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筒香 嘉智
25
名前
つつごう よしとも
生年月日
1991年11月26日
経歴
横浜高校−横浜(09年D1位)−レイズ−ドジャース−パイレーツ−横浜
入団年
09年ドラフト1位
在籍年
10年−19年:24年−
背番号
10年[55]11年[8]12年−19年[25]24年−[25]
投打
右投げ左打ち
守備
内外野手
:
横浜高校への憧れ
:
二卵性の姉との双子として生まれる。生まれた時は2200グラムという小さな赤ん坊だった。筒香という苗字は日本に数名しかおらず全員親戚のきわめて珍しい苗字で由来は筒香村(つつがむら)という和歌山県の村。98年の夏に小学校1年生だった筒香は父親に連れられて行った甲子園の準決勝で松坂を擁する横浜高校対PL学園の延長17回の伝説的な激闘を見て野球に惹かれた。
::
小学校2年生から和歌山ニューメッツで野球を始める。また父親たちが家の敷地に作ったビニールハウスで打撃練習場で10歳年上で尽誠学園でプレーした兄に鍛えられ、土日はボーイズリーグという野球漬けの日々を送った。小学校時代は父親の和年さんが「牛のように食べる」と形容するほどの食欲で一日5食を完食していた。
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体操
:
隅田中時代では兄が多くのチームから選んだ堺ビッグボーイズに所属し、4番として全国大会8強入り。型にはめず、結果も求めすぎないチーム方針もあってノビノビと大きく育った。またピッチャーをやっていた小学校時代の投げ過ぎが影響して肩を痛め、1年間で20センチ近く身長が伸びた2年時には成長痛で半年間練習ができなかった。だがこの時期に整骨院の先生の勧めでプロになっても続けることになる特徴的な体操を始めて、体の動きや体幹も意識できるようになった。
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1試合8打点
:
憧れの横浜高校に入学すると、異例となる1年春から4番で起用され、2年夏の甲子園では準々決勝の聖光学院戦で第3打席に2ラン、第4打席で満塁弾、第5打席で2点タイムリーと打ちまくって史上タイ記録となる1試合8打点を記録、準決勝では浅村を擁する大阪桐蔭に敗れたが同大会で3本塁打を含む19打数10安打、14打点という素晴らしい成績を残した。また幼少時代から兄の勧めで体のバランスを整えるために右打ちでも練習を行っていたが、一時はスイッチヒッターとして試合に出場もした。
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横浜入団
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3年の夏には県大会準々決勝の横浜隼人戦で4点を追う8回表の二死一、二塁でまさかの敬遠で歩かされて冷静さを失った筒香は4点差を追いついた9回表の一死二、三塁という場面で再び打席が回ってきたがまた歩かされると思い込んでいた筒香はまさかの勝負に対応できずファーストゴロに倒れてしまうと、延長10回裏に自らのエラーからサヨナラ負けを喫して涙を呑んだ。名門横浜高校にあって小倉部長が「歴代No.1」と評価する超大型スラッガーとして69本塁打を記録し、同年のドラフト会議で横浜から1位指名を受けて入団した。また体調が悪いので実家に帰りますと嘘をついてアメリカに一拍三日で飛び、10月16日にドジャースタジアムで行われたMLBポストシーズンのドジャース対フィリーズをバックネット裏で観戦して憧れを大きくした。
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二軍で新人記録
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初年度は身体作りが主な仕事になる高卒ルーキーとしては異例の102試合に出場して451打席に立った。湘南の4番サードを任された筒香は疲れも見せずに6月終了時点で打率は2割台中盤で8本塁打という新人離れした成績を残していたが、夏場に入ると成績がさらに上昇し、7月には打率.313、6本塁打、20打点でイースタンの月間MVPを獲得。8月には7本塁打を放って20本に乗せて高卒新人の二軍記録を更新。9月にも5本塁打を放って大学/社会人も含めた二軍の新人記録を上回る26本塁打まで数字を伸ばした。
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初安打が本塁打
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イースタン・リーグ終了後の10月5日に一軍昇格。同時期にマスコミをにぎわせた球団の身売り報道もあって2万5288人という大観衆で埋まった10月7日のシーズン最終戦で7回裏に久保田の150キロのストレートを豪快にライトスタンドに運んで初安打を本塁打で記録、揺れる気持ちでシーズンを終えようとしていた横浜ファンに希望を抱かせた。なお高卒ルーキーが初ヒットを本塁打で記録したのは97年の森野(中日)以来13年ぶりで横浜では初めての快挙だった。
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19歳で8本塁打
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11年はキャンプから期待されていたがオープン戦で30打数3安打に終わって二軍で開幕を迎える事になった。5月下旬に「右手首三角線維軟骨じん帯損傷」で離脱したが8月に復帰すると28日に一軍昇格。同日の中日戦で5番で起用されると早速バックスクリーンにソロを叩き込んだ。その後4試合連続ノーヒットを記録するなど苦しんだが、9月15日の巨人戦で特大ツーランに二塁打2本という固め打ちで初のお立ち台に上がる。その後は徐々に打率も上昇し、持ち味の長打も9月24日〜25日の広島戦で2試合連続本塁打を放つなど40試合で8本塁打を放ったが、10月18日の中日戦で史上14人目の5三振を記録するなど三振率.352を記録した。
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11年のオフにはアメリカのロサンゼルスに渡って本場のトレーニングを学び、その後のトレーニングの中心となる体に強靭な軸を作り、逆方向を意識したバッティングへの取り組みを始めた。
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26歳差ホームラン
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12年は春のキャンプで打撃練習中に佐藤から左足に死球を受けて負傷。調整が遅れて開幕は2軍で迎えたが5月3日のヤクルト戦から一軍に復帰すると同日の試合で2安打1四球で勝利に貢献。5月6日の中日戦では初回に46歳の山本昌から先制スリーランを放った。この一発はプロ野球史上最大の26歳3カ月差のホームランとなった。続く第2打席でも山本昌からライトスタンドに2打席連続アーチを放つ上々の出足を切ったかに思えたが、翌日からの13試合で49打数6安打という絶不調になってしまう。5月28日には対オリックス戦の連敗を14で止める特大の先制ツーランを放ったが、その後も状態が上がらず7月30日に登録抹消となった。
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規定打席
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打率1割台にまで落ち込んだ筒香は高木由2軍打撃コーチとマンツーマンで打撃フォーム修正に取り込んで8月11日に一軍再昇格を果たすと復帰戦でいきなり自身初の4安打を記録。21日の広島戦では2対2の同点で迎えた8回表に前田 健太から勝ち越しソロ、25日の巨人戦では延長10回裏に初のサヨナラヒットという印象的な活躍を見せた。9月も好成績を残して数字を上げたが規定打席到達者の中では最下位の打率.218に留まった。
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1本塁打
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13年はオープン戦で左足首を捻挫。何とか開幕戦には復帰したが中日との開幕カードで9打数0安打に終わって3試合で登録抹消となった。またその際に打撃コーチから2時間にわたって説教を受けたが、そのコーチには何年間も打撃理論を理解してもらえず打撃スタイルを変えないと二軍に落とすと脅されていたこともあって我慢の限界を超えて「もう僕には何も言わないでください!」と反旗を翻した。また二軍では恩師となる大村打撃コーチに出会う転機ともいえるシーズンになった。6月25日に昇格すると、同日のヤクルト戦で3安打を放ったが好調は続かず、8月2日に登録抹消となりそのまま二軍でシーズンを終えた。同年はわずか23試合出場で1本塁打、二軍でも279打数で7本塁打という入団以来最低の成績に終わった。
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広角
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中畑監督からは秋季キャンプのメンバーからも外されるなど突き放されたが、筒香は二軍監督となった大村 巌と話し合って本来目指していた広角に打つバッティングを貫くことを決意し、横須賀の二軍施設で大村とマンツーマンで逆方向へのホームランを念頭に置いた猛練習を積んだ。またオフを返上してロスでの自主トレや禁酒、食事制限などで身体を絞り込んで肉体改造に取り組み伸び悩みからの脱却を図った。
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280日ぶりの本塁打
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14年はオープン戦で打率.360(50打数18安打)、出塁率.492という好成績を残して開幕5番を勝ち取ったが、打率1割台と苦しみ4月8日の阪神戦では藤浪に3三振を喫してしまう。悔しさから自室で深夜0時を回るまで素振りを続けた筒香は翌日からスタメン落ちとなったが、2試合の欠場を挟んで4月11日のヤクルト戦で途中出場で2安打を放つと、翌日のヤクルト戦で1対2で迎えた6回裏に280日ぶりの本塁打となる逆転ツーランをライトポール際に叩き込んで雄叫びを上げた。この一発で輝きを取り戻した筒香は4月20日の広島戦で前田 健太からの先制ソロを含む2本塁打を放つなど13試合連続ヒットを記録してチームを引っ張った。
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覚醒
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5月は左股関節痛に苦しみ、6月18日には右太ももの故障で登録抹消となったが、復帰戦となった6月28日の広島戦でホームランを含む2安打を放つと、4番を任された7月にはオールスター直前の広島3連戦で5本塁打を放って中畑監督から「覚醒し始めている」と絶賛された。惜しくも月間MVPは逃したが共ににリーグトップの月間8本塁打、24打点の荒稼ぎで本塁打と打点で日本人トップに躍り出た。
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梶谷と交錯
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8月に入っても9日のヤクルト戦で逆転タイムリーとソロを放って、0勝7敗だった夏のイベント「スターナイト」の初勝利に貢献するなど勝負強い打撃を見せていたが、8月13日の中日戦で同年からコンバートされたレフトの守備で大島の飛球を追ってセンターの梶谷と激しく交錯して後頭部を強打。ナゴヤドームの天井に設置されたカメラからの映像には大の字に倒れ込み、顔面蒼白で見開いた目は瞬きすらしない最悪の可能性すら頭をよぎるような姿が映された。ナゴヤドームのグラウンド内から救急車で病院へ搬送された筒香は病院に着くまでの記憶がない状態だったが、翌日には歩行が出来るまでに回復し、その翌日には退院して帰浜、三浦のブログにハマスタでピースサインを見せる筒香の写真が載ってファンを安心させた。
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得点圏
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脳震盪の影響で目まいなどの症状がなかなか回復せず約一ヶ月間の離脱となったが、9月6日の広島戦で復帰すると9月25日の阪神戦から3試合連続の猛打賞を記録するなど打率が急上昇、規定打席ギリギリながら打率を3割に乗せた。また得点圏打率は両リーグトップの.416を記録するなど勝負強い打撃でチームを引っ張った。同年には日本代表として日米野球にも出場するなど飛躍の一年となった。
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4番主将
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23歳の若さで中畑監督から4番で主将という重責を任された15年は巨人との開幕戦で菅野からソロを放つと、続く第2戦では東京ドームの看板直撃弾を含む4安打、4月24日の中日戦では自身初の満塁ホームラン、5月に入っても20日のヤクルト戦からの3試合で4本塁打を記録し、23日の阪神戦でも3安打と開幕から打ちまくって三冠全てでトップに立ち首位をひた走るチームを牽引した。だが交流戦前の最後のゲームとなった24日の阪神戦で太ももを痛めてしまうと、抹消せずに指名打者や代打で強行出場を続けたが、本来の力強いバッティングは見せれず6月は月間1本塁打に留まり、チームも12連敗という泥沼にはまってしまった。
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球宴最多得票
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7月に入ると1日の中日戦で4安打を放つなど状態を上げて球宴前の折り返しとなった巨人3連戦では初戦、第2戦と猛打賞を記録すると、第3戦では全5打席で出塁し7回表の守備では右肘に死球を受けて血が溜まった状態で代走鈴木をバックホームで刺すなど巨人3タテでの首位ターンに大きく貢献した。7月には全試合で出塁するなど6月下旬から球団記録にあと1と迫る36試合連続出塁を記録、球団史上初のリーグ最多投票で出場したオールスターゲームではホームラン・ダービーで計15本塁打を放って圧勝するなど球界を代表する選手となった。
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日本の4番
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8月13日の巨人戦では菅野から9回表に逆転ツーランを放ってチームの連敗を4で止めると、8月28日の広島戦では6連敗で止める満塁ホームランと首位から最下位へと転げ落ちていくチームにあって孤軍奮闘の活躍を続け、打率.317(3位)、24本塁打(4位)、93打点(3位)という素晴らしい成績を残して初めてのベストナインに選出された。シーズン終了後に行われたプレミア12では故障の中村剛に代わって日本代表の4番を任されるなど26打数10安打を記録し、オフシーズンにもイベント出演などは断り、ドミニカ共和国で行われたウインターリーグに参加と野球漬けの1年間を送った。
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サヨナラホームラン
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ドミニカでわずかに動くストレート系のボールに苦戦したため右足をほとんど動かさないノーステップ打法で臨んだ16年は開幕直後の巨人戦で菅野が投じた内角ボール気味に食い込んでくるカットボールをライトポール際に叩き込んで各解説者から絶賛された。翌日の阪神戦でも完封目前の能見から9回裏に同点ソロを放つなど申し分のないスタートを切ると、4月28日の中日戦で空振りした際に左わき腹を痛めて登録抹消となったが、復帰戦となった5月10日の中日戦では2本塁打を放つなど本塁打を量産。6月4日のロッテ戦では4回裏にスリーラン、延長10回裏には自身初のサヨナラホームランを放って手洗い祝福を受けた。
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月間
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7月には3日の広島戦で2本塁打、7日のヤクルト戦で逆転スリーラン、12日の中日戦で鳩サブレーの看板直撃弾とライトスタンド後方の噴水を直撃する場外弾、オールスターの2試合連続アーチを挟んで、19日のヤクルト戦で2本塁打、翌日にも2本塁打、さらに続く巨人戦では先制タイムリー、ツーベース、ソロを放って好投の菅野を一人で打ち砕くと、迎えた12回裏にサヨナラホームランを放って史上初の3試合連続複数本塁打を達成、29日の広島戦でも2本のスリーランを放って史上初の月間6度の複数本塁打を記録、史上2位の月間16本塁打(球宴を含めると18本)、球団タイ記録となる31打点、月間打率は.427で出塁率.529で長打率1.095という破格の数字を残した。
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2冠王
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8月には内角攻めと極端な筒香シフトに苦しんだが13日の広島戦でサヨナラヒット、20日の中日戦で先制ツーランを放ってチームを引っ張ると、9月には3日の阪神戦で右足甲に自打球が直撃して足を引きずるような状態になりながら「病院には行かない。折れていたら試合に出られないから」という決死の覚悟で強行出場を続けて、初のCS進出に向けて緊張感が高まり始めていたチームに戦う気持ちを植え付けた。23日の巨人戦で満塁ホームランを含む2本塁打を放って2冠王を決定づけると、CSでは巨人とのファーストステージ初戦で6回表に逆転ツーランを放って雄たけびを上げたが、広島とのファイナルシリーズではわずか1安打、後がなくなった第4戦では7対8で迎えた9回表に二死一塁で打席に入ったが空振り三振に倒れて最後のバッターになってしまった。
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日本の4番
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17年はペナントレース開幕前に開催されたWBCで日本の4番を任されて初戦のキューバ戦で先制タイムリーと2ラン、次戦のオールトラリア戦でも2ラン。第2ラウンドでも第2戦のキューバ戦では2本の同点タイムリーを含む4出塁、第3戦のイスラエル戦では先制ソロとチームNo1の成績を残した。準決勝のアメリカ戦では1点を追う8回裏二死一、二塁で両国のファンによるUSAコールとニッポンコールが交錯する中でライトへ良い角度で飛球を打ち上げて大歓声が上がったが失速してライトフライとなり世界一はならなかった。
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故障
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シーズンに入ると坪井コーチが「完全にWBCの後遺症」と語ったように外国人投手の速い投球フォームや動くボールに対応するうちに打撃フォームを崩し、激闘を戦った心身の疲れも重なって開幕から絶不調に陥り、開幕から16試合が経過した時点で本塁打0で1打点という大不振に陥った。4月27日阪神戦の第3打席に92打席目にして甲子園のバックスクリーン右に1号を叩き込んだが、5月には中旬に股関節を痛めて4試合を欠場すると、25日の中日戦で死球を受けてあばら骨を骨折、隠して強行出場を続けたが翌日から7試合連続ノーヒットで30打数で15三振という苦しい日々を送った。
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予言サヨナラホームラン
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6月には首のヘルニアでスイングするたびに激痛が走ったが交流戦明けのヤクルト3連戦で2本塁打を放つと、続く広島2連戦でも2本塁打を放つなど一気に復調しチームの上位浮上に貢献、7月23日には球団イベントのキッズ絵画コンクールで前年の巨人戦で筒香が放った「筒香せんしゅ、サヨナラホームラン!」がコンクールMVPに輝いたが、同日の巨人戦で再びサヨナラホームランを放ってヒーローとなった。8月にはさらに状態を上げて13日の阪神戦で2打席連発、22日の広島戦では3者連発の先駆けとなるソロを放つなど月間7本塁打、23打点を記録して月間MVPに選出された。
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泥まみれの
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9月29日の阪神戦では10分遅れのプロ野球通算10万1号を放ち、CS決定試合となった10月1日の広島戦でも2本塁打を放つなど本塁打を量産したが前半の絶不調が響いて30本塁打100打点には届かなかった。CSでは豪雨の激戦となった阪神とのCS1st第2戦では顔付近への内角球にもんどりうって倒れ、泥まみれとなったが勝ち越し打を含む4安打を放ってチームの士気を高めた。広島とのファイナルでも2試合連発、日本シリーズでは第5戦で逆転ツーランとタイムリーを放つなどWBCから続いた長い1年を戦い抜いたが日本一はならなかった。
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3戦5発
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オフに断食を行いキャンプイン直前には結婚と第一子を発表した18年は狭いスタンスで膝もほとんど曲げない極端に重心を高くした新フォームに変更、4月8日の広島戦では先制ツーランにスリーランを放つと、21日のヤクルト戦と29日の中日戦では共に10回表に勝ち越し弾を放つなど月間6本塁打を記録したが打率は2割台前半に低迷、5月に入るとさらに状態を落として17日には打率.227まで落ち込み、52打数連続で本塁打なしと苦しんだ。だが18日からスタンスを広げると同日の巨人戦で29イニング連続無失点中だった菅野から先制ツーラン、翌日にも先制ツーラン、さらに第3戦でも先制ツーランを含む3本塁打を放って巨人3連戦で5本塁打と覚醒した。
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球団史上最年少
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5月24日の中日戦では球団史上最年少で150本塁打に到達(26歳5か月で田代の記録を8か月更新)、翌日には4打数4安打、31日の楽天戦では9回裏に完投目前の岸から同点弾、続くソフトバンク3連戦では2本塁打を含む5安打に4四球を記録して打率.305、リーグトップの15本塁打と一気に数字を上げた。6月半ばからは腰の張りで一時スタメンを外れたが、オールスターで松井以来17年ぶりとなる3年連続本塁打を放ちホームランダービーでも優勝、7月18日のヤクルト戦では2打席連発、8月3日の広島戦では自身初の5安打、17日の広島戦では3点を追う8回裏に起死回生の逆転満塁弾とチームを引っ張り続けた。
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マルチ本塁打
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8月23日の巨人戦では移籍後ハマスタ初登板となった巨人の山口から2本塁打を放つと、25日のヤクルト戦でも2本塁打、9月5日の巨人戦でも2本塁打とホームランを量産、14日の巨人戦では球団タイ記録で史上4位の巨人戦シーズン12本塁打を記録、加賀の引退試合と翌日の後藤の引退試合では2試合連続スリーランを放った。4選手による激しい本塁打王の本命かと思われたが、ラスト8試合ではホームランは生まれず後半戦に驚異的な活躍を見せたソトに逆転でホームラン王をさらわれてしまった。契約更改では将来的なメジャー願望を明かした。またオフには少年野球や高校野球への提言を繰り返し発信して、強圧的な指導や球数制限導入、勝利至上主義の問題点、トーナメント方式、保護者に強制されるお茶当番などの改善を訴えた。
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開幕戦で5打点
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19年は開幕戦で先制の2点タイムリーとスリーランを放ってセ記録の開幕戦5打点を記録、4月5日の巨人戦で新設されたライトウイング席に特大弾を叩き込むと、翌日にもダメ押し弾、9日の阪神戦でツーランと2点タイムリーと打点を量産、13日の広島戦で床田から右ひじに142キロの死球を受けて離脱したが、中5日で復帰すると20日の広島戦で床田からのソロを含む2本塁打を放った。交流戦では54打数27三振という大不振に陥ったが、交流戦明けの6月28日の広島戦では同点弾を含む2本塁打を放って復調、ファン投票で選出されたオールスターでは山本、松井に続く史上3人目の4年連続のホームランを記録した。
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200号
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前半戦の得点圏打率.234ながら出塁率.405という高出塁率を生かして後半戦はまさかの2番起用となり、7月には月間23四球を選ぶなど月間出塁率.447を記録。7月23日の阪神戦では9回表に同点タイムリー、26日の中日戦で先制ツーラン、翌日には松坂から先制タイムリーと活躍、8月8日に宮崎の骨折で抹消となると、ラミレス監督からサードでの出場を打診されて「チームが勝つためなら」と快諾、9日の中日戦に1836日ぶりにサードで出場すると第1打席でソロ、第3打席では勝ち越しの満塁弾、第4打席では2点タイムリーを放って自己最多の7打点を記録してチームの危機を救った。8月11日の中日戦ではスリーランとツーランで5打点、17日の広島戦では村田の28歳7か月を上回る球団史上最年少の27歳8か月での200号(歴代8位)を記録、同試合で201号も放った。
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優勝ならず
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4番に復帰した9月4日の阪神戦では10回裏にサヨナラツーランを叩き込み、ベンチに向かって雄たけびを上げながら豪快なガッツポーズを見せた。後半戦は得点圏打率も上昇させてチーム21年ぶりの2位以上に大きく貢献したが、14日の中日戦の守備で桑原と交錯して負傷、19日の広島戦で復帰したが再び床田から死球を受けて抹消となり、逆転優勝にわずかな可能性を残した巨人との首位攻防戦には出場できず優勝を逃した。CSでは初戦で先制スリーランを含む4打点、第2戦でもソロを放ったが、第3戦では1点を追う9回裏に藤川のストレートで空振り三振に倒れてファースト・ステージ敗退、試合後にはポスティングでのメジャー移籍を表明した。
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タンパベイ移籍
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12月14日にタンパベイ・レイズと2年総額1200万ドル(13億円)で合意、他球団からはより高額な条件提示も受けたがレイズ首脳陣の熱意と出場機会を求めてレイズを選択した。入団合意後は自らの意思で移籍となった選手にも関わらず横浜ベイスターズがムービーやポスターを制作して、チームの勝利に尽くしたキャプテンの新たな旅立ちを祝福し、背番号25は準永久欠番とした。またレイズも横浜時代の応援歌を使用したムービーを作成して入団を歓迎した。
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開幕戦でメジャー初ホームラン
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メジャー1年目はコロナウイルスの影響で開幕が延期となったため3月下旬に帰国、6月30日に再渡米して再開したキャンプに合流した。4か月遅れでの開幕戦となった7月24日のブルージェイズ戦に3番サードでスタメン出場、第3打席に同年に最優秀防御率に輝く柳賢振から左中間へのホームランでMLB初ヒットを記録した。翌日には4番で起用されて横浜時代の応援歌が球場内に流れるサプライズも受けたが4打数ノーヒットに倒れた。なお横浜時代の応援歌は筒香が「今はレイズの一員」と今後の使用は辞退した。その後も中軸として起用されたが7月31日から20打数連続ノーヒットに倒れるなど打率1割台に低迷、日本時代から苦手にしていた95マイル(153キロ)を超える速球にはノーヒットという日々が長く続いた。
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ワールドシリーズ進出も
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8月には12日のレッドソックス戦で53打席ぶりの2号、16日のブルージェイズ戦で逆転スリーラン、24日にブルージェイズ戦で先制ソロと3四球、30日のマーリンズ戦でツーランと本塁打を量産した。9月13日のレッドソックス戦では第3打席にツーベースを放って日米通算1000安打を記録、18日のオリオールズ戦では1番で起用されてスリーベースを含む2安打を放った。19日オリオールズ戦では初めての95マイル打ちとなる同点ソロを放ったがシーズン後半はベンチスタートも増え、チームがワールドシリーズまで進出したポストシーズンでも20試合中8試合の出場で16打数2安打に終わるなど苦しいルーキーイヤーとなった。
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持ち味見せるも
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60試合という短縮シーズンだった事もあって打率.197とメジャーリーグに適応することは出来なかったが、157打数で8本塁打を放ち、1打席あたりに投げさせた球数がリーグ1位の4.578球を記録して26四球も選ぶなど持ち味は見せたシーズンにもなった。翌21年の開幕前にはCBSスポーツから下馬評を覆すブレーク選手として名前が上がった。
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苦境
:
21年は崔志萬の故障でポジションが空いたファーストにも挑戦、開幕戦には1番ファーストで出場して四球を選んだ。4月3日のマーリンズ戦では代打で9年ぶりの送りバントを記録、開幕4試合目のレッドソックス戦で12打数目にしてグリーンモンスターを直撃する初ヒットを放つとそこから4試合連続ヒットを放ったが、打率は1割台中盤に低迷、地元紙からはマイナー降格やワースト契約と言った厳しい論調が並んだ。5試合ぶりのスタメンとなった18日のヤンキース戦では剛腕コールから決勝タイムリーを放ったが、コロナワクチンの副反応で体調不良の中で強行出場した28日のアスレチックス戦で3打数3三振に倒れると、そこから5試合連続ノーヒットに倒れた。
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救いの手
:
5月5日のエンゼルス戦ではメジャー初対決となった大谷にレフトフライに打ち取られてしまうと、8回表に23打席ぶりのヒットとなるツーベースを放ったが、崔志萬の復帰が目前に迫った5月11日に40人枠を外れて事実上の戦力外となった。打率.167、OPS.462という前年を大幅に下回る成績でメジャー移籍は厳しい事が予想されたため一時は古巣ベイスターズへの復帰が取りざたされたが、5月15日に故障者が続出していたドジャースへの移籍が発表された。
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マイナーで復調
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移籍後初出場となった18日のダイヤモンドバックス戦では好機で凡退も2四球を選ぶと、翌19日にはまさかの4番起用でタイムリーを放った。だが次戦で3打数3三振に倒れると、成績が上向くことはなく6月9日にマイナー降格となった。マイナーでも打率.138と好結果が残せず7月7日に再び40人枠から外れた。そのままドジャースのマイナーに残留するとレイズ時代に首脳陣から自身の意思にそぐわない変更を求められていた打撃スタイルをドジャース首脳陣が横浜時代の映像をもとに筒香の良い部分を分析して、筒香と意思疎通を取りながら打撃スタイルを元に戻すアプローチを行うと持ち味の逆方向への打撃も取り戻し、7月中旬から大幅に状態が上向いて本塁打も量産、AAAのラスト30試合は打率.327、OPS1.038を記録した。
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パイレーツ移籍
:
8月15日にメジャー契約でパイレーツに移籍、翌日には古巣のドジャース戦で9回表に絶対的な守護神のジャンセンからレフト線にツーベースを放つと、翌日にも9回表にジャンセンからレフトへツーベースを放って日本風の恩返しを見せた。20日のカージナルス戦で代打起用されて1号ソロを放つと、翌日には勝ち越しソロにタイムリー、23日には再び代打でソロを放つと、26日のカージナルス戦でも代打でホームランを放ってメジャー史上3人目の代打3打数連続ホームランという離れ業を成し遂げた。
:
場外サヨナラ弾
:
猛打を見せる筒香のスタメン起用を増やそうと考えたシェルトン監督から「日本ではライトの守備はやったことあるか?」と問われて「6対4の割合でレフトとライトをやっていた」と答えて、ほぼ経験のないライトでのスタメン起用となった27日のカージナルス戦でセンターオーバーの飛球で激走を見せてスリーベースを勝ち取ると、守備でもフェンスを乗り越えてスタンドに飛び込むハッスルプレーを見せた。そして迎えた29日のカージナルス戦では2点を追う9回裏に一死一、二塁で打席に入ってライト場外へ特大のサヨナラスリーランを運んで見せた。
:
球団最速
:
9月4日のカブス戦で6号ソロを放って入団から38打数で6本塁打の球団史上最速タイに並ぶと、翌日にも先制ソロを放って42打数で7本塁打の球団新記録を樹立した。ラスト2週間は数字を落としたがパイレーツ移籍後は43試合の出場で打率.268、8本塁打、25打点、OPS.883という好成績を残した。また同年にはパイレーツ戦の実況をを務めるブラウン氏が筒香がホームランを打つたびに発する「ツ、ツ、ツギョー!」という名文句も話題になった(元ネタはフィル・コリンズの名曲「ススーディオ」)。
:
開幕戦に4番で出場
:
22年は慣れ親しんだ背番号25を背負ってオープン戦で好成績を記録、松井秀喜以来日本人選手2人目となる開幕戦に4番で出場、チーム唯一の2安打を放った。4月9日のカージナルス戦では元巨人のマイコラスからのタイムリーを含む2安打2打点を記録した。だが持ち味の長打がなかなか出ず、出場12試合目の4月21日カブス戦で初の長打となる逆転タイムリーツーベースを放ったが、打率が1割台まで低下してチャンスで代打を送られるなどの屈辱を味わった。5月7日のレッズ戦で80打席目の初本塁打を放つと、22日のカージナルス戦では大量点差のため登板した名捕手モリーナが投じた92キロをライトスタンドに運んだ。
:
693位
:
開幕3戦目から違和感を感じていた腰の痛みが深刻になり、監督から「どこが痛いのか正直に話してほしい」と言われて話し合った上で5月25日にDL入りとなった。7月5日にメジャーへ復帰すると同日のヤンキース戦に5番ファーストで出場して2安打を放ったが、数字を上げることはできず勝利貢献度を示すWAR-1.7はメジャー野手693人中693位で投手を含めても1465人中1463位という悲劇的な数値にまで落ち込んで8月5日に契約解除となった。8月14日にブルージェイズとマイナー契約を結んだがメジャー復帰は叶わなかった。
:
球場建設
:
23年は1月15日にレンジャースをマイナー契約を結んだがメジャー復帰はならず、6月22日に自らの意思でオプトアウト権を行使して退団した。8月には独立リーグでプレー、20日にジャイアンツとマイナー契約を結んだが9月23日にAAAの試合中に死球を受けて左手親指を骨折、メジャー復帰はならなかった。同年には2億円の自費を投じて故郷の和歌山に子供たちのための野球場を建設、シーズンオフにはたびたび子供たちのプレーする環境の改善を訴えた。
:
横浜復帰
:
24年はジャイアンツのキャンプに参加したが結果を残せず自由契約になった。4月に入ると日本復帰が報道されるようになり、当初は開幕目前にオドーアが緊急退団となった巨人への入団が決定的と言われたが、4月12日にポジションが重なるオースティンが故障で離脱したことで5年ぶりの横浜復帰となった。ハマスタで行われた公開入団会見では「ベイスターズで優勝したいという思いが日本でプレーするモチベーションになりました」と語ると、雨天の中で集まった9600人のファンから大歓声が上がった。
初記録
初出場
2010年10月5日巨人戦
初安打
2010年10月7日阪神戦:久保田から
初本塁打
2010年10月7日阪神戦:久保田から
初打点
2010年10月7日阪神戦:久保田から
初盗塁
2011年10月13日阪神戦:重盗で
記録達成日
200本塁打
2019年8月17日広島戦モンティージャから
1000試合
2024年6月21日阪神戦
その他の記録
月間MVP
15年5月、16年7月、17年8月
球宴MVP
16年1戦
NPB
MLB
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
本塁打王
●
1回
打点王
●
1回
ベストナイン
●
●
●
3回
オールスター
●
●
●
●
●
5回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
10
横浜
3
7
1
1
0
0
1
4
1
0
0
0
0
2
1
1
0
0
.143
11
横浜
40
145
16
35
10
0
8
69
22
1
0
0
1
13
1
51
4
4
.241
12
横浜
108
386
31
84
16
3
10
136
45
1
2
2
5
51
2
102
4
7
.218
13
横浜
23
51
5
11
1
0
1
15
3
0
0
0
0
3
2
13
2
1
.216
14
横浜
114
410
58
123
24
2
22
217
77
2
1
0
2
47
2
100
7
7
.300
15
横浜
138
496
79
157
28
1
24
259
93
0
0
0
2
68
2
98
5
0
.317
16
横浜
133
469
89
151
28
4
44
319
110
0
1
0
2
87
3
105
6
2
.322
17
横浜
139
503
85
143
31
0
28
258
94
1
0
0
3
93
2
115
7
1
.284
18
横浜
139
495
77
146
33
1
38
295
89
0
0
0
3
80
2
107
10
3
.295
19
横浜
131
464
74
126
24
0
29
237
79
0
0
0
3
88
2
141
5
2
.272
通算
10年
968
3426
515
977
195
11
205
1809
613
5
4
2
21
532
19
833
50
27
.285
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
17
横浜
6
20
3
5
2
0
1
10
3
0
0
0
0
5
0
8
0
0
.250
通算
1年
6
20
3
5
2
0
1
10
3
0
0
0
0
5
0
8
0
0
.250
クライマックスシリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
横浜
7
27
1
4
0
0
1
7
2
0
0
0
0
3
0
8
1
0
.148
17
横浜
8
33
5
10
0
0
3
19
6
0
0
0
0
2
0
10
0
0
.303
19
横浜
3
13
2
3
0
0
2
9
5
0
0
0
0
1
0
4
1
0
.231
通算
3年
18
73
8
17
0
0
6
35
13
0
0
0
0
6
0
22
2
0
.233
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
5回
10
29
7
12
3
0
5
30
11
0
0
0
1
1
0
5
1
1
.414
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
10
湘南
102
418
70
121
11
0
26
210
88
2
0
4
29
102
8
24
.289
11
横浜
57
219
31
49
7
1
14
100
35
1
0
1
25
80
2
4
.224
12
横浜
22
67
11
16
3
0
1
22
7
0
0
1
13
19
0
1
.239
13
横浜
77
279
33
76
14
1
7
113
45
1
0
4
36
53
3
13
.272
14
横浜
3
10
2
5
2
0
1
10
4
0
0
1
1
1
0
0
.500
16
横浜
2
3
1
1
0
0
1
4
1
0
0
0
3
0
0
0
.333
通算
6年
263
996
148
278
37
2
50
459
180
4
0
11
107
255
13
42
.279
MLB成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
20
レイズ
51
157
27
31
5
1
8
62
24
0
0
0
1
26
1
50
5
4
.197
21
レイズ
26
78
5
13
4
0
0
17
5
0
0
1
0
8
0
27
1
0
.167
21
ドジャース
12
25
2
3
0
0
0
3
2
0
0
0
0
6
0
12
0
0
.120
21
パイレーツ
43
127
20
34
8
1
8
68
25
0
1
0
1
15
1
33
2
1
.268
22
パイレーツ
50
170
11
29
4
0
2
39
19
0
0
0
4
19
0
0
3
3
.171
通算
3年
182
547
65
110
21
2
18
189
75
0
1
1
6
74
2
172
11
8
.197
AAA成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
21
AAA
43
148
28
38
7
0
10
75
32
0
0
0
5
26
1
32
6
1
.257
22
AAA
9
25
4
11
2
0
2
19
12
0
0
0
2
9
0
3
0
0
.440
22
AAA
29
98
15
26
4
0
5
45
18
0
1
0
1
19
0
38
4
0
.265
23
AAA
51
169
30
42
9
2
6
73
33
2
2
0
2
36
1
59
1
5
.249
23
AAA
4
9
3
2
1
0
0
3
1
0
0
0
0
6
1
3
0
0
.222
通算
3年
136
449
80
119
23
2
23
215
96
2
3
0
10
96
3
135
11
6
.265
AA成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
23
AA
13
45
9
14
0
0
4
26
10
1
1
0
0
10
0
17
1
0
.311
通算
1年
13
45
9
14
0
0
4
26
10
1
1
0
0
10
0
17
1
0
.311
WBC打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
17
日本
7
25
5
8
0
0
3
17
8
0
0
0
0
5
0
6
0
0
.320
通算
1年
7
25
5
8
0
0
3
17
8
0
0
0
0
5
0
6
0
0
.320