2点タイムリーツーベース、同年初のセカンドでのスタメン出場となった7月12日横浜戦ではモスコーソからバックスクリーンにソロを運ぶなど数少ないチャンスを生かして前半戦は3割近い打率を残していたが、後半戦はすべて代打で17打数連続ノーヒットを記録するなど成績を落としてシーズンを終えた。
:
生き残りをかけて
:
14年オフに真中監督から打診されて外野手にも挑戦、すると15年シーズンの開幕直後にバレンティンが故障したためライトでスタメン出場、4月3日の横浜戦で3安打を放つと、翌日には山口から頭部死球を受けて病院直行となったが、中2日でスタメンに復帰して4月8日の中日戦では10回裏に浅尾からサヨナラタイムリーを放って見せた。お立ち台に上がった田中は「またここに立てるとは…」と感慨に浸って大歓声を浴びた。だがシーズンを通した活躍はできず自身初のトリプルスリーを達成した山田からのスタメン奪還は絶望的になってしまった。
:
戦力外
:
もう後がない状況で迎えた16年シーズンはスタメン出場はファーストでの2試合のみで代打でも結果を残せず7月23日に登録抹消となった。イースタンリーグでは打率.336を記録したが再昇格は果たせず、球団からは現役引退と2軍打撃コーチ就任を打診されたが、田中は現役続行を望んで戦力外通告を受けた。11月14日に横浜DeNAへの入団が発表された。
:
お立ち台、誕生日、お立ち台
:
古巣神宮球場への凱旋となった開幕戦に4年ぶりの開幕戦スタメンとなる6番セカンドで出場、2回表の第1打席でヤクルトファンからも大きな声援が上がる中でレフトフェンスを直撃するシングルヒットを放って健在ぶりを見せた。主に左投手が先発の際のセカンドスタメンとして起用されると4月7日の中日戦で三塁打と二塁打を放つなど活躍、5月23日中日戦では同点で迎えた6回裏一死三塁でレフト前タイムリーを放って、お立ち台で「はじめまして田中です。横浜で頑張りたいと思います!」とファンの声援に応えた。翌日の誕生日にチームメイトからケーキを送られると、翌25日の中日戦で3打席連続打点を記録して再びお立ち台に上がり「友達がいっぱいできてよかった」と照れながら語った。
:
打点量産
:
6月9日の西武戦では防御率リーグトップの菊池から先制ツーラン、14日のロッテ戦でも先制タイムリーと打率は2割そこそこながら勝負強い打撃で貴重な打点を量産、7月8日中日戦で3回表に通算999安打目の先制タイムリーを放つと、6回表には1000安打目のタイムリーを放って大台に到達した。ベテランにもかかわらずヘッドスライディングなどの泥臭いプレーも見せるなどチームの勝利に貢献し、8月18日の巨人戦では史上6人目の300犠打も達成、若手の柴田にスタメンを奪われたシーズン終盤には19打数連続ノーヒットを記録するなど打率を落としたが数字以上の活躍を残した。また早大時代の1年先輩である阪神の鳥谷が2000安打を達成した際には花束を手渡して「ハグとかいらないですよね?」とおどけて尋ね、鳥谷は「いらねえなぁ」と答えた。
:
現役引退
:
18年は2軍生活が続いたが「球団の将来のために」と2軍の全選手と会話して経験を伝えた。5月4日に昇格を果たすとラミレス監督からチームメートにアドバイスしてほしいと要請されてダッグアウト・キャプテンに指名された。昇格当日の巨人戦で代走からの初打席で内野安打を放つと、16日の阪神戦ではスタメン起用でタイムリーを含む2安打、25日のヤクルト戦でもタイムリーを放つなど活躍を見せたが、27日から18打数連続ノーヒットを記録して大幅に数字を落とし、シーズン中盤からは本塁打王を獲得するソトがセカンドスタメンで柴田が守備固めというパターンが固まったこともあって出番が回ってこず同年限りでの引退を決断した。田中は「ベイスターズでは夢の続きを見させてもらいました。新鮮な気持ちで、若い選手たちと過ごした日々をエンジョイできました。また筒香キャプテンを中心に、チームが温かく迎え入れてくれたことは忘れることができません」とコメントした。
:
引退セレモニー
:
シーズン終了後の引退決断だったため引退試合は行われなかったが、ファンフェスティバルに前年に引き続いてお笑い芸人のブルゾンちえみに扮した女装で登場すると、イベントの最後に引退セレモニーが行われて「DeNAベイスターズでの2年間は夢の続きでした」とスピーチした。引退後は早稲田大学のコーチを経て、20年からベイスターズのコーチに就任した。
初記録
初出場
2005年4月6日中日戦:代走
初安打
2005年5月4日中日戦:朝倉から
初本塁打
2006年8月4日中日戦:佐藤充から
初打点
2006年6月11日ソフトバンク戦:神内から
初盗塁
2005年5月27日日本ハム戦:二盗
記録達成日
1000試合
2013年9月29日横浜戦
1000安打
2017年7月8日中日戦:小笠原から
200犠打
2011年65月17日日本ハム戦
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
ベストナイン
●
●
2回
ゴールデングラブ
●
1回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
05
ヤクルト
6
4
0
2
1
0
0
3
0
1
0
0
0
0
0
1
0
0
.500
06
ヤクルト
75
214
23
57
12
0
5
84
22
1
1
12
2
19
1
47
11
10
.266
07
ヤクルト
132
451
58
133
23
8
5
187
51
8
1
51
3
33
5
51
14
8
.295
08
ヤクルト
144
510
61
148
19
1
5
184
50
4
7
34
4
45
11
72
8
4
.290
09
ヤクルト
130
434
48
112
24
2
4
152
35
6
2
38
4
34
4
50
10
3
.258
10
ヤクルト
140
516
64
155
16
2
4
187
54
4
4
45
3
67
6
48
15
9
.300
11
ヤクルト
142
511
57
129
13
2
1
149
40
2
3
62
3
40
3
63
9
7
.252
12
ヤクルト
139
486
48
133
16
1
2
157
40
1
1
40
4
54
9
60
15
4
.274
13
ヤクルト
97
227
22
51
7
0
0
58
14
1
1
6
1
17
1
32
6
6
.225
14
ヤクルト
77
102
9
25
2
1
3
38
10
0
0
1
0
8
0
15
4
2
.245
15
ヤクルト
82
134
13
27
3
1
1
35
11
3
0
4
0
11
2
18
4
0
.201
16
ヤクルト
31
32
2
6
2
0
0
8
1
0
0
0
0
4
1
3
0
1
.188
17
横浜
66
154
15
31
3
1
1
39
20
2
0
8
0
11
2
25
4
1
.201
18
横浜
31
48
3
9
1
0
0
10
3
0
0
1
0
2
1
7
3
0
.188
球団
2年
97
202
18
40
4
1
1
49
23
2
0
9
0
13
3
32
7
1
.198
通算
14年
1292
3823
423
1018
142
19
31
1291
351
33
20
302
24
345
46
492
103
55
.266
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
15
ヤクルト
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.000
17
横浜
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
2年
3
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.000
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
09
ヤクルト
3
13
1
6
1
0
0
7
1
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.462
11
ヤクルト
8
22
2
4
0
0
0
4
0
0
0
1
0
1
0
6
1
0
.182
12
ヤクルト
3
11
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
1
0
0
1
0
.000
15
ヤクルト
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
17
横浜
2
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
1
0
0
.000
通算
5年
17
48
3
10
1
0
0
11
1
0
0
3
0
2
0
9
2
0
.208
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
05
ヤクルト
64
248
42
71
20
4
3
108
31
5
5
4
26
36
5
14
.286
06
ヤクルト
31
125
28
44
12
0
4
68
22
3
3
3
16
11
3
5
.352
07
ヤクルト
2
5
1
2
1
0
1
6
1
0
0
0
1
1
0
0
.400
13
ヤクルト
11
34
7
8
0
1
1
13
3
0
0
1
6
1
2
0
.235
15
ヤクルト
5
16
2
6
0
0
0
6
0
0
0
0
0
0
1
0
.375
16
ヤクルト
51
134
16
45
6
0
2
57
19
0
0
1
21
14
7
1
.336
18
横浜
27
85
11
27
4
0
1
34
8
0
3
0
8
10
2
1
.318
通算
7年
191
647
107
203
43
5
12
292
84
8
11
9
78
73
20
21
.314