中川 颯
53
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名前 |
なかがわ はやて |
生年月日 |
1998年10月10日 |
経歴 |
桐光学園高−立教大−オリックス(20年D4位)−横浜 |
入団年 |
24年にオリックスから移籍 |
在籍年 |
24年− |
背番号 |
24年−[53] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
投手 |
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:野球を選ぶ:
横浜市戸塚区出身、横浜商業で好打者として活躍した父からゴルフやレーサーなどのスポーツを進められて幼稚園時代からゴルフクラブで遊んでいたが、姉の友達がやっていた野球に興味を持って小1から小雀少年野球団で野球を始める。チームの監督でもあった父親とハードな夜間練習も行い野球技術を高めた。また少年時代はハマスタに通ってベイスターズも応援した。
:アンダースロー:
小柄だったこともあって小5の時にサイドスローを試して手応えを感じたが4番手投手で注目を集める存在ではなく、ロッテが日本一になった2010年に日本シリーズで見た渡辺俊介に憧れて小6でアンダースローに転向した。大正中学時代には横浜泉リトルシニアに所属、中学時代に30センチ以上身長が伸びたがオーバースローに戻すことは考えずフィットネスジムでアンダースローに必要となる柔軟性を高めた。
:1年夏から活躍:
選手の自主性を尊重した練習環境にひかれて桐光学園に進学、入学当初はレベルの高さに圧倒されたが入学直後に行われた帝京との練習試合で3回を無失点に抑えて、打っても本塁打を放って1年夏からベンチ入りを果たした。1年夏の慶応義塾戦では初回の無死満塁でリリーフすると空振り三振、ピッチャーゴロ、空振り三振で零封、その後も続投して9.0回を1失点に抑えてチームを勝利に導いた。
:二刀流:
1年秋からエースになり、2年夏には5番投手兼ファーストで活躍したが準決勝の横浜高戦で石川 達也からスリーベースを放ったが試合には敗れた。3年夏は4番投手として出場、準決勝の横浜高戦では石川
達也からの逆転スリーランを含む3本の長打を放ったが、ピッチングでは打ち込まれて甲子園出場はならなかった。中川は「甲子園はほんとに遠いもので、あと1歩のところでずっと折れてきたので最後は何が何でも出たかった。ほんとに悔しいです」と涙を流した。
:1年から活躍:
高校通算26本塁打という事もあってスカウトからは打者としての評価が高かった。3年夏後はあえて投球練習を行わず肩を休ませてトレーニングに集中した。その成果が出たのかストレートの球速が上がり立教大学では1年春から抑えを任されて18年ぶりのリーグ優勝に貢献、大学選手権でも躍動して3試合で計12回を無失点に抑えて立教大を59年ぶりの全国制覇に導くとともに最優秀投手に選出された。また試合を観戦した立教大OBの長嶋
茂雄から「中川選手のピッチングは素晴らしかった」と絶賛された。
:自作マウンド:
1年秋からフォームを崩して苦戦、3年秋まで通算8勝と伸び悩んだ。手応えをつかんだ4年時にはコロナウイルスの影響で練習も制限される苦しい状況となったが、寮を出て神奈川の実家に戻った中川は投球練習を行うためにDIYで木材に人工芝を敷き詰めた即席のマウンドを1日で作り、父親が経営する自動車修理工場内に設置、コロナウイルスの特別給付金でトレーニング器具も購入するなどプロ入りを目指して努力を続けた。
:初登板:
自信をもって挑んだ4年秋は開幕カードから打ち込まれる試合が続いてベンチ外も経験するなどメンタルが限界まで追い込まれたが終盤に復調して防御率3.14というまずまずの成績を残した。同年のドラフト会議でオリックスから4位指名を受けて入団。ルーキーイヤーは開幕1軍に残ったが登板機会がないまま抹消、7月10日に昇格すると14日の日本ハム戦で初登板、1.0回を2安打無失点に抑えた。同年の1軍登板は1試合のみだったがウエスタンリーグで41試合に登板、40回を投げて被安打23、10四死球で48奪三振、防御率1.13という好成績を残した。
:2年連続戦力外:
2年目のキャンプで肩を痛めて離脱、肩をかばうあまり投球フォームを崩し、肩も回復せず6月9日以降はマウンドに上がることができなかった。同年オフには戦力外通告を受けて育成での再契約となった。翌23年の5月に復帰を果たすとウエスタンリーグで好投を続けて32.2回で被安打18、4四死球、34奪三振、防御率1.38という好成績を残したがリーグ3連覇を達成したオリックスの強力投手陣という事もあって支配下復帰は果たせず2年連続の戦力外通告を受けた。その後に地元の横浜への移籍が決定、ベイスターズファンの祖父は涙を流して喜んだ。 |
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初記録 |
初登板 |
2012年7月14日日本ハム戦 |
初勝利 |
2024年4月30日中日戦 |
初奪三振 |
2024年4月4日阪神戦:森下から |
初完投 |
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初セーブ |
2024年10月6日中日戦 |
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投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
21 |
オリックス |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
|
球団 |
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|
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|
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|
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|
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通算 |
1年 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
21 |
オリックス |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
球団 |
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通算 |
1年 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
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二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
21 |
オリックス |
41 |
0 |
2 |
2 |
1 |
40.0 |
23 |
2 |
10 |
48 |
10 |
5 |
1.13 |
22 |
オリックス |
6 |
0 |
1 |
0 |
0 |
7.2 |
7 |
1 |
4 |
2 |
5 |
5 |
5.87 |
23 |
オリックス |
21 |
0 |
0 |
1 |
0 |
32.2 |
18 |
1 |
4 |
34 |
6 |
5 |
1.38 |
|
通算 |
3年 |
68 |
0 |
3 |
3 |
1 |
80.1 |
48 |
4 |
18 |
84 |
21 |
15 |
1.68 |
|
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