小深田 大地
44
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名前 |
こぶかた だいち |
生年月日 |
2003年3月25日 |
経歴 |
履正社高−横浜(20年D4位) |
入団年 |
20年ドラフト4位 |
在籍年 |
21年−24年 |
背番号 |
21年−23年[44]:24年[144] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
内野手 |
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:履正社:
兵庫県姫路市生まれ。小1の時にひとやすみ野球クラブで野球を始める。中学時代は姫路アイアンズでプレーして3年時には選抜チームのNOMOジャパンでもプレーした。履正社では1年夏からベンチ入り、クリーンアップを任されて秋季大会では大阪桐蔭との決勝戦で特大ツーランを放った。2年春のセンバツでは初戦の星稜戦で奥川から17三振を奪われて完封負けとなったが、小深田は9回に奥川からライト前ヒットを放って意地を見せた。2年夏の大会前に行われた星稜との練習試合では奥川からツーランを放った。
:全国制覇も:
2年夏には3番サードで府大会で打率.357、OPS1.079を記録、甲子園でも準決勝で3安打を放って決勝進出に貢献した。春に屈辱的な敗戦を喫した奥川を擁する星稜との再戦となった決勝戦では8回に勝ち越して初の全国制覇を成し遂げた。だが小深田は打率.360(25打数9安打)を記録したが打点1に留まった事と、奥川に4打数0安打に打ち取られた事から悔しさが残る大会となった。
:目標:
秋季大会では11試合で打率.541、OPS1.560を記録して、3年春のセンバツ出場も決めた。だが春夏連覇を目標にした最終学年はコロナウイルスの影響で春夏共に甲子園は中止になった。一つの目標が無くなったが、プロ野球選手になるという目標に向けて確実性のある打撃に磨きをかけて、部活動が自粛となる中でも自宅で打席での対応力を意識して打撃練習を行った。
:横浜入団:
夏に開催された府独自の大会では宿敵の大阪桐蔭戦で4安打を放って勝利に貢献した。ドラフト会議で横浜から4位指名を受けて、チームメイトの田上(ソフトバンク5位)、内(楽天6位)と共にプロ入りを果たした。同じく打撃力特化型から首位打者になった佐野から背番号44を引き継いだ。高校通算35本塁打。入寮の際には女手一つで育てた母親も同席し「浜っ子になれるか心配。田舎者なので」とコメントした。
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ルーキーイヤーにはイースタンリーグで100試合して打率.215、4本塁打を記録した。オフにはオリックスの吉田 正尚の合同自主トレに参加して大きな刺激を受けた。「詰まったら打者の勝ち」という吉田のアドバイスで強いスイングができるようになり、2年目にはイースタンリーグでリーグ4位の打率.275と数字を伸ばした。だが23年はイースタンリーグで打率.205と数字を落としてオフには育成契約になった。 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
|
|
|
|
|
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通算 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
21 |
横浜 |
100 |
316 |
28 |
68 |
15 |
1 |
4 |
97 |
43 |
2 |
1 |
3 |
43 |
108 |
14 |
12 |
.215 |
22 |
横浜 |
96 |
331 |
33 |
91 |
14 |
2 |
3 |
118 |
43 |
2 |
3 |
2 |
40 |
79 |
9 |
14 |
.275 |
23 |
横浜 |
87 |
273 |
31 |
56 |
13 |
2 |
4 |
85 |
28 |
1 |
3 |
3 |
31 |
76 |
4 |
15 |
.205 |
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通算 |
3年 |
283 |
920 |
92 |
215 |
42 |
5 |
11 |
300 |
114 |
5 |
7 |
8 |
114 |
263 |
27 |
41 |
.234 |
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