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オースティン



名前 Tyler Austin
生年月日 1991年9月6日
経歴 ヘリテージ高-ヤンキース-ツインズ-ジャイアンツ-ブルワーズ-横浜
入団年 20年にブルワーズから移籍
在籍年 20年−
背番号 20年−22年[23]:23年−[3]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
17歳で大病:
3人兄弟の長男として育ち、ヘリテージ高ではサードに加えて投手、捕手も務めて活躍、2年時に打率.626、19本塁打を記録して全米トップクラスの評価を受けた。だが17歳のある日に睾丸に激痛が走り、我慢して1週間過ごしたが友人宅のインターネットで調べると精巣がんの可能性が高いことがわかり母親に電話、緊急外来を受診して翌週に手術で摘出した。幸いにも早期だったこともあり抗がん剤を必要とせず手術のみで復帰した。オースティンは術後1週間で手術の痛みが取れないうちに復帰した。

メガプロスペクト
高校卒業後は大学進学を考えていたが、10年のドラフトで幼いころから憧れていたヤンキースから13巡目指名を受けて入団。ルーキーイヤーは2試合の出場で2死球を受けて左手骨折となったが、翌年にルーキーリーグで打率.390を記録し、A-でも27試合の出場で打率.323を記録した。20歳となった12年にはAで打率.320、A+でも打率.321を記録して早くもAAへ昇格、同年にはマイナー通算で打率.322、出塁率.400、長打率559、23盗塁(失敗2)という好成績を残して、キャッシュマンGMからプロスペクト(有望株)を超えるメガプロスペクトと絶賛された。

期待外れ
13年はスプリング・トレーニングに招待選手として参加するなど大きな期待を集めていたが、AAで打率.257、6本塁打と伸び悩み7月には手首を負傷して離脱となった。翌14年も故障に悩まされてAAで打率.275、9本塁打に留まった。何とか40人のロースターに登録されて迎えた15年はAAAに初昇格したが、73試合の出場で打率.235、4本塁打と期待に応えられず40人枠からも外されてしまった。

メジャー初打席
16年はスプリングトレーニングにも招待されなかったが、AAAで57試合に出場して打率.323、二塁打24本、13本塁打という好成績を残して、シーズン中の引退を選択したアレックス・ロドリゲスの引退試合の翌日にメジャーに初昇格を果たした。同日には翌年に52本塁打を放ってA・ロッドに代わるスーパースターとなるアーロン・ジャッジも初昇格を果たしていたが、同日のレイズ戦で7番ファーストでメジャーデビューとなったオースティンが第1打席でライトポール際に先制ソロを叩き込んで初打席初本塁打を記録すると、続く8番ジャッジも初打席初本塁打を放って、メジャー史上初となるデビューの2人が初打席連続ホームランという快挙を成し遂げた。

サヨナラホームラン
その後もジャッジとともに主に下位打線で起用されて、田中将VS岩隈の投げ合いとして注目を集めた8月24日のマリナーズ戦でもタイムリーを放つと、25歳の誕生日に2号逆転ツーラン、9月8日のレイズ戦では4対4で迎えた9回裏にサヨナラホームランと印象的に活躍を見せた。だが83打数で5本塁打を放った一方で打率.241で三振率.434と課題も残ったシーズンとなった。

故障
正一塁手のテシェイラが引退となりポジションが空いた翌17年は開幕前に左足を骨折、6月にマイナーリーグで復帰すると24日に早くもメジャー昇格となったが、わずか4試合で右太ももを痛めて離脱となった。8月に復帰すると19日のレッドソックス戦でエースのクリス・セールからスリーランを放つ活躍は見せたが、20試合の出場で打率.225とレギュラー獲りのチャンスは逃してしまった。

大乱闘のきっかけに
開幕メジャーに残った18年は4月11日のレッドソックス戦で併殺崩しの危険な走塁を見せたオースティンに対する報復として投じられた死球に激高、オースティンがバットをたたきつけてマウンドへ突進すると、両チームが入り乱れて4人の退場者を出す大乱闘となり、オースティンは5試合の出場停止となった。復帰後は好成績を残していたが打率3割を超えた翌日から7試合連続ノーヒットという不振にはまって6月14日にマイナー落ちとなり、7月30日にツインズへトレードされた。

シーズン17本塁打も
ツインズでは移籍後初試合となった8月11日のタイガース戦でホームランを放つなど35試合の出場で9本塁打、24打点を記録、同年は両チーム合計で69試合に出場して17本塁打、47打点という好成績を残した一方で打率.230、三振率.389を記録した。

トレードと解雇
高校時代からのガールフレンドと結婚して迎えた19年は開幕からわずか2試合の出場でジャイアンツにトレードされた。ジャイアンツでは移籍当初の12試合中9試合でヒットを放つなど活躍、5月9日のロッキーズ戦では同点スリーランを含む2本塁打6打点という活躍を見せた。同点弾の次打席から15打数連続ノーヒットという不振に陥り、5月22日のブレーブス戦で13日ぶりのヒットとなるホームランを放つと、そこから3試合連続ホームランという出入りの激しいプレーを見せた。8月に解雇となるとブルワーズと契約して9月にメジャーに復帰したが再び解雇となった。

横浜入団
19年オフにヤンキース時代にジーターから学んだという全力プレーをマイナーリーグでも続ける姿勢と、トップクラスの打球速度を評価されて1年+球団オプション1年で横浜と契約を結んだ。メジャーでは4年間でメジャーのレギュラー選手の約1シーズン分に相当する583打席に立って、33本塁打、91打点、54四球という強打を見せたが通算打率.219という低打率に加えて、215三振という粗さもあって惜しくもメジャーには定着できなかった。

12球団トップ
オープン戦では初戦の初打席から2打席連続ホームランを放つなど沖縄の3試合で長打率2.429、打率.857という桁違いの成績を残してヤクルトのスコアラーが「ボブ・ホーナー以来の衝撃」と語るほどの日本デビューを飾った。オープン戦で12球団トップのOPS1.296を記録、コロナウイルスの影響で開幕が延期となったが練習試合再開後もハマスタ場外に特大弾を運ぶなど好調を持続、ヘッドスライディングやダイビングキャッチを見せるなどハッスルプレーでも話題になった。だがそのダイビングキャッチで右ひじを負傷して開幕はベンチで迎える事になった。

負傷
広島との開幕戦で1点を追う8回裏の一死三塁で代打起用されて、好守に阻まれたが痛烈なサードゴロを放った。開幕から4試合目の6月23日中日戦でスタメンで起用されて4打数4安打を放つと、25日の中日戦ではライトスタンドに初ホームラン、翌日にもツーラン、7月1日の巨人戦では8回表に満塁走者一掃の逆転タイムリースリーベースと打線の中核として活躍した。9日の広島戦ではダメ押しツーランを放ったが、雨天の中で強行開催された翌日の阪神戦で右手を痛めて抹消となった。すぐに再昇格を果たしたが同点タイムリーを放った7月31日の阪神戦の守備で甲子園のライトフェンスに激突して首を負傷、頭部を強打したため脳震とうになり長期離脱となった。

13安打中10本が
復帰戦となった9月12日の中日戦の初回にスリーランを放ったが次打席から18打数連続ノーヒットと苦しんだ。だが18日の巨人戦でスリーランを放つと、2度の故障の舞台となった甲子園で2試合連続のホームランを記録、フェンスにぶつかりながらの好捕やダイビングキャッチも連発するなどファンを沸かせた。復帰後は3割を大きく超えていた打率は.237まで急降下して三振も急増したが、復帰から約一か月の間に放った13安打中10本がホームランという怪記録で話題になった。10月に入ると4日の中日戦で3本塁打6打点を記録するなど一気に状態を上げて11日の阪神戦までの8試合で8本塁打を記録、10月以降の28試合で打率.346、11本塁打、28打点を記録して月間MVPに選出された。通算でも度重なる故障で65試合の出場に留まりながらリーグ7位の20本塁打を放った。

勝者のメンタル
21年はコロナウイルスの影響で来日が遅れて4月11日にチームに合流、2軍出場もないまま13日に1軍登録という厳しい調整を強いられた。主力を欠いたチームは開幕から4勝20敗3分というどん底に沈んでいたが、実戦復帰から40打席が経過した25日の阪神戦でタイムリー2本を含む3安打を放つと、チームの転機となった28日の広島戦ではツーランを含む3安打、翌日にも勝ち越しソロ、5月1日のヤクルト戦でバックスクリーン上部へ運ぶ特大の先制ソロとチームを引っ張り、連敗中には円陣の中心に入って「今日から新しい戦いだ」と言葉でもチームを鼓舞、5月下旬に激走を連発すると内野安打で出塁した6月1日のソフトバンク戦では甲斐から盗塁を決めてハマスタの雰囲気を一変させるなどチームリーダーとして圧倒的な存在感を見せた。

月間MVP
6月には3日のソフトバンク戦で先制スリーラン、、6日のロッテ戦で先制ソロ、ツーランを放った9日の西武戦では走塁中に足を痛めて交代となったが、1試合の欠場のみで復帰して先制ツーラン、20日の広島戦で満塁弾、25日の阪神戦で先制ツーラン、27日の阪神戦でも先制ツーランと肩書付きのホームランを量産、30日の中日戦で4安打を放って打率が.348となり首位打者を独走、6月には月間打率.406、9本、25打点、OPS1.361という驚異的な活躍で月間MVPを受賞した。

オリンピック
7月には広島戦で2打席連続死球を受けると次戦から13打数で8三振を記録するなど打率が急降下したが、高校時代からの夢だったという東京オリンピックにアメリカ代表として出場すると、初戦のイスラエル戦でハマスタのバックスクリーン右にツーランを叩き込み、ツーベースも2本という猛打を見せるなど全6試合に出場して打率.417、2本塁打、7打点、OPS1.254を記録、惜しくも決勝戦で日本に敗れて銀メダルとなったが「野球の試合で今回が一番楽しかった」と夢舞台を満喫した。

規定に届かず
CS出場が厳しくなってきた後半戦に入っても8月18日の阪神戦でフェンスにぶつかりながら好捕、20日の巨人戦ではダイビングキャッチで胸を強打しながらもボールを離さないスーパープレーを見せるなどハッスルプレーを続けた。9月12日の阪神戦では2本塁打5打点、26日の広島戦では逆転の満塁弾を含む3安打を放って打率トップに再浮上、首位打者への期待が高まったが左ふくらはぎを痛めてしまうと強行出場を続けたが15打数連続ノーヒットで大きく数字を落とし、10月5日に肉離れを発症して抹消となった。惜しくも規定打席に4届かなかったが出塁率.405、長打率.601という前年を超える成績を残した。またリーグの平均的な打者と比較して得点をどれだけ増やしたかを示すRCAAは規定未到達の打者としては1955年以降では2位の36.96という歴史的な数値となった。

手術
三冠王の声も上がるほど期待された22年だったが開幕前に右ひじを痛めて離脱すると4月13日にクリーニング手術を行い長期離脱となった。米国での手術からわずか5日後に再来日して早期復帰を目指したが順調な回復とはならず1軍昇格は8月2日にずれ込んだ。同日にハマスタで行われた広島戦に代打で起用されると大きな拍手が起こり、右飛に倒れた際にも再び大きな拍手が上がった。オースティンは「ファンの皆さんの拍手で感極まりそうになりました」、「あの瞬間は私の野球人生においても一生忘れられない瞬間になったと思います」と感謝を表した。翌日には代打でタイムリーを放ったが、右ひじの回復が思わしくなくシーズンの最後まで代打のみでの起用となり、オフには右ひじの側副靭帯の修復手術を受けた。

復帰からひと月で
23年はオースティンからの提案でもともと23を背負っていた藤田と交換する形で背番号を3に変更、4月下旬に二軍戦でゲームに復帰すると5月18日に一軍へ昇格、主に代打で8打席連続ノーヒットと苦しんだが5月30日の楽天戦にスタメン出場してツーベース2本を含む3安打を放って勝利に貢献、6月8日のソフトバンク戦で3打席連続打点を記録すると、翌日のオリックス戦では山下舜から先制タイムリーとさすがの勝負強さを見せたが、右肩を痛めて6月20日に登録抹消、7月中旬にイースタンリーグで復帰したが、右肩は回復せず一軍復帰は果たせないまま右肩手術という厳しい月日が続いた。


初記録
初出場 2020年6月19日広島戦
初安打 2020年6月23日中日戦:柳から
初本塁打 2020年6月25日中日戦:岡野から
初打点 2020年6月23日中日戦:柳から
初盗塁 2021年6月1日ソフトバンク戦
その他の記録
月間MVP 20年10月、21年6月、24年6月






20 21 22 23 24
首位打者 1回
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
20 横浜 65 238 36 68 14 1 20 144 56 0 0 0 1 29 1 69 4 1 .286
21 横浜 107 373 60 113 25 1 28 224 74 1 0 0 1 60 5 111 9 1 .303
22 横浜 38 32 3 5 2 0 1 10 3 0 0 0 0 6 0 14 1 0 .156
23 横浜 22 47 5 13 6 0 0 19 6 0 0 0 1 6 0 13 0 0 .277
通算 4年 232 690 104 199 47 2 49 397 139 1 0 0 3 101 6 207 14 2 288


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
22 横浜 2 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1.000
通算 1年 2 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1.000


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 2 6 2 4 1 0 1 8 3 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .667


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
20 横浜 7 21 0 3 1 0 0 4 3 0 0 0 4 10 0 0 .143
22 横浜 11 36 4 8 1 0 3 18 6 0 0 0 4 10 1 1 .222
23 横浜 23 74 5 20 8 0 4 40 15 0 0 2 15 20 2 0 .270
通算 3年 41 131 9 31 10 0 7 62 24 0 0 2 23 40 3 1 .237


  MLB成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 ヤンキース 31 83 7 20 3 0 5 38 12 1 0 0 0 7 0 36 1 0 .241
17 ヤンキース 20 40 4 9 2 0 2 17 8 0 0 0 2 4 0 17 1 0 .225
18 ヤンキース 34 121 16 27 6 0 8 57 23 1 1 0 1 8 2 53 2 1 .223
18 ツインズ 35 123 18 29 4 0 9 60 24 0 1 0 2 11 0 42 1 0 .236
19 ツインズ 2 4 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 3 0 0 .250
19 ジャイアンツ 70 130 24 24 2 1 8 52 20 1 0 0 0 7 0 57 1 1 .185
19 ブルワーズ 17 20 5 4 2 0 1 9 4 1 0 0 1 6 0 7 1 1 .200
通算 4年 209 521 75 114 20 1 33 235 91 4 2 0 6 54 2 215 7 3 .219


  AAA成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
15 AAA 73 264 33 62 8 0 4 82 27 8 1 1 4 26 4 81 15 2 .235
16 AAA 57 201 39 65 24 0 13 128 49 5 0 0 1 32 0 59 9 4 .323
17 AAA 47 171 29 47 14 1 10 93 32 0 0 0 1 18 0 52 4 1 .275
18 AAA 26 99 14 25 9 0 6 52 14 0 0 0 0 8 1 32 3 3 .253
18 AAA 9 38 6 10 2 1 3 23 8 0 0 0 0 1 1 10 0 1 .263
19 AAA 15 54 15 18 3 0 4 33 10 3 1 0 1 8 0 17 3 4 .333
通算 5年 227 827 136 227 60 2 40 411 140 16 2 1 7 93 6 251 34 15 .274


  AA成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
12 AA 2 7 2 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0 .286
13 AA 83 319 43 82 17 1 6 119 40 4 0 0 3 41 3 79 12 1 .257
14 AA 105 396 56 109 20 5 9 166 47 3 2 0 3 36 2 80 7 7 .275
15 AA 21 77 8 20 5 2 2 35 8 3 2 0 0 8 1 16 4 1 .260
16 AA 50 177 22 46 10 1 4 70 29 1 1 0 2 30 1 46 5 3 .260
17 AA 5 14 5 6 1 2 0 11 1 0 0 0 0 2 1 2 0 0 .429
通算 6年 266 990 136 265 53 11 21 403 126 11 5 0 8 118 8 224 28 12 .268


  A成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 A- 27 96 16 31 10 1 3 52 14 7 0 0 2 10 4 23 0 6 .323
12 A 70 266 69 85 22 5 14 159 54 17 2 0 3 37 3 68 7 1 .320
12 A+ 36 134 20 43 13 1 2 64 23 6 0 0 0 12 2 28 3 3 .321
通算 2年 133 496 105 159 45 7 19 275 91 30 2 0 5 59 9 119 10 10 .321


  ルーキーリーグ成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
10 Rk 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 0 0 .000
11 Rk 20 82 13 32 8 1 3 51 22 11 0 0 0 5 2 16 0 2 .390
12 Rk 2 6 1 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 1 0 1 0 0 .500
13 Rk 2 6 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .667
通算 4年 26 96 15 39 8 1 4 61 24 11 0 0 0 7 4 18 0 2 .406


  オリンピック成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
21 アメリカ 6 24 5 10 3 0 2 19 7 0 0 0 0 2 0 7 0 0 .417
通算 1年 6 24 5 10 3 0 2 19 7 0 0 0 0 2 0 7 0 0 .417