ベイスターズ記録あと何?

サイト内検索>  
ホーム ニュース 通算記録 シーズン記録 日本記録 MLB記録 選手名鑑 タイトル 球団歴史 ドラフト

選手名鑑

■>打者:あ:
■>打者:か:
■>打者:さ:
■>打者:た:
■>打者:な:
■>打者:は:
■>打者:まや:
■>打者:らわ:

■>投手:あ:
■>投手:か:
■>投手:さ:
■>投手:た:
■>投手:な:
■>投手:は:
■>投手:まや:
■>投手:らわ:

■>監督
■>その他

■>大洋ホエールズ
■>横浜大洋
■>横浜ベイスターズ
■>全選手
MLB記録 タイトル

関連リンク


小園 健太



18
名前 こぞの けんた
生年月日 2003年4月9日
経歴 和歌山市立和歌山高−横浜(21年D1位)
入団年 21年ドラフト1位
在籍年 22年−
背番号 22年−[18]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
エース
大阪府貝塚市出身。小学1年からキャッチャーとして野球を始める。中学では自主性と野球を楽しむことを重視する貝塚ヤングに所属、当時は目立つ存在ではなくストレートも110キロ前後だった事もあり小園はショートを希望したが、ヤクルトで首位打者に輝いた川端慎吾の父でもある川端末吉監督から、マウンドさばきや雰囲気が完全なエースという高い評価を受けて投手に転向した。

松川
中学時に身長が20センチ以上伸びて180センチと大きく成長、球速も135キロを超えて3年春に全国ベスト8、夏には全国制覇を達成した。また貝塚ヤングでは名バッテリーを組むことになる松川とチームメイトになった。なお当時はソフトバンク・ホ-クスを応援していて和田毅のファンだった。進学時には多くの高校から誘いを受けて進路を迷っていたが、松川から電話で「一緒に甲子園行こう」と誘われて川端慎吾も進んだ市和歌山を選択した。

智弁和歌山
市和歌山では1年春から松川と共にベンチ入り、2年春はコロナウイルスの影響で練習自粛となったが基礎体力を向上させて2年夏の練習試合では152キロを計測した。入学時から県大会で圧倒的な成績を残し続けてきた智弁和歌山に敗れ続けていたが、2年秋の新人戦の準決勝で始めて勝利すると、県大会の準決勝でも5対4で競り勝った。だが11安打と打ち込まれた事に危機感を持った小園は縦回転のスピン意識してストレートに磨きをかけて3週間後の近畿大会では智弁和歌山を4安打に抑え込んで完封、対智弁和歌山戦3連勝でセンバツ出場を勝ち取った。

センバツ
センバツでは初戦の県岐阜商戦で緊張から先頭打者に四球を出すなどらしくないところも見せたが、ベンチで松川に肩をさすってもらうなど徐々に落ち着きを取り戻して4安打完封で初戦を突破した。中2日で迎えた明豊戦では5回からリリーフしたが同点に追いついた直後の7回に二死三塁から決勝タイムリーを許して、同大会で14回を投げて1失点に抑えながらも2回戦敗退となった。

甲子園
3年夏は県大会決勝で智弁和歌山と対戦したが1対4で敗れて最後の夏を終えた。小園は涙を見せながら「自分たちが行けなかった分まで甲子園でしっかり暴れてきてもらいたいと思います」と語った。エールを受けた智弁和歌山は甲子園でも猛打を見せて全国制覇を達成、中谷監督が「小園君という好投手を超えられたというのが自信」と語るなど、夏の甲子園出場こそならなかったが世代No.1投手として大きな存在感を見せた。また小園は大会後にSNSで「ちょっと悔しなった」とつぶやいた。

バッテリーでドラフト1位
ドラフト会議で横浜と阪神から1位指名を受けて、くじ引きを引き当てた横浜に入団した。また帽子の裏に「ニコイチ」と書くなど一心同体だった松川もロッテから1位指名を受けて史上初の高校生バッテリーが共にドラフト1位となった。また指名会見では松川が小園の顔についたゴミをとる一幕もあって話題になった。入寮の際には貝塚ヤングの同窓会メンバーからプレゼントされたお互いの全身姿がプリントされた抱き枕を持参した。特技は書道で小学1年時には「まめ」と書いて全国142万点の応募があった小・中学生書道コンクールで大賞にあたる農林水産大臣賞を1年生としてはただ一人受賞した。

体力づくり
ルーキーイヤーは体力づくりに専念してイースタンリーグでの登板も限られたが、3試合で4.2回を投げて3安打1四球に抑えた。翌23年はオープン戦終盤の3月21日の巨人戦で5回3安打無失点に抑えたが惜しくも開幕1軍を逃すと、同年はイースタンリーグで17試合に登板して2勝5敗、防御率4.21という今一つの結果に終わって1軍登板は果たせなかった。

初登板
台湾で開催されたウインタリーグにも参加するなど実戦経験を重ねて迎えた24年はキャンプ、オープン戦でアピールを続けて開幕から間もない4月10日の中日戦で初先発初登板デビューを勝ち取った。だが初回にリプレー検証で間が開く不運もあってリズムを崩すと細川のタイムリーで先制を許し、2回表には3本の内野安打などで2失点、3回表にはピッチャー松葉のタイムリーなどで2失点と試合を作れず2.2回で降板となった。同年は夏場にはわき腹痛で離脱すると、復帰後もイースタンリーグの首位攻防戦で2回11失点を喫するなど厳しい一年となった。


初記録
初登板 2024年4月10日中日戦
初勝利
初奪三振 2024年4月10日中日戦:三好から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
24 横浜 1 0 0 0 1 0 2.2 7 0 3 0 3 0 0 5 5 16.88
通算 1年 1 0 0 0 1 0 2.2 7 0 3 0 3 0 0 5 5 16.88


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
24 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
22 横浜 3 0 0 0 0 4.2 3 0 1 1 1 0 0.00
23 横浜 17 0 2 5 0 83.1 92 6 42 40 45 39 4.21
24 横浜 18 1 3 3 0 70.2 78 8 32 47 40 35 4.46
通算 3年 38 1 5 8 0 158.2 173 14 75 88 86 74 4.20