入江 大生
22
|
名前 |
いりえ たいせい |
生年月日 |
1998年8月26日 |
経歴 |
作新学院高−明治大−横浜(20年D1位) |
入団年 |
20年ドラフト1位 |
在籍年 |
21年− |
背番号 |
21年−[22] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:作新学院:
栃木県の日光東照宮のほど近くで生まれ育った。小学校3年の時に通っていた学童保育の遊び場で遊んでいたときに隣の野球場から転がってきたボールを投げ返したところ「いいボールなげるな。うちのチームに入ってくれよ」と誘われて野球を初める。中学時代には県央宇都宮ボーイズで投手と外野手でプレーして全国ベスト8。作新学院入学時は181センチの長身ながら軽量でゴボウと呼ばれていたが、好物のお菓子を封印してコーチお手製のチャーハンでパワーをつけた。
:今井:
作新学院では1年の秋からベンチ入り。2年夏には1イニングながら甲子園のマウンドを踏んだ。3年春からエースとなったが県大会で打ち込まれて夏は西武から1位指名を受ける今井にエースの座を奪われた。最後の夏は4番ファースト件投手としてプレー、県大会では打っては打率.571、投げても10.1回を1失点とチームを引っ張って2年連続の甲子園出場を果たした。
:甲子園で3試合連続ホームラン:
甲子園では2回戦の尽誠学園戦、3回戦の花咲徳栄戦と2試合連続ホームランを記録すると、続く木更津総合戦では2試合連続完封中だった早川 隆久から先制ソロを放って史上7人目の3試合連続ホームランを達成した。準決勝の明徳義塾戦では1回を投げて無失点にも抑えると、北海高校との決勝戦では入江が選んだ四球から打線が爆発して快勝、54年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げた。
:明治大学:
野手としてU-18の日本代表にも選出されたが、明治大学に進学すると投手に専念した。だが全国制覇を成し遂げた事で燃え尽きてなかなか気持ちが戻ってこなかった。2年のオフに栃木に帰省した際に友達から「プロに行ってね」と声をかけられた事が転機となって奮起、ウエイトトレーニングや1日5食以上にサプリを組み合わせた食事で5キロ以上体重を増加させた。
:森下:
明治大学では1学年上に森下、伊勢がいたためなかなか大きなチャンスを貰えなかったが、森下の練習や投球フォームを参考に力をつけて、3年秋には東大2回戦でリリーフして150キロを記録した。4年時には二刀流挑戦を宣言したがコロナウイルスの影響で延期と日程短縮でアピールの機会が減少した。
:早川の再戦:
4年秋には早稲田戦で早川との投げ合いが始めて実現、早川が「入学した頃から入江と投げ合おうと言ってきた」と語るなど念願の一戦だったが、早川が17奪三振という圧巻の投球を見せて5回6失点の入江に完勝、甲子園のリベンジを果たされた。立教戦では2被弾を喫するなどドラフト会議を前にして力みが見えていたが、法政戦では投球フォームをセットポジションに変更にして脱力を測り、7安打を打たれながらも13奪三振を奪って初完封、慶応戦では木澤と投げ合って引き分けとなったが4安打10奪三振の2失点に抑えて評価を大幅に上げた。ドラフト会議で横浜から1位指名を受けて入団。
:4戦:
自主トレから12球団の新人で最速のブルペン入りを果たし、持ちギャグが「2000個ある」と明るい性格もアピールして話題を集めた。開幕ローテに残って3月31日のヤクルト戦で初登板、4回までは試合を作ったが5回表に村上に左中間へ特大ツーランを運ばれて5回5失点のほろ苦デビューとなった。続く中日戦では好投を見せたが味方の拙守や、ロージンを拾おうとしてのボーグを犯すなど不運もあって5回3安打1四球ながら3失点で敗戦、その後もヤクルト戦で塩見、山田に被弾して5失点、中日戦ではイニング5失点と試合を作れず4戦4敗で登録抹消となった。5月4日に右肘の張りを訴えて離脱、7月に2軍で登板したが、8月16日にクリーニング手術を受けた。
:56:
22年は持ち味のストレートを生かせるリリーフに転向、当初は主にロングリリーフで起用されて5月5日の中日戦で6点リードの7回表にマウンドに上がって2回を1安打4奪三振に抑えて初勝利を記録した。6月に入ると状態を上げて1日の西武戦で1.1回3奪三振、3日の楽天戦では2回4奪三振、12日のロッテ戦で1.1回3奪三振と三振を量産した。勝ちパターンに昇格した7月には8.1回を3安打1四球の無失点に抑えて、8月19日の広島戦まで15試合連続無失点に抑え込んだ。シーズン最終戦では大きな注目を集めていた村上の最終打席の相手となり、真っ向勝負のストレートをライトスタンドに運ばれて日本人選手の新記録となる56号を被弾して歴史に名前を残した。
::
23年は4月に9試合に登板して8.1回を1失点に抑えたが、コンディション不良もあってか5月以降は間隔を空けながら登板となり、同年は32試合に登板したが8月11日に抹消となり以降はファーム登板もなくシーズンを終えた。 |
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初記録 |
初登板 |
2021年3月31日ヤクルト戦 |
初勝利 |
2022年5月5日中日戦 |
初奪三振 |
2021年3月31日ヤクルト戦:塩見から |
初完投 |
|
初セーブ |
|
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|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
21 |
横浜 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
18.1 |
22 |
4 |
5 |
1 |
14 |
1 |
1 |
18 |
16 |
7.85 |
22 |
横浜 |
57 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
63.0 |
49 |
4 |
26 |
1 |
69 |
2 |
0 |
23 |
21 |
3.00 |
23 |
横浜 |
32 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
30.0 |
29 |
0 |
16 |
2 |
32 |
1 |
0 |
11 |
9 |
2.70 |
|
通算 |
3年 |
93 |
0 |
0 |
6 |
6 |
0 |
111.1 |
100 |
8 |
47 |
4 |
115 |
4 |
1 |
52 |
46 |
3.72 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
21 |
横浜 |
4 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
22 |
横浜 |
57 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
23 |
横浜 |
32 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
3年 |
93 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
クライマックスシリーズ投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
22 |
横浜 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3.0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
|
通算 |
1年 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3.0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
22 |
横浜 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
1年 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
21 |
横浜 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
6.0 |
7 |
0 |
5 |
7 |
4 |
4 |
6.00 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
通算 |
1年 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
6.0 |
7 |
0 |
5 |
7 |
4 |
4 |
6.00 |
|
|
|