有吉 優樹
67
|
名前 |
ありよし ゆうき |
生年月日 |
1991年3月12日 |
経歴 |
東金高−東京情報大−九州三菱自動車−ロッテ(16年D5位)−横浜 |
入団年 |
21年シーズン途中にロッテから移籍 |
在籍年 |
21年途中−22年 |
背番号 |
21年途中−22年[67] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:公立高で:
九十九里浜にほど近い千葉県の白里市で生まれ育った。地元の公立高である東金高に進学、投手兼ショートとしてプレー、2年夏には県ベスト16まで進出した。東京情報大に進学すると2年秋から千葉県大学野球リーグに出場、3年春には主力投手になってリーグ優勝に貢献、大学選手権でも東京国際大戦で先発して7.2回を1失点に抑える好投を見せた。4年時にはエースになって春に3勝2敗で防御率2.14、秋には最多勝となる5勝3敗で防御率1.18という好成績を残した。
:福岡へ:
大学までは地元の千葉で過ごし、妹も千葉マリンで売り子を務めていたが、大学卒業後は遠く離れた福岡の九州三菱自動車へ入社した。三菱自動車では車の営業マンとして活躍、社業優先のチームだった事もあって野球の練習中もポケットに携帯電話を入れて顧客との連絡を保った。1日20件の営業ノルマで一日中外回りで練習ができない日もあったが、ダイエーで100勝を挙げた山内投手コーチから内角攻めの投球スタイルを伝授されて飛躍のきっかけをつかんだ。
:ロッテ入団:
社会人3年目に西部ガスの補強選手で都市対抗野球に出場、同年の優勝チームになる日本生命を相手に6回2失点に抑える好投を見せた。社会人4年目となって年齢的にプロ入りが厳しくなってきた16年には日本選手権の九州最終予選決勝で強豪のJR九州を8回1失点に抑えて、同年のドラフト会議で千葉ロッテから5位指名を受けた。
:入団会見:
社会人時代には300人以上の顧客を持ち30台以上の販売実績を残し、ドラフト会議の当日も営業でお客様回りをしていた。入団会見で「指名されてお客様からも喜んでいただきました。福岡なのでほとんどがホークスファンですが『有吉くんが投げる時は応援するよ』と声をかけていただき、嬉しかったです」とコメントした。また「自分自身を営業マンとして球団社長に売り込むなら」という無茶ぶりをされると、「この有吉なんですけど、とても馬力があって、長持ちする商品になっております。ぜひ沢山使ってください。よろしくお願いします」と営業トークを見せた。
:初登板:
社会人時代は先発だったが中継ぎに転向すると、オープン戦で7試合に登板して無失点に抑えて開幕一軍を勝ち取った。準地元の九州で行われたソフトバンクとの開幕戦で8回裏の二死からマウンドに上がると、内川を初球でセンターフライに打ち取ってプロデビュー、次戦からも好投を続けて10連続試合無失点を記録した。
:4失点×2:
5月9日の楽天戦で初失点を喫すると、13日の日本ハム戦では12試合目にして初めての四球を与えると代打矢野と近藤のタイムリーで4失点を喫して敗戦投手になってしまった。24日のソフトバンク戦でも四球から満塁のピンチを作ると内川に初球をレフトスタンドへ叩き込まれて満塁被弾、防御率は5点台まで悪化した。
:初勝利:
6月からは状態を上げて徐々に信頼を取り戻すと、7月18日のオリックス戦ではイニングまたぎとなった6回表にエラーで招いた一死三塁という場面で吉田正をショートフライ、続くロメロもショートフライに打ち取ってピンチを切り抜けると、その裏にロッテが勝ち越して有吉に嬉しい初勝利が記録された。勝ちパターンでの起用も増えて8月11日の西武戦から13試合連続無失点を記録、同年は53試合に登板して防御率2.87、53.1回を投げて14四球という素晴らしい成績を残した。
:先発転向:
18年は開幕から打ち込まれる日々が続いたが、5月23日の日本ハム戦で先発のチャンス貰うと、雨天の厳しいコンディションの中で5回を7安打1四球で2失点に抑えた。中継ぎ時代は封印していたカーブも解禁し、6月6日の中日戦では7.1回3安打1四球で無失点に抑えて先発初勝利、続く横浜戦でも7回を佐野のソロのみに抑えて連勝、続く楽天戦にも勝って3連勝を記録した。左足首を捻挫した事もあって登板間隔が空いたが、8月に復帰すると再び3連勝を記録、中でも8月28日には9連勝中のソフトバンクと対戦、7回を8安打3四球ながら1失点に抑えてお立ち台に上がった。シーズン終盤の消化試合で大幅に数字を落としたが6勝5敗で防御率3.74を記録した。
:ひじを手術:
19年は楽天との開幕第3戦を任されたが持ち味のコントロール、球速ともに精彩を欠いて5回途中5失点、続くソフトバンク戦ではデスパイネ、内川に連続ホームランを被弾するなど3回途中6失点でKOされた。右ひじのクリーニング手術を受けて同年は2試合の登板に留まった。10月9日にフェニックス・リーグのハンファ戦で実戦復帰、手術前は140キロ台中盤だった球速は140キロそこそこに落ちた事もあってスライダー、チェンジアップ、シンカー、スローカーブを散らすスタイルにモデルチェンジした。
:復活勝利:
20年の6月21日にイースタンリーグの横浜戦で公式戦復帰、5回を投げて2安打2四球に抑える好投を見せて一軍に昇格、1試合の救援登板を挟んで迎えた7月7日の西武戦で先発を任されると、5回まで4安打無四球に抑えて試合を作り、1点差に追い上げられてなおも無死二塁となった6回表には山川を内角ストレートでセンターフライ、森を空振り三振、木村も空振り三振と粘って679日ぶりに勝利投手になった。だが続く日本ハム戦では中田にスリーランを被弾して3回4失点KOとなり抹消となった。同年は肘の状態が上がらずイースタンリーグでも今一つの成績に終わって再昇格は果たせなかった。
:横浜移籍:
21年は5月13日にイースタンリーグの横浜戦で6回を森の1安打のみに抑えるなど二軍で好投を続けていたが、6月14日に国吉とのトレードで横浜へ移籍となった。トレード発表直前の6月12日に行われたイースタンリーグのヤクルト戦が最後のロッテのユニホームとなったが3回で被安打10と打ち込まれて降板となった。
:移籍後初登板:
移籍後初登板となった7月9日の中日戦ではストライクを集めすぎて3回までに6安打を許したが、2回裏の無死満塁を犠飛の1点で切り抜けるなど粘りを見せ、中盤からはボール球も散らして11者連続凡退に打ち取るなど試合を作ったが、1対1で迎えた7回裏に木下に勝ち越し弾を浴びて惜しくも敗戦投手になった。後半戦のローテ投手として期待されたが、東京五輪の中断期間中に打球を右足に受けて離脱、その後も故障に苦しんで同年の1軍登板は1試合のみに終わった。
:戦力外:
22年はイースタンリーグで好投を続けて5月22日のヤクルト戦で1軍先発のチャンスを貰ったが、初回に先頭の塩見に死球をぶつけてしまうと、続く山崎に右中間を破られて先取点を奪われるなど2失点、2回表にも塩見のタイムリーと試合を作れず4回3失点KOで抹消となった。翌週の2軍登板で2回13安打9失点と大炎上、8月にはコロナウイルスで離脱するなど再昇格は果たせず戦力外通告を受けた。
:有吉:
お笑い芸人で広島ファンとしても知られる元猿岩石の有吉 弘行と同性であることから、涌井のいじりでルーキーイヤーの登場曲は猿岩石の「白い雲のように」を使用していた。2年目には変更したが、同年の4月29日に有吉
弘行がTwitterで「広島が血液に染み込んでいるカープファンですが、同姓という特殊事情でロッテの有吉投手も応援しています。何卒お身体ご自愛ください」とツイートした事を受けて登場曲を戻した。また有吉が初勝利を挙げた際にも「ロッテ有吉投手!おめでとうございます!!同姓会万歳!!」と祝福を受けた。 |
|
初記録 |
初登板 |
2017年3月31日ソフトバンク戦 |
初勝利 |
2017年7月18日オリックス戦 |
初奪三振 |
2017年4月22日オリックス戦:若月から |
初完投 |
|
初セーブ |
2017年9月21日西武戦 |
|
|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
17 |
ロッテ |
53 |
0 |
0 |
2 |
5 |
1 |
53.1 |
48 |
4 |
14 |
3 |
27 |
0 |
0 |
17 |
17 |
2.87 |
18 |
ロッテ |
29 |
0 |
0 |
6 |
5 |
0 |
106.0 |
118 |
15 |
31 |
4 |
54 |
2 |
0 |
50 |
44 |
3.74 |
19 |
ロッテ |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
7.1 |
12 |
4 |
5 |
0 |
2 |
0 |
0 |
11 |
11 |
13.50 |
20 |
ロッテ |
3 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
11.0 |
15 |
1 |
2 |
0 |
5 |
0 |
0 |
6 |
6 |
4.91 |
21 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
6.2 |
8 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
2 |
2 |
2.70 |
22 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
4.0 |
4 |
0 |
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
3 |
3 |
6.75 |
|
球団 |
2年 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
10.2 |
12 |
1 |
1 |
1 |
4 |
0 |
0 |
5 |
5 |
4.22 |
|
通算 |
6年 |
89 |
0 |
0 |
9 |
15 |
1 |
188.1 |
205 |
25 |
53 |
8 |
92 |
2 |
0 |
89 |
83 |
3.97 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
ロッテ |
53 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
18 |
ロッテ |
29 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
.000 |
19 |
ロッテ |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
20 |
ロッテ |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
21 |
横浜 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
22 |
横浜 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
球団 |
2年 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
6年 |
89 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
1 |
.000 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
18 |
ロッテ |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
8.0 |
8 |
0 |
2 |
9 |
1 |
1 |
1.13 |
20 |
ロッテ |
11 |
0 |
4 |
4 |
0 |
56.0 |
69 |
7 |
13 |
29 |
24 |
23 |
3.70 |
21 |
ロッテ |
8 |
0 |
3 |
2 |
0 |
31.0 |
34 |
1 |
2 |
6 |
14 |
13 |
3.77 |
21 |
横浜 |
8 |
0 |
0 |
4 |
1 |
26.2 |
53 |
8 |
5 |
15 |
33 |
32 |
10.80 |
22 |
横浜 |
17 |
0 |
6 |
1 |
0 |
69.2 |
78 |
5 |
14 |
32 |
24 |
19 |
2.45 |
|
通算 |
4年 |
46 |
0 |
13 |
11 |
2 |
191.1 |
242 |
21 |
36 |
91 |
96 |
88 |
4.14 |
|
|
|