松尾 汐恩
5
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名前 |
まつお しおん |
生年月日 |
2004年7月6日 |
経歴 |
大阪桐蔭高−横浜(22年D1位) |
入団年 |
22年ドラフト1位 |
在籍年 |
23年− |
背番号 |
23年−[5] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
捕手 |
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:キャッチャー:
京都の精華町生まれ、川西小1年から精華アトムズで野球を始める。中学時代には京田辺ボーイズでショート兼投手としてプレー、大阪桐蔭に進学すると強肩を買われて1年秋からキャッチャーに転向してベンチ入り、2年春のセンバツには代打で出場、2年夏の甲子園では8番キャッチャーでスタメンを任されて2回戦の近江戦でバックスクリーンに特大ソロを叩き込んだ。
:甲子園5本塁打:
主力となった2年秋の明治神宮大会では決勝戦で2本塁打を含む4安打を放つなどチームを引っ張って全国制覇を達成した。センバツでも準決勝と決勝で本塁打を放つ勝負強さを見せて全国制覇、3年夏の県大会では2試合にまたがって3打席連続本塁打を放ってチームを4季連続となる甲子園出場に導いた。甲子園では2回戦の聖望学園戦で2打席連続本塁打を含む4安打を記録、史上7人目の3季連続ホームランであり、同校の先輩である森らに並ぶ史上10人目の甲子園通算5本塁打となった。だが準々決勝で下関国際に4対5で惜敗すると試合後の会見では「終わってしまったのを実感している」と涙を止められなかった。
:決勝戦:
U18ワールドカップでも3番キャッチャーとして活躍してベストナインに選出された。高校最後の試合となった国体決勝の聖光学院戦でソロを含む3安打を放って有終を飾り、2年秋から明治神宮大会、センバツ、国体と決勝戦すべてでホームランという勝負強さを見せて全国3冠を達成。公式戦42勝2敗という凄まじい戦績で高校時代を駆け抜けてドラフト会議では横浜から1位指名を受けた。なお横浜が捕手を1位指名をするのは谷繁以来34年ぶり2人目だった。
:サイクルヒット:
ルーキーイヤーはイースタンリーグで104試合に出場、打率.277、7本塁打、51打点という高卒ルーキーとしては申し分のない成績を残した。4月22日には来日から間もないバウアーの調整登板でバッテリーを組んでバウアーからコミュニケーション能力を高く評価された。6月23日には1軍に昇格、出場機会に恵まれないまま2日後に抹消となったが阪神との首位攻防戦で盛り上がるチームの雰囲気に刺激を受けた。9月6日にはリーグ12人目のサイクルヒットも記録した。 |
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初記録 |
初出場 |
2024年3月31日広島戦 |
初安打 |
2024年4月2日阪神戦:門別から |
初本塁打 |
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初打点 |
2024年8月10日ヤクルト戦:ロドリゲスから |
初盗塁 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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通算 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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23 |
横浜 |
104 |
343 |
34 |
95 |
20 |
2 |
7 |
140 |
51 |
6 |
3 |
8 |
22 |
33 |
7 |
3 |
.277 |
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通算 |
1年 |
104 |
343 |
34 |
95 |
20 |
2 |
7 |
140 |
51 |
6 |
3 |
8 |
22 |
33 |
7 |
3 |
.277 |
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