山下 峻
48
|
名前 |
やました しゅん |
生年月日 |
1991年8月19日 |
経歴 |
広島国際学院高−松本大−横浜(13年D6位) |
入団年 |
13年ドラフト6位 |
在籍年 |
14年−16年 |
背番号 |
14年−16年[48] |
投打 |
左投げ左打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:横浜入団:
小学校4年からソフトボールを始めて、中学から硬式野球に転向。だが中学1年の夏に小児ガン(白血病)と診断されて2年間の苦しい闘病生活を送ることになった。特に最初の半年間は薬の副作用で激しい吐き気に襲われ、髪の毛も抜け落ち、食事も満足に取れない入院生活が続いた。退院後は1年半の通院生活を送りながら復帰を志したが、半年間の寝たきり生活で体が弱り切っており、ランニングで足が疲労骨折するなどトレーニングもままならない状態が続いた。
::
広島国際学院高では1年時に球速90キロととてもプロを目指せるレベルではなかったが、3年時には2番手投手にまで成長した。松本大の二宮至監督の目に留まって松山大へ進学。恩師となった二宮至監督は横浜DeNAのコーチに就任し大学を離れたが「とにかく走れ」という教えを守って急勾配の山道を走り込んだ。1部昇格を果たした3年時には3勝を記録し、4年秋には防御率0.20を記録。同年のドラフト会議で横浜から6位指名を受けて入団した。新人合同自主トレで恒例となっている1.5キロの山登り走では圧勝し、視察に訪れていた二宮コーチに走り込んできた成果を見せた。
:引退:
ルーキーイヤーに肩を痛めてイースタン・リーグでの7試合登板に終わると、2年目には肘、3年目にもわき腹と故障を重ねて3年間のプロ野球生活で20試合の二軍登板のみに留まった。中学時代に病気で半年間の入院を経験していた事もあって引退後は保険代理店の営業などを経てタクシー会社の社長に転身した。 |
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
14 |
横浜 |
7 |
0 |
1 |
2 |
1 |
25.0 |
28 |
1 |
10 |
12 |
10 |
10 |
3.60 |
15 |
横浜 |
6 |
0 |
0 |
1 |
0 |
6.0 |
8 |
0 |
6 |
6 |
6 |
6 |
9.00 |
16 |
横浜 |
7 |
0 |
0 |
2 |
0 |
13.0 |
17 |
1 |
19 |
7 |
18 |
18 |
12.46 |
|
通算 |
3年 |
20 |
0 |
1 |
5 |
1 |
44.0 |
53 |
2 |
35 |
25 |
34 |
34 |
6.95 |
|
|
|