:レッズ移籍:
マーシャル大学では最初の2シーズンは捕手としてプレー、2010年のドラフトでブルワーズから21巡目指名を受けて契約、2年間はルーキーリーグでプレーして経験を積んだ。12年にAへ昇格、同年からリリーフ専任になった。翌13年にはAAで20試合に登板して防御率1.84、WHIP1.02という好成績を残した。15年にレッズへトレードで移籍、翌16年にAAAへ初昇格、25試合の登板で防御率2.30、WHIP1.21を記録した。
:メジャーデビュー戦:
17年にはAAAで11試合連続無失点を記録するなど好投を続けた。奪三振率も急上昇して6月29日のブルワーズ戦でメジャーデビュー、0対6で迎えた4回表からマウンドに上がったが、いきなり先頭のビヤーにホームランを被弾、さらに連打で走者をためてアギラルにスリーランを被弾という苦いデビュー戦となった。翌日にマイナー降格となったが、1月後に再昇格を果たすとシーズンの最後までメジャーでプレーして26試合に登板して防御率4.70、WHIP1.40を記録した。
:横浜入団:
18年にはオープン戦でシアトル・マリナーズと対戦、イチローから空振り三振を奪った。4月下旬からメジャーリーグで5試合の登板を果たしたが好結果は残せず6月5日にリリースされた。同月にトミージョン手術を受けて、所属球団がないままリハビリで2年半という長い期間を過ごした。20年11月21日に横浜DeNAと支配下契約を見据えた育成契約で合意、コロナウイルスの影響で来日が3月27日まで遅れたが、イースタンリーグで好投を続けて肘の状態に問題がないことを確認されたため4月23日に支配下契約となった。
:初セーブ:
支配下契約の翌日に1軍昇格を果たすと同日の阪神戦で初登板、敗戦処理のマウンドだったが154キロを計測するなど上々の内容で三者凡退に抑えた。だが30日のヤクルト戦でサンタナにツーランを被弾すると、5月7日の阪神戦では一死も取れずに3失点を喫して抹消となった。5月28日に再昇格を果たすと、6月29日の中日戦で3対2で迎えた6回表を無失点に抑えると雨天コールドなり初セーブを記録したが、シーズン終盤に数字を落として自由契約となった。なお登録名が9文字という異例の長さのため一部の2軍球場などでは電光掲示板に名前を表示しきれない問題が発生した。 |
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