宮下 朝陽
34
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名前 |
みやした あさひ |
| 生年月日 |
2004年1月26日 |
| 経歴 |
北海高−東洋大−横浜(25年D3位) |
| 入団年 |
25年ドラフト3位 |
| 在籍年 |
26年− |
| 背番号 |
26年−[34] |
| 投打 |
右投げ右打ち |
| 守備 |
内野手 |
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:日本ハムジュニア:
北海道の黒松内町生まれ、推しのプロ野球選手は地元日本ハムでも活躍した糸井、小2の時に黒松内スターズで野球を始めて小6時には日本ハムジュニアに選出された。黒松内中時代には余市シニアでプレー、3年連続で全国大会を経験、3年時にはジャイアンツカップにも出場した。
:甲子園で2度:
北海高に進学すると1年夏から4番を任された。2年夏はコロナウイルスの影響で甲子園大会が中止となったが、主将を任された2年秋には地区大会で15打数で3本塁打を含む10安打、OPS2.404を記録、全道大会でも19打数9安打を放って優勝に大きく貢献してセンバツ出場を勝ち取った。センバツでは初戦の神戸国際大付戦で1点をリードした9回裏に追いつかれると10回裏にサヨナラで破れた。3年夏には県大会で17打数9安打を放って2季連続で甲子園に出場、甲子園では初戦で神戸国際大付とまさかの再戦となったが、またも接戦で敗れた。
:サイクルヒット:
部活引退後は中村紀洋の動画を見て打撃フォームを修正、東洋大に進学すると1年春からセカンドでレギュラーを任されて専修大戦でサイクルヒットを記録、打率.241で1本塁打ながら2部のベストナインと新人賞に選出された。2部優勝も果たしたが中央大との入れ替え戦の第3戦の9回裏に逆転サヨナラ負けとなって一部昇格はならなかった。1年秋も打率.275、2本塁打で2季連続ベストナインに選出された。
:横浜入団:
2年時に大学日本代表に選出されて日米大学野球選手権で優勝、3年時は春に打率.182に留まると、夏に右ひじの軟骨がはがれてクリーニング手術、秋はリハビリで全休した。4年時には北海高で主軸を打った弟の温人も東洋大に入学、4年春は一部で打率.276を記録、4年秋の亜大戦で右を狙い打ってライトスタンドに先制弾を叩き込んで一部初本塁打を記録した。東都時代の通算成績は一部で打率.216、1本塁打、二部で打率.279で4本塁打という数字に留まったが横浜ベイスターズから3位という高評価を受けて入団した。 |
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| 初記録 |
| 初出場 |
2026年4月11日広島戦 |
| 初安打 |
2026年4月11日広島戦:ターノックから |
| 初本塁打 |
2026年4月12日:床田から |
| 初打点 |
2026年4月12日:床田から |
| 初盗塁 |
2026年4月17日広島戦 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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| 通算 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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