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三森 大貴



26
名前 みもり たいき
生年月日 1999年2月21日
経歴 青森山田高-ソフトバンク(16年D4位)-横浜
入団年 25年にソフトバンクから移籍
在籍年 25年-
背番号 25年-[26]
投打 右投げ左打ち
守備 内野手
一本足打法
埼玉県越谷市生まれ、小学校時代から打球を遠くに飛ばしたいという思いで一本足打法を初めて、3年生のときには6年生に交じってスタメンで起用されるほど力をつけた。自身の希望で中学から親元を離れて青森山田中に進学、入学時は150センチで体重40キロと後にプロ入りする選手としては小柄だった事もあって、一本足打法はさらに高く右足を上げる特徴的なフォームになっていった。青森山田シニアで全国大会に3度出場。

センバツ
中高一貫の青森山田高に進学すると1年秋からレギュラーになり、2年秋にサードからショートに転向、2年秋の東北大会ではエースとなった同級生の堀岡の好投もあって優勝、神宮大会でもベスト4に進出して翌春のセンバツ出場を勝ち取った。センバツでは初戦で山﨑颯一郎を要する敦賀気比高と対戦、堀岡が3安打1失点完投に抑え込んだが、2度のチャンスで三森がともに空振り三振に抑え込まれたのが響いて山崎に完封を喫して初戦敗退となった。3年夏は県大会4回戦で敗退、同年のドラフト会議でソフトバンクから4位指名を受けて入団した。

初安打
ルーキーイヤーはウエスタンリーグで27試合、三軍戦に70試合に出場して経験を積んだ。翌年もファームでの出場が続いたが、3年目の19年はチームで故障者が続出したこともあって4月18日に1軍初昇格、同日のロッテ戦で初出場を果たすと、地元の西武ドームで開催された21日の西武戦でスタメン出場、家族4人がスタンドで見守る中で3回表に高橋光からライト前へはじき返して初ヒットを記録するとすかさず走って初盗塁も記録、4回表に初タイムリーを放つと、9回表にはツーベースを放って初スタメンで猛打賞という活躍を見せた。お立ち台に上がった三森は「忘れられない日になりました」と喜びを表した。

首位打者
ウエスタンリーグで内野全ポジションに加えて外野でもプレーしてオプションを増やすと、オフにプエルトリコのウインターリーグに参加、トップレベルの球を打つためには打撃フォームをコンパクトにする必要があると痛感して代名詞だった一本足打本を捨てて、意識面でも逆方向を重視したスタイルへに転身を図った。コロナウイルスの影響で短縮シーズンの翌20年にはウエスタンで打率.323を記録して首位打者に輝き、出塁率も1位で長打率は3位という好成績を残した。

軍師
20年7月11日の楽天戦では8回裏の無死一塁で三森が送りバントでボール球を見送ると、ワンバウンドとなった投球をキャッチャーがはじいて一塁走者がスタートを切ったが、この際に三森がなぜか二塁への送球を支持するように指を差したが、一二塁間のランダウンプレーで送球が一塁走者と一塁コーチのヘルメットにダブルヒットして結果的に走者が三塁まで進塁する珍プレーとなった、このプレーがネット上で話題となり三森の謎の指差しが「全てを見通していた」など多くの憶測を呼んで三森には21歳の若さで「軍師」というニックネームが付くことになった。

チャンス掴む
21年にはキャンプで小久保ヘッドコーチから高い評価を受けると、牧原の故障で6月4日に1軍へ昇格、10日の広島戦では8回裏に同点タイムリースリーベースを放つなど4安打1盗塁を記録、1番セカンドに定着して22日のロッテ戦で3安打、7月4日の日本ハム戦でも3安打を放つなど3割を超える打率を残していたが、8月下旬から大幅に数字を落とした。同年は86試合に出場して打率.249、チーム2位の16盗塁という飛躍の一年となった。

初本塁打
22年には4月5日のオリックス戦で山﨑颯一郎から初本塁打となる逆転スリーランを放って珍しく雄たけびを上げた。開幕から1番セカンドとしてチームを引っ張っていたが7月10日の日本ハム戦で一塁にヘッドスライディングをした際に左手親指を骨折して離脱となった。驚異的な回復で一か月後の8月16日に1軍復帰を果たしたが、その直後にコロナウイルスを発症して再び離脱となった。9月1日に復帰すると以降はシーズンの最後までプレーを続けたが惜しくも規定に7打席届かなかった。同年は102試合に出場して打率.257、20盗塁で失敗3、セカンドの守備指標も高い数値を記録するなど走攻守で好成績を残した。

後半戦に復調
23年は打撃不振で2軍スタートとなり、4月25日に1軍へ昇格したが打率1割台と打撃が上向かず代走での起用も増えたが交流戦明けから状態を上げて7月には月間打率.316を記録、8月には10日の楽天戦で3安打を放つと、翌日の日本ハム戦でも先頭打者弾を含む3安打など活躍を見せた。前半の不振が響いて77安打に留まったが前年に並ぶ102試合に出場した。

横浜入団
24年は開幕直後の4月2日に試合前のシートノックで右手の人差し指を骨折、4月28日に1軍へ復帰すると5月6日の日本ハム戦で4回裏の決勝弾を含む3安打4打点の活躍でお立ち台に上がったが、30日の巨人戦の守備で再び右手の人差し指を骨折して離脱となった。その後は1軍昇格は果たせずシーズンを終えると、オフに浜口とのトレードで横浜移籍となった。


初記録
初出場 2019年4月18日ロッテ戦
初安打 2019年4月21日西武戦:高橋光から
初本塁打 2022年4月5日オリックス戦:山崎から
初打点 2019年4月21日西武戦:高橋光から
初盗塁 2019年4月21日西武戦
その他の記録


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 ソフトバンク 24 48 7 10 2 2 0 16 1 3 2 0 0 2 1 17 0 2 .208
20 ソフトバンク 24 43 4 7 2 0 0 9 2 1 1 1 0 1 1 17 0 2 .163
21 ソフトバンク 86 329 34 82 9 6 0 103 20 16 5 3 2 11 0 77 3 4 .249
22 ソフトバンク 102 393 58 101 13 4 9 149 36 20 3 10 3 28 3 81 3 7 .257
23 ソフトバンク 102 296 40 77 8 2 5 104 21 14 8 8 0 12 0 48 4 5 .260
24 ソフトバンク 25 66 6 19 2 0 1 24 13 2 1 1 0 4 0 10 1 4 .288
通算 6年 363 1175 149 296 36 14 15 405 93 56 20 23 5 58 5 250 11 19 .252


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
22 ソフトバンク 6 23 4 4 3 0 0 7 2 0 0 2 0 1 0 8 0 1 .174
23 ソフトバンク 3 12 1 3 2 0 0 5 0 1 0 0 0 0 0 2 0 1 .250
通算 2年 9 35 5 7 5 0 0 12 2 1 0 2 0 1 0 10 0 2 .200


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
17 ソフトバンク 27 45 6 13 1 1 0 16 1 1 3 0 0 9 0 2 .289
18 ソフトバンク 50 170 22 46 7 4 1 64 12 8 4 1 13 35 1 3 .271
19 ソフトバンク 85 309 42 74 9 6 4 107 29 21 1 1 33 73 0 9 .239
20 ソフトバンク 49 186 29 60 14 0 1 77 21 11 4 0 23 44 0 8 .323
21 ソフトバンク 37 137 21 41 4 4 0 53 15 7 0 0 16 20 2 1 .299
22 ソフトバンク 6 17 5 6 1 1 0 9 0 2 0 0 3 2 0 0 .353
23 ソフトバンク 21 83 15 23 2 1 1 30 9 7 0 0 7 7 0 1 .277
24 ソフトバンク 47 126 18 36 4 4 1 51 16 5 0 1 15 18 1 1 .286
通算 8年 322 1073 158 299 42 21 8 407 103 62 12 3 110 208 4 25 .279