:ツインズ入団:
ドミニカ共和国で生まれる。11年11月にツインズと契約。14年にトミージョン手術を受けて、翌15年はシーズンを全休した。16年にはAで5試合に登板し防御率1.93、A+でも11試合に登板して防御率1.88という好成績を残して、翌17年には若手の有望選手を紹介する「MLB公式プロスペクト」で71位にランクインした。同年にはAAで23試合の先発を含む24試合に登板して11勝9敗、防御率3.53を記録した。
:デビューから連続イニング無失点:
18年には4月22日にAAAで6.2回を投げて2安打2四球で10奪三振を記録して5月2日にMLB初昇格を果たした。同日のブルージェイズ戦で先発を任されると、粘り強いピッチングで5.2回を4安打3四球で無失点に抑えて初登板初勝利を記録した。続くカージナルス戦でも6回を3安打3四球で無失点に抑えて連勝を記録した。5月13日のエンゼルス戦では5回裏に内野ゴロの間に1点を奪われて、MLBデビューからの連続イニング無失点が16.0回でストップしたが5回を投げて4安打3四球で1失点に抑える好投を見せた。だがツインズ打線が大谷に6.1回で11奪三振を喫するなどロメロを援護できずMLBデビューからの3戦3勝は逃した。
:11試合で先発:
5月25日のマリナーズ戦では7回を投げて5安打2四球で2失点に抑えながら敗戦投手になってしまうと、続くロイヤルズ戦では初回に2点の先制を許すと、2回裏には6安打を集中されて1.2回8失点でKOとなり大幅に数字を落とした。6月にも4試合に先発して10日のエンゼルス戦で5回3失点で3勝を目を上げたが、シーズン後半はマイナー暮らしとなった。同年はMLBで11試合に先発して3勝3敗、防御率4.69を記録した。
:横浜移籍:
19年はリリーフとしてMLBで15試合に登板したが防御率7.07と結果を残せなかった。翌20年はスプリングトレーニングへ向かう途中にマイアミの税関で入国できず(一部報道ではマリファナ所持)、ビザも発給されなかったため登板できなかった。同年の12月25日に横浜と契約、初年度はコロナウイルスの影響で来日が開幕戦翌日までずれ込み、空港検査でコロナウイルス陽性となったため隔離期間が長期化してチーム合流が遅れた。
:初登板:
2軍調整を経て5月8日に1軍昇格、同日の阪神戦で先発すると3回までは1安打無四球に抑えたが、ツーシーム以外の変化球(スライダー、チェンジアップ)が制球できなかったため2巡目からはツーシームを狙い打たれて5回4失点で降板となった。翌週の広島戦も制球に苦しんで3.2回5失点KO、さらに続くヤクルト戦でも拙守に足を引っ張られたこともあって3.1回で87球を投じて2失点降板、大量援護を受けたオリックス戦でも2巡目に5連続出塁を許すなど課題から抜け出せず抹消となった。
:適応:
クイックや牽制球にも不安を残すなど厳しい船出となったが、ファーム降格後は三浦監督から勧められたカットボールを学び、大家コーチからも多くのアドバイスを受けて日本野球に適応、変化球の制球力も徐々に改善し、再昇格を果たした7月11日の中日戦では6回裏のソトのエラーで初勝利こそ逃したが5回までは1安打1四球とほぼ完ぺきに抑える好投を見せた。東京五輪の中断期間が明けると8月21日の巨人戦で5回まで無失点に抑えると、6回表には自ら先頭打者としてセンター前ヒットで出塁したが、その裏に死球から崩れて降板、続くヤクルト戦でも6回を村上のツーランのみに抑えながら引き分けに終わるなど好投を見せながら初勝利を逃し続けた。
:初勝利、初完封:
9月4日の中日戦も援護が得られない苦しい試合展開となったが6回を7安打2四球で1失点に抑えると、ロメロへの代打が起用された7回表に佐野のツーランで勝ち越してロメロに待望の初勝利が記録された。お立ち台に上がったロメロは「セオイナゲ、ウンチョコチョコピー、ドンダケー!」と覚えたての日本語を披露した。続く巨人戦でも7.1回を5安打3四球で2失点に抑えて連勝、20日の中日戦ではゴロアウトを量産して4併殺を奪うなど持ち味を生かして6安打3四球の3奪三振で初完投初完封を達成、ハマスタでは初のお立ち台に上がると、ここでも「ロモチャン、ペ!」と明るいキャラクターを見せてスタンドを沸かせた。
:後半戦に好成績:
10月に入っても好投を続けて最終登板となった22日の中日戦では毎回のように走者を背負いながらも4イニング連続併殺で7回1失点に抑えて防御率を3.01まで良化させた。同年は14試合の登板で80.2回を投げて5勝3敗、WHIP1.48ながら、7月以降に限れば10試合の登板で65.2回を投げて5勝1敗、防御率1.92、WHIP1.25という素晴らしい成績を残した。
:中日戦で好投も:
22年は開幕2カード目の初戦を任されると、得意の中日打線を相手に8回を投げて3安打1四球という完璧なピッチングを見せた。だが続く4月5日の阪神戦では初回にわずか8球で3失点を喫するなど4回4失点で降板すると、そこから5試合連続で4失点以上を記録するなど打ち込まれる日々が続いた。5月10日の巨人戦では7回1失点に抑えて復調の期待を持たせたが次戦から再び打ち込まれる試合が続いて抹消となった。7月10日に昇格を果たすと得意の中日戦では3試合連続で好投を見せたが、他カードでは好結果は残せず同年限りで退団となった。 |
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