京田 陽太
98
|
名前 |
きょうだ ようた |
生年月日 |
1994年4月20日 |
経歴 |
青森山田高−日本大−中日(16年D2位)−横浜 |
入団年 |
23年に中日から移籍 |
在籍年 |
23年− |
背番号 |
23年−[98] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
内野手 |
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|
:松井:
石川県能美出身、松井 秀喜と同郷ということもあって松井秀喜記念館にも足を運ぶほどの松井ファンで、小学校6年時には能美市のイベントでメジャーリーグ観戦ツアーに当選、中学1年の4月にニューヨークへ飛んでヤンキースタジアムで松井と対面、サイン入りバットを貰って握手もした。
:守備:
幼いころから父と公園で野球を楽しみ、小学2年から野球チームに入った。当初はユニフォームを着るのが嫌で練習に行くのを渋っていたが友達に誘われてチーム練習に参加するようになった。当時から打撃より守備が好きで家の前の塀で行っていた壁当ては長年にわたる習慣になり、メジャーリーグ観戦でも松井の打撃よりヤンキースの二遊間ジーターとカノの守備に注目していた。
:1年から活躍:
青森山田では入学から間もない春季大会に出場、3位決定戦で1点を追う延長10回裏に二死二、三塁で打席に入るとレフトオーバーの逆転サヨナラタイムリーを放って東北大会進出を決めた。1年夏には全試合でスタメンを任されて初戦で3安打を放つなど活躍したが、北條を擁する光星学院との準決勝で2対6で敗れて甲子園出場はならなかった。2年夏にも準々決勝で光星学院と対戦、京田は3安打を放ったが10対15で敗れた。
:三度:
3年夏には3回戦で光星学院と対戦、1点をリードした8回表の守備でセンターが落球してしまうと、三塁を狙った打者走者を刺そうとした京田の送球も逸れて同点に追いつかれてしまう。2点の勝ち越しを許した直後の10回裏には二死走者なしから京田がセンター前ヒットを放つと、続く木浪もヒットを放って夢を繋いだが、後続が倒れて3度目の夏も光星に敗れて甲子園出場はならなかった。
:日本大学へ:
高い評価を受けていたがプロ志望届は提出せずに日本大学へ進学、1年春からレギュラーとして東都二部のリーグ戦に出場、2年春に打率.283を記録すると秋にも.286を記録した。3年春には4番を任されて打率.407でリーグトップの14打点を記録、青森山田の1学年上でもある山崎
晃大朗と共にチームを引っ張って二部優勝に貢献した。入れ替え戦も制して3年秋は一部でプレー、打率.259ながら8盗塁を成功させてベストナインに選出された。
:中日入団:
4年の夏には日米大学野球選手権で吉川や大山の打撃を間近で見て刺激を受けた。プロ入りを意識して打撃練習にも力を入れるようになった4年秋には打率.328を記録して12年ぶりのリーグ優勝に貢献すると共にベストナインにも選出された。大学通算110安打。ドラフト会議で中日から2位指名を受けて入団した。
:お立ち台男:
ルーキーイヤーは巨人との開幕戦に7番ショートで出場、第2打席に中日の新人としては大豊以来28年ぶりとなる開幕スタメン&初ヒットとなるライト前ヒットを放った。4月7日の横浜戦で7回裏に勝ち越しの押し出し死球を受けてお立ち台に上がると、19日の阪神戦では9回裏のサヨナラのチャンスで打席に入って三塁線へのゴロに倒れたがサード鳥谷がファンブルする間にヘッドスライディングで一塁へ滑り込んでサヨナラ勝利となりお立ち台、さらに翌日の阪神戦では同点に追いついた直後の7回裏に二死満塁で打席に入ってライト前に勝ち越しの2点タイムリーを放って23歳の誕生日にお立ち台とチーム本拠地4勝に対して3度のお立ち台という活躍を見せた。
:新人王:
5月2日の広島戦で初の猛打賞を記録すると、翌日には初ホームランを含む2安打、1番ショートに定着して24日の横浜戦では4打数4安打、6月3日の楽天戦から6試合連続で複数安打を放って打率を3割に乗せた。8月9日の広島戦では5打数5安打を記録したが、翌日から3試合連続ノーヒットに倒れると以降は打撃不振に落ち散ってシーズン終了時には打率が.264まで落ち込んだ。だが負担の大きいショートで141試合に出場してリーグ史上2位で球団の新人記録となる149安打を記録、高い守備力も評価されて浜口との争いと言われた新人王争いは圧勝した。
:連続ノーヒット:
18年は開幕第2戦で3安打を放ったが次打席から20打数連続ノーヒットに倒れると、5月16日の広島戦では初回にタイムリーを放って同期の柳と共にお立ち台に上がったが、6月17日の西武戦から17日間にまたがって28打数連続ノーヒットという打撃不振に苦しんだ。7月3日の阪神戦で6回表の二死満塁のチャンスでライト前に2点タイムリーを放って連続ノーヒットを止めると、直後に守備に就く際には感情を抑えきれず目に涙を溜めた。同年は全143試合に出場したが打率.235と大きく数字を落とした。
:鳥谷:
中学時代から阪神の鳥谷に憧れて毎日のように鳥谷の動画を見るなど、自身が「キモいくらい」と語るほどの鳥谷ファンだった事もあって、19年からかねてから希望していた背番号1に変更、開幕戦こそスタメン落ちとなったが5月5日終了時点で打率.322という好スタートを切った。4月13日の阪神戦で4回に京田が満塁ホームラン、8回に堂上直も満塁弾という伏兵の2発で史上26度目の同一ゲームで満塁弾2発も記録、オールスターにも監督推薦で出場、140試合に出場して前年を上回る打率.249を記録した。9月30日の阪神戦は阪神・鳥谷としてはラストゲームとなったが既にベンチに下がっていた京田は鳥谷の最後の打席を応援歌を口ずさみながら見届けた。
:選手会長:
選手会長に就任した20年は荒木コーチの提案で打者によっては守備位置を極端に深い位置に変更、エラー数こそ増加したがリーグ屈指の守備力に磨きをかけた。キャンプからすり足の打撃フォームに変更したが好結果が出ず、シーズン終盤にはバットを寝かせる打撃フォームに変更するなど試行錯誤を繰り返して打率.247を記録した。同年はコロナウイルスの影響で開幕が延期となり120試合という異例のシーズンとなったが全試合に出場した。
:初の:
21年は6番ショートとして開幕したが好結果が残せず5月28日に5年目にして初めての2軍降格となった。6月29日に1軍へ復帰すると、シーズン終盤の9月10日の巨人戦では福留から狙い球を指示されて打席に入ると自身初の2本塁打を記録してお立ち台、9月14日の広島戦で4安打を放ってお立ち台、10月9日の横浜戦では勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台と勝負強い打撃を見せてスタメンに返り咲き、ショートという負荷の高いポジションで5年連続の規定打席に到達した。
:木下雄介:
21年7月6日に同期入団で家族ぐるみの付き合いがあった親友の木下 雄介が練習中に意識不明となり緊急搬送されて1か月後に27歳の若さで命を落とした。追悼試合として開催された9月5日の横浜戦では「お父さんはこういう場所で野球をしていたんだよ。すごい人だったんだよって伝えたくて」と球団に木下さんの4歳の長女と2歳の長男による始球式を提案、全選手が背番号98を背負った試合では8回裏に二死二塁で打席に入るとエスコバーのストレートに食らいついてレフト線へタイムリーツーベースを放ち、ヘッドスライディングで滑り込んだ二塁ベースを右手で叩いて感情を爆発させた。9回表の守備中には「スタンドのご家族を見たら限界でした」と涙を流し、お立ち台では「何とか勝っていい報告がしたかった」と言葉を詰まらせた。
:戦う顔:
秋季練習から立浪監督や中村紀打撃コーチの指導で打撃フォームを大きく変更して臨んだ22年は4月20日のヤクルト戦では2回裏に小川から先制の2点タイムリーを放って28歳の誕生日にお立ち台に上がった。だが打率1割台の不振に苦しみ5月4日の横浜戦では第1打席で空振り三振に倒れると、4回裏の守備では大和が放った二遊間のゴロををはじいた直後に代打を送られて交代となり、立浪監督から「戦う顔をしていない」と2軍降格を告げられて試合途中に名古屋に強制送還となった。
:横浜移籍:
6月17日に1軍へ復帰すると8番ショートとして立浪監督から辛抱強くスタメンを任されたが打率1割台から抜け出せず7月11日に2度目の抹消となった。8月11日に再昇格を果たしたが、その直後にコロナウイルスに感染して離脱、その間に京田から譲られたバットを愛用する19歳の土田が台頭した事もあって1軍復帰はならなかった。同年オフに砂田とのトレードで横浜に移籍、3季連続で務めた選手会長がチームを離れることになった。
:ユーティリティ:
キャンプでショートに加えてサード、ファーストでの守備練習を行うなど求められる役割へ適応し、開幕戦では代打で出場して青柳から移籍後初ヒットを放つと、そのまま守備について好守を見せるなど躍動、4月30日には古巣ナゴヤドームでスタメン出場、第1打席の右中間への大飛球は好捕されたが2安打に加えて盗塁も成功させて勝利に貢献、スタメン発表時には古巣ファンから温かい拍手も上がった。6月3日の西武戦では4安打を放ってお立ち台にも上がり、8月10日の中日戦でも先制タイムリーに好守連発でお立ち台に上がった。同年はサード、ファーストの守備固めなどユーティリティ的な役割もこなしながら93試合に出場した。 |
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初記録 |
初出場 |
2017年3月31日巨人戦 |
初安打 |
2017年3月31日巨人戦:マイコラスから |
初本塁打 |
2017年5月3日広島戦:中村から |
初打点 |
2017年4月7日横浜戦:犠飛 |
初盗塁 |
2017年4月5日広島戦 |
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17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
|
新人王 |
● |
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|
|
|
|
1回 |
オールスター |
|
|
● |
|
|
|
|
1回 |
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
中日 |
141 |
564 |
67 |
149 |
23 |
8 |
4 |
200 |
36 |
23 |
13 |
10 |
1 |
18 |
9 |
105 |
5 |
14 |
.264 |
18 |
中日 |
143 |
578 |
73 |
136 |
15 |
7 |
4 |
177 |
44 |
20 |
10 |
26 |
3 |
19 |
6 |
111 |
12 |
6 |
.235 |
19 |
中日 |
140 |
507 |
46 |
126 |
14 |
5 |
3 |
159 |
40 |
17 |
7 |
24 |
3 |
37 |
3 |
91 |
10 |
9 |
.249 |
20 |
中日 |
120 |
442 |
43 |
109 |
16 |
7 |
5 |
154 |
29 |
8 |
4 |
15 |
1 |
27 |
6 |
80 |
4 |
13 |
.247 |
21 |
中日 |
113 |
409 |
41 |
105 |
7 |
4 |
3 |
129 |
24 |
6 |
5 |
8 |
3 |
21 |
7 |
75 |
5 |
7 |
.257 |
22 |
中日 |
43 |
128 |
11 |
22 |
5 |
1 |
3 |
38 |
8 |
1 |
0 |
2 |
0 |
10 |
3 |
21 |
1 |
5 |
.172 |
23 |
横浜 |
93 |
251 |
31 |
57 |
4 |
0 |
1 |
64 |
9 |
3 |
2 |
9 |
0 |
25 |
2 |
33 |
6 |
6 |
.227 |
|
球団 |
1年 |
93 |
251 |
31 |
57 |
4 |
0 |
1 |
64 |
9 |
3 |
2 |
9 |
0 |
25 |
2 |
33 |
6 |
6 |
.227 |
|
通算 |
7年 |
793 |
2879 |
312 |
704 |
84 |
32 |
23 |
921 |
190 |
78 |
41 |
94 |
11 |
157 |
36 |
516 |
43 |
60 |
.245 |
|
|
オールスター打撃成績
|
回数 |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
通算 |
1回 |
2 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
21 |
中日 |
15 |
53 |
7 |
15 |
2 |
0 |
1 |
20 |
3 |
0 |
0 |
0 |
2 |
5 |
1 |
1 |
.283 |
22 |
中日 |
39 |
139 |
10 |
25 |
3 |
1 |
1 |
33 |
4 |
1 |
2 |
0 |
17 |
23 |
4 |
6 |
.180 |
23 |
横浜 |
17 |
67 |
6 |
18 |
0 |
0 |
1 |
21 |
8 |
0 |
1 |
1 |
2 |
10 |
4 |
1 |
.269 |
|
通算 |
3年 |
71 |
259 |
23 |
58 |
5 |
1 |
3 |
74 |
15 |
1 |
3 |
1 |
21 |
38 |
9 |
8 |
.224 |
|
|
|