:トレード:
12年のドラフト会議でレッドソックスから13巡目で指名されて契約。翌13年の7月30日にジェイク・ピービーらを含む三角トレードでホワイトソックスへ移籍、4年目の15年にAAで27試合に登板して防御率2.72、イニング数を大幅に上回る奪三振を記録してAAAでも12試合に登板した。同年のオフにアスレチックスへトレードで移籍。
:メジャーデビュー:
16年5月8日にMLB初昇格を果たすと同日のオリオールズ戦で3対7で迎えた7回裏からMLB初登板、先頭のアダム・ジョーンズにはレフト前ヒットを打たれたが後続は打ち取って無失点に抑えた。だが2イニング目の8回裏に無死満塁のピンチを背負うと、主砲マニー・マチャドに満塁ホームランを被弾してメジャーの洗礼を浴びた。同年は8試合に登板したが防御率9.95と好結果は残せず、9月にトミージョン手術を受けて翌17年シーズンは全休した。
:日本開催の開幕戦で登板:
18年はAAAで35.1回を投げて52奪三振という高い奪三振率を記録すると、夏場にメジャーへ昇格して13試合に登板、16.2回を投げて1失点という好成績を残した。翌19年には日本で開催されたマリナーズとの開幕戦で登板、翌日が引退試合となったイチローとの対戦はならなかったが2回を6者凡退に抑える活躍を見せると、4月には月間13試合に登板するなど同年には27試合に登板して防御率3.58を記録した。
:横浜移籍:
コロナウイルスの影響で60試合という短縮シーズンとなった20年には21試合に登板して防御率1.80を記録、18年から20年にかけての3年間はメジャーリーグで61試合に登板して防御率2.30、WHIP0.96という素晴らしい成績を記録した。21年はアスレチックスとダイアモンドバックスで自己最多となる46試合に登板したが防御率4.33、WHIP1.51という今一つの成績に留まった。22年も29試合の登板で防御率5.28と好結果は残せず、同年オフに横浜ベイスターズへ移籍した。
:61登板:
腰痛で開幕こそ出遅れたが4月9日の中日戦で初登板、細川、アキーノから連続三振を奪う完璧な内容でデビュー戦を飾った。当初はリリーフの4、5番手での起用だったが好投を続けてステップアップ、後半戦は8回に定着して7月に11試合、8月も11試合に登板して共に2失点に抑えると、激しくCSを争った9月には月間15試合に登板、26日の巨人戦からは故障の森原に代わって抑えを任されて3セーブも記録した。シーズンを通して活躍してリーグ2位の61登板、3位の33ホールドを記録、試合後のサインボール投げ入れではボールに日本語で様々な言葉を記し、自身のYouTubeで日本文化を家族で体験する模様を発信するなど人柄でもファンの心をつかんだ。 |
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