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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
内村 賢介
23
名前
うちむら けんすけ
生年月日
1986年3月17日
経歴
山梨学院大付高−JFE西日本−BCリーグ・石川−楽天(07年育成D1巡目)−横浜
入団年
12年シーズン途中に楽天から移籍
在籍年
12年−16年
背番号
12年−16年[23]
投打
右投げ両打ち
守備
内野手
:
運動会の練習で骨折
:
中学時代には大田シニアに所属したが、3年夏の全国大会予選には直前に行なわれた運動会の練習中に右腕を骨折して出場できなかった。また帝京への進学を目指していたが、その骨折で練習会に参加できず、身長が162センチと小柄だった事もあって帝京には入学できず山梨学院大付高に進学した。山梨学院大付では本職のショートではなく有力な選手が居なかったセカンドでノックを受けて監督の目に止まり1年の夏にベンチ入り。秋からショートのスタメンを任されたが、2年夏の県大会予選では準決勝で内村のエラーから失点が重なって市川高に敗れてしまった。
:
甲子園出場ならず
:
2年の秋には秋季大会の直前に左手首を骨折したが監督命令で秋季大会に出場する事になった。内村は自分でギブスを切って、激しい痛みに耐えながら全試合に出場して県大会で優勝に貢献した。続く関東大会では2回戦で破れて甲子園出場はならなかったが、内村はそのまま甲子園に出場していれば手術が出来なかったので「先のことを考えれば自分にとっては良かったのかもしれません」と前向きにとらえた。
:
社会人日本一も
:
高校卒業後は家庭の事情もあって社会人野球に絞って数多くのテストを受けてJFE西日本に合格。1年目の日本選手権では0対0のまま延長戦に突入した大阪ガスとの決勝戦で守備固めとして起用されて、能見(その後に阪神入団)からセンター前ヒットを放った。試合は延長15回の末に競り勝って日本一となったが、内村は予選/本大会を通じて出場機会に恵まれなかった事もあって充実感は持てなかった。
:
退社
:
JFE西日本ではスイッチヒッターに挑戦するなどアピールを続けたがチャンスが貰えず、試合に出れないまま野球を続ける事に限界を感じた内村は3年目の夏に練習前のロッカールームで荷物をまとめて会社から逃げ出した。数時間後に携帯電話の電源を入れると母親からたくさんの着信があり、内村は街中で泣きながら「もう辞めるわ」と母親に伝えた。
:
独立リーグへ
:
野球をやめる事を覚悟した内村は会社を退職して東京の実家に戻った。そして中学時代の恩師である大田シニアの阿部監督の元を訪れて退社した事を告げると、その数日後に阿部監督から電話があって来年から北信越BCリーグという独立リーグが出来るのでトライアウトを受けることを進められた。
:
BCリーグで飛躍
:
合同トライアウトに合格した内村は分配ドラフトで石川ミリオンスターズに入団。月給15万円程度で朝8時から配送の仕事して夕方から試合または練習という厳しい生活になったが、NPBで15年間に渡って活躍した金森栄治監督から打撃技術を学び、数多くの試合に出れる環境で大きく飛躍する1年間となった。中でも金森監督から高校時代から続けてきた左打ちを止めて右打席に絞る事をアドバイスされ、徹底的に基本を鍛えられた打撃は目覚しい進歩を遂げ、7月には46打数21安打で打率.457を記録して月間MVPに選出された。
:
初代盗塁王
:
内村の活躍もあって石川ミリオンスターズは10月16日に行なわれた富山サンダーバーズとの直接対決を16対15で制して見事にBCリーグの初代王者に輝いた。内村は全72試合に出場して、通算打率は.271(280打数76安打)に留まったが、31盗塁で初代盗塁王に輝いた。また華麗な守備と走塁で数多くのファンに支持されてファンが選ぶ月間MVPに6月、7月と連続して選出された。
:
ドラフトで育成指名
:
シーズン終了後の11月19日に運送会社での仕分け作業を終えて、安原スポーツ広場でウオーミングアップを行なっていた内村に中居殉也コーチから、同日のドラフト会議で楽天から育成1位で指名されたことを告げられた。指名はないと思っていた内村は「頭の中が真っ白になった」。またBCリーグ出身選手として初のNPB所属選手になった内村は、身長163センチという当時の12球団で最も背の低い選手になった。
:
支配下登録
:
ルーキーイヤーの08年にはイースタンリーグで打率.273、出塁率.365、わずか128打数で6本の三塁打を放つなど長打率も.445を記録して、7月23日に米田球団代表から「最初の目標だった」という支配下登録を告げられた。8月3日の日本ハム戦で7回裏にフェルナンデスの代走として一軍初出場を果たすと山崎のツーランで初得点。そのまま守備に入って8回裏の初打席で歌藤から高いバウンドのピッチャーゴロで初安打となる内野安打を記録。続くリックのツーランでホームインして2得点目を記録した。
:
GO・GO賞
:
野村監督の提案でスイッチヒッターへの再転向した内村は、一軍でも47試合に出場して打率.289(152打数44安打)、21得点に9盗塁、15犠打を記録するなど育成選手のルーキーイヤーとしては申し分のない成績を残した。翌09年には4月22日のロッテ戦で7回裏二死一塁という場面で渡辺俊からツーベースを放つと、続く嶋のライト前ヒットでサブローのバックホームを回りこんでホームインして、JA全農GO・GO賞の好走塁賞を受賞した。だが同年は打撃が打率.162と結果が残せず主に代走として起用された。
:
再びGO・GO賞
:
10年には7月2日の日本ハム戦で2対2の同点で迎えた8回表に坪井が放ったライト前への飛球をセカンドの内村が背中越しの好捕して、またもJA全農GO・GO賞を受賞した(好補賞)。同年には二遊間に加えて外野手としても12試合で起用されるなど111試合に出場して、規定不足ながら打率.304(230打数70安打)を記録した。
:
ランニングホームランで初本塁打
:
11年は松井稼、岩村の加入で代走、守備固めに回ったが、岩村の不調で回ってきたチャンスを掴むと、9月24日のソフトバンク戦では第二打席でレフト線に飛球を放つと、捕球を試みたレフトの内川が弾いて打球がレフトフェンスまで転がる間に内村は一気に二塁、三塁を蹴ってホームに還り、2リーグ制以降では史上5人目となるランニングホームランでの初本塁打を記録した。同年には2番セカンドとして打率.271、リーグ5位の31盗塁、同3位の42犠打を記録するなど持ち味を発揮した。
:
横浜移籍
:
12年は打率1割台という不振に陥って6月24日に藤田とのトレードで横浜に移籍した。移籍後初出場となった27日のヤクルト戦ではいきなりエラーをしてしまったが、その裏の打席で移籍後初打席初安打を記録。初スタメンとなった7月7日の中日戦で2安打を放つと球宴明けには故障で抹消となった石川、梶谷に代わってレギュラーに定着。8月7日のヤクルト戦で4安打4打点を記録するなど一時は打率を3割に載せたが、レフトが極端な前進守備を獲るなどのシフトを敷かれて打率が急降下してしまった。だがわずか77試合の出場でチーム3位の31四球にトップの21犠打、22回の企画で失敗4という高い盗塁成功率と2番打者として光るものを見せた。
:
両足首を手術
:
13年は開幕から2番セカンドを任されてスタメン出場を続けると、4月には8盗塁を成功させるなどらしさを見せていたが、打撃不振が響いて6月中旬からスタメン降格。主に代走、守備固めとしての起用が続いたが、代走としては1つも盗塁を決められなかった。シーズン終了後には楽天時代から痛めていた両足首を手術した。翌14年は手術した両足の状態がなかなか戻らず、わずか4試合出場に留まった。二軍では77試合に出場したが6盗塁に対して失敗11、打率も.236に終わって厳しい立場に追い込まれた。
:
9月に活躍
:
15年も10打数連続ノーヒットと苦しんだが、9月1日の中日戦で又吉から同年の初ヒットを放つと、4日の巨人戦では8回裏に大逆転に繋げるセンター前ヒットを含む2安打を放ち、守備でも好守も見せたが、9回表に山崎康の初めてのセーブ失敗で追いつかれた直後に大田のセカンドゴロを弾いて逆転負けに繋げてしまった。だが20日の広島戦では2点リードの8回裏に迎えた一死一、二塁のピンチで菊池が放ったセカンド頭上へのライナーを小さな体で精一杯ジャンプして好捕すると素早く二塁へ送球して併殺を完成させて勝利に貢献した。翌16年は一軍出場なしに終わって戦力外通告を受け、トライアウトを受験、クラブチームのREVENGE99で野球を続けた。
初記録
初出場
08年8月3日日本ハム戦
初安打
08年8月3日日本ハム戦:歌藤から
初本塁打
11年9月24日ソフトバンク戦:ランニングで
初打点
08年8月19日オリックス戦
初盗塁
08年8月16日ロッテ戦:6回表に二盗
その他の記録
GO・GO賞
09年4月、10年7月
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
08
楽天
47
152
21
44
5
0
0
49
13
9
3
15
1
6
3
21
2
4
.289
09
楽天
62
68
14
11
2
0
0
13
5
10
2
7
0
10
0
14
2
5
.162
10
楽天
111
230
43
70
5
2
0
79
12
10
7
14
2
23
1
32
3
7
.304
11
楽天
123
321
37
87
5
3
1
101
30
31
10
42
1
23
3
53
5
7
.271
12
楽天
55
113
10
19
1
1
0
22
12
8
1
11
0
6
1
23
0
5
.168
12
横浜
77
236
30
56
6
0
0
62
18
18
4
21
1
31
0
40
4
2
.237
13
横浜
89
223
33
46
3
1
0
51
6
12
8
22
2
20
2
43
2
1
.206
14
横浜
4
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
15
横浜
28
39
8
7
0
0
0
7
1
2
1
5
0
2
0
9
0
2
.179
球団
4年
198
500
71
109
9
1
0
120
25
32
13
48
3
53
2
92
6
5
.218
通算
9年
596
1384
196
340
27
7
1
384
97
100
36
137
7
121
10
235
18
33
.246
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
09
楽天
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
1年
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
08
楽天
56
128
31
35
4
6
2
57
20
6
7
1
19
10
4
8
.273
09
楽天
20
59
14
15
0
1
0
17
5
7
5
0
8
9
2
0
.254
10
楽天
1
4
4
3
1
1
0
6
3
0
0
0
1
0
0
0
.750
11
楽天
19
63
12
15
0
1
0
17
3
2
6
0
10
10
1
0
.238
12
楽天
1
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
0
1
.000
13
横浜
14
55
5
11
1
0
0
12
1
6
3
0
5
9
0
0
.200
14
横浜
77
225
34
53
6
0
0
59
12
6
8
1
29
30
8
6
.236
15
横浜
65
181
22
44
8
1
0
54
16
8
5
0
16
19
4
2
.243
16
横浜
69
157
25
36
2
1
0
40
7
11
7
1
22
24
2
8
.229
通算
9年
322
875
147
212
22
11
2
262
67
46
41
3
111
112
21
25
.242