:1299番目:
96年のドラフト会議でにメッツから44巡目、MLB全体では実に1299番目という下位指名を受けて入団。メッツでは00年までプレーしたがAAへの昇格も果たせないまま、00年のオフにオリオールズからルール5ドラフトで指名を受けて移籍した。オリオールズではAAでまずまずの結果を残したがAAAへは昇格できないまま03年のオフに再びルール5ドラフトでデビルレイズに移籍した。
:MLB初登板:
デビルレイズでは移籍初年度にAAAで33試合に登板して防御率3.91というまずまずの成績を残す。すると翌年にはAAAで好成績を残してMLB初昇格。6月14日ブルワーズ戦で0対4とリードを許した8回表にマウンドに上がって2イニングを無失点に抑える好投でMLBデビューを飾ったが、試合はブルワーズの先発の大家が自身唯一の完封勝利を記録したためチームはそのまま敗れた。その後は8月10日のオリオールズ戦で3イニングを無安打、無四球、5奪三振に抑える好投を見せたが結局10試合の登板で防御率5.96に留まった。
:MLB初勝利:
06年はAAAで19試合に登板して5勝1敗、防御率1.91という好成績を残してMLBに昇格。6月24日のブレーブス戦で先発のチャンスを手にすると、ブレーブスの4番A・ジョーンズのサードゴロ併殺と走塁ミスにも助けられて5回を1失点に抑えてMLB初勝利を記録した。すると続くナショナルズ戦では7回を3安打、3四球で無失点に抑えて2勝目、続くレッドソックス戦でも6.2回を2失点に抑えて勝利投手、続くヤンキース戦はリリーフに回ったが1回無失点で勝利投手と登板試合4連勝を達成した。
:連敗街道:
昇格から1ヶ月が経過した時点では4勝0敗、防御率1.57という素晴らしい成績だったが、7月17日のツインズ戦で6回4失点で敗戦投手になると、28日のヤンキース戦では3.1回で7安打、押し出しを含む6四球と試合を作れず敗戦投手、8月7日のマリナーズ戦ではイチロー、城島は抑え込んだが、ロペス(現巨人)にツーベース2本を含む3打数3安打と打ち込まれて5回5失点で敗戦投手と黒星が重なって、9月18日のオリオールズ戦まで実に9連敗という泥沼にはまった。
:松井 秀喜の復帰戦:
06年9月12日には松井 秀喜の左手首骨折からの復帰戦となったヤンキース戦で先発したが、いきなり初回にデーモンのセンター前、ジーター四球、アブレイユにスリーラン、A・ロドリゲスを四球、ジオンビーのレフトフライを挟んで、ポサダにツーベース、カノにセンター前と滅多打ちにあって失点を重ねると、スタンディングオベーションに迎えられて打席に入った松井
秀喜にも復帰後初ヒットとなるセンター前タイムリーを打たれて1アウトしか取れないままKOされてしまった。なお松井は同日の復帰戦で4打数4安打を記録した。
:横浜入団:
07年にはMLBでリリーフとして9試合に登板したが防御率6.75と結果が残せずマイナー降格。その後はマイナーでも今一つの成績が続いたが、11年にトミージョン手術を受けると、翌12年にはメキシカンリーグで16試合に登板して7勝4敗、防御率2.50という好成績を残した。翌13年はAAAで防御率2.98ながら投球回数に迫る被安打と半分を超える与四球という今一つの成績に留まっていたが、6月4日に横浜への入団が発表された。弟のロイ・コーコランも元メジャーリーガーでシアトル・マリナーズで8勝を記録している。
:空振り:
イースタンリーグでの調整登板を経て7月5日の巨人戦で先発のマウンドに上がったが、ボウカーに16球粘られてツーベースを打たれるなど3イニングで実に84球を投じて8安打、2四球で4失点KO。続く12日の阪神戦では5.0回を何とか3失点に抑えたが、106球を投じて空振りがピッチャーのメッセンジャーから奪った1球のみという怪記録を残して話題になった。中畑監督から後半戦のキーマンに指名されて迎えた7月27日の阪神戦では不安定な内容ながら5回を1失点で切り抜けて来日初勝利をあげたが、結局その1勝に留まった。 |
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