片山 皓心
47
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名前 |
かたやま ひろみ |
| 生年月日 |
1998年10月31日 |
| 経歴 |
茨城県立日立第一高等学校 −桐蔭横浜大−Honda−横浜(25年D4位) |
| 入団年 |
25年ドラフト4位 |
| 在籍年 |
26年− |
| 背番号 |
26年−[47] |
| 投打 |
左投げ左打ち |
| 守備 |
投手 |
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:進学校の二番手投手:
98年にベイスターズが日本一に輝いた5日後に茨城県ひたちなか市に生まれる。勝田スポーツ少年団で野球を始めて、中学時代も軟式野球をプレー。茨城の進学校である日立一に進学すると、2年時に背番号1はつけたが二番手投手で3年夏の背番号は20だった。片山の素質を高く評価していた中山監督からは「プロを目指せるぞ」と何度も声をかけられたが、当時の球速は130キロ前後でコントロールも不安定だったため片山はプロ入りを現実的な目標とは考えてはいなかった。
:4年秋に飛躍:
桐蔭横浜大に進学すると2年秋にリーグ戦で初登板、3年春には開幕投手を任されるなど期待されていたが肘を痛めて離脱、3年秋も登板できなかった。冬の練習でフォームのバランスが改善、手応えを掴んでいたがコロナウイルスの影響で4年春のリーグ戦、大学野球選手権、神宮大会が中止、野球部も活動休止となった。片山は実家に戻って小学校時代のチームメートにキャッチボールの相手を頼んで掴んだ感覚を体にしみこませた。エースになった4年秋に6勝1敗、防御率1.39で最優秀投手に選出された。関東選手権では3試合を完投して25奪三振の5失点でMVPを受賞、球速は148キロを記録した。
:ドラフト上位候補:
プロ志望届は提出せずに社会人のHondaに入社すると1年目からエース格として活躍、日本選手権ではパナソニック戦と日本生命戦で完投勝利を記録、準決勝の大阪ガス戦では9回に崩れたが8回までは無失点に抑えて大会の優秀賞に選出された。翌年のドラフト上位候補になり自身もプロ入りを意識していたが左ひじの疲労骨折で離脱、復帰までの期間が比較的な短くなる手術を選択したが、思ったような状態には戻らず再び左ひじを手術して2年以上マウンドから遠ざかった。
:オールドルーキー:
社会人4年目の24年4月に2年半ぶりに公式戦に復帰、10月1日の東京ガス戦では7回無失点に抑えて評価を高めて、ドラフト会議前に1球団から調査書が届いたが指名はなかった。5年目となった25年には都市対抗野球東京二次予選で12.1回で16奪三振を記録、鷺宮製作所戦では巨人からドラフト1位指名を受ける竹丸と互角に投げ合った。日本選手権予選の日立製作所戦で10奪三振の完封勝利を達成、同年のドラフト会議で横浜から4位指名を受けて入団、ドラフト会議から8日後に27歳というオールドルーキーという事もあって話題になった。 |
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| 初記録 |
| 初登板 |
2026年4月25日巨人戦 |
| 初勝利 |
2026年7月19日ヤクルト戦 |
| 初奪三振 |
2026年4月25日巨人戦:マタから |
| 初完投 |
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| 初セーブ |
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投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
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| 通算 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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| 通算 |
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二軍投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
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| 通算 |
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