大田 泰示
0
|
名前 |
おおた たいし |
生年月日 |
1990年6月9日 |
経歴 |
東海大相模高−巨人(08年D1位)−日本ハム−横浜DeNA |
入団年 |
22年に日本ハムから移籍 |
在籍年 |
22年−24年 |
背番号 |
22年−24年[0] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
外野手 |
|
|
:東海大相模:
広島県福山市生まれ、小1からソフトボールを始める。城南中時代には松永ヤンキースでプレー、2年秋に県大会で優勝。城南中の2年時に野球教室で原辰徳から指導を受けて感激、高校は原の母校でもある神奈川の東海大相模へ進学した。東海大相模では1年春からサードでベンチ入り、夏からレギュラー、秋から4番になった。一学年上のエース菅野から野球に降り組む姿勢などを学び、2年夏までは通算19本塁打と素質を生かし切れていなかったが2年秋から大きくに数字を伸ばして評価を高めた。
:5本塁打:
3年春はショートに転向して県大会優勝、6月以降の練習試合18試合で10本塁打を放って迎えた3年夏の県大会では憧れの原辰徳の50歳の誕生日にハマスタの最上段に飛び込む特大弾を含む2本塁打を放つ離れ業を見せた。決勝では慶應義塾と対戦、4回裏に清原を超える高校通算65号をハマスタのレフトスタンドに運んで先取点を奪ったが、好ゲームの末に2点リードの9回表に追いつかれると、延長戦で2度迎えた一打サヨナラのチャンスでは共に敬遠され、13回表に二死二塁からマウンドへ上がったが決勝点を許して甲子園出場を逃した。夏の県大会では3年連続での決勝戦敗退となったが大会新記録となる5本塁打を記録した。
:ドラフト:
東海大学への進学を表明していたが、8月中旬に実家へ起床した際に広島市民球場で広島対阪神戦を観戦してプロへの思いが増し、ソフトバンクの王会長が高く評価している事も知って提出期限ぎりぎりになってプロ志望届を提出した。一時は7球団の1位指名ともいわれたが志望球団以外は東海大への進学を匂わせたこともあって、1位指名は志望球団と言われた巨人とソフトバンクの2球団のみとなり、抽選で原監督が引き当てて巨人に入団した。
:松井:
背番号は松井 秀喜が背負っていた55となり、選手寮でもかつて松井や坂本が入っていた出世部屋である410号室に入寮、キャンプでは高卒ルーキーとしては異例の原監督からの打撃指導を受けるなど破格の扱いを受けた。ルーキーイヤーはイースタンリーグで打率.238ながらリーグ3位の17本塁打を記録、1軍では6月21日のロッテ戦で9回裏二死二塁で打席に入って三球全て空振りの三球三振に倒れた1打席のみに終わった。2年目には共に筒香に続くイースタンリーグ2位の21本塁打、70打点を放って打率も.265と上昇させて高卒2年目としては上々の成績を残した。
:初ヒット:
3年目の11年には5月17日に1軍登録、翌18日の楽天戦に代走で途中出場、4対4の同点で迎えた10回表に一死満塁のチャンスで打席に入ると「初球のボール球を振って頭がパニック」になったという大田だったが、2球目にしぶとくバットを合わせると、打球はセンター前に落ちるポテンヒットとなって大田は塁上で大きな笑顔で喜びを表した。試合はそのまま勝利して決勝タイムリーで初安打初打点という大仕事となったが、同年も一軍で26打数4安打と好結果は残せず、イースタンリーグでも四死球こそ大幅に増やしたが本塁打が6本に留まるなど試行錯誤に苦しんだ。同年から俊足を生かした外野手に転向。
:人生変えろ:
12年は初の開幕1軍となったがわずか2打席で2軍降格となった。イースタンリーグでも4年連続で三振王となるなど数字を上げれなかったが、シーズン終盤の9月1日に1軍へ昇格、同日の横浜戦で原監督から「人生を変えてみろ」と発破をかけられてスタメンで起用されると広島から駆け付けた両親が見守る中で先制タイムリーを含む3安打3打点を記録してお立ち台に上がった。その後も9月23日のヤクルト戦で初本塁打を放ってお立ち台に上がるなどスタメン起用に応えて打率.254というまずまずの成績を残した。
:第81代:
13年は開幕から1軍で起用されたが打率が1割台に低迷、右太ももを痛めて5月2日に抹消となった。イースタンリーグでは打率.272 、257打数で13本塁打、43打点というまずまずの成績を残したがオフに原監督から栄光の背番号55のはく奪を告げられた。背番号44での再スタートとなった14年は外野手に故障者が続出した8月に1軍へ昇格すると主に代走や守備固めで44試合に出場、リーグ優勝決定の翌日の9月27日に第81代で平成生まれでは初の巨人の4番を任されて2点タイムリーを放った。
:4番:
15年は菅野の自主トレに参加、原監督から4番候補に指名されて紅白戦、オープン戦で4番で起用されたが、3月11日のオープン戦で左太ももの肉離れで離脱した。故障が癒えた4月30日に1軍へ昇格すると主軸の故障が重なっていたこともあり同日の中日戦で4番に抜擢されると、大田は期待に応えて3安打に加えて2本の二塁打ではいずれも二塁へのヘッドスライディングを見せるなど気迫あふれるプレーで勝利の立役者になった。その後も4番で10試合連続で起用されて打率4割前後という活躍を続けた。だが5月19日からの阪神3連戦で7三振を記録してスタメンの座を失うと、以降は控え選手として1軍でプレーして60試合に出場、打率.277を記録した。
:日本ハム移籍:
前年限りで原監督が退任となった16年は開幕から打率が1割台に低迷していたが、6月3日の日本ハム戦で1番スタメンで起用されて3安打を放つと、5日の日本ハム戦では大谷から先頭打者ホームランを放って見せた。7月2日のヤクルト戦では菅野の代打で登場して同点タイムリーを放ったが、その後のスタメンのチャンスをものにできずキャリアハイを更新する62試合に出場したが、打率202と期待に応えることはできなかった。同年オフに吉川、石川とのトレードで公文と共に日本ハムへ移籍した。
:原点回帰:
巨人時代には多くの著名なOBからの助言を受けて毎年のように打撃フォームを崩していたが、自主トレを共にした相川から「自信を持って、はったりをかますぐらいの感じでやれ」と背中を押され、栗山監督からも「泰示らしく、思い切っていけ!」、「3回バットを振って三振なら前に進むことができる」という前向きなアドバイスを貰って、ホームスタジアムが広い札幌ドームになるがフルスイングに磨きをかける事を決意、キャンプでは前年にメジャーでMVPとなったクリス・ブライアントの動画を見て研究、4月中旬からはバットを筒香モデルに変更するなど長距離砲への復帰を志した。
:サヨナラヒット:
開幕は左脇腹痛で出遅れたが4月23日に1軍へ昇格すると、同日の西武戦に6番でスタメン出場、打率は1割台に低迷したが8試合中7試合でスタメンを任されるなど栗山監督の我慢強い起用が続く中で迎えた5月3日のロッテ戦では9回裏に無死満塁で打席に入って二遊間を抜くサヨナラタイムリーを放った。大田は「数字も残っていないのに、監督はあの場面で打席に送ってくれた」と感謝し、お立ち台では「幸せですね」としみじみ語った。
:ファイターズ最高!:
5月12日には古巣の東京ドームで行われたロッテ戦で2回裏に涌井から先制ソロ、5回裏にもツーランを運んでお立ち台に上がると、自身と同じく巨人から日本ハムに移籍してチャンスを掴んだ矢野
謙次のお立ち台名物となっていた「ファイターズ最高!」を絶叫した。なお同日には涌井にリーグ新記録となる6被本塁打を浴びせるなどチームは球団タイ記録の7本塁打で15対1と大勝した。自信を掴んだ大田は以降もホームランを量産、月間5本塁打15打点という好成績を残した。
:巨人3連戦:
6月9日から札幌ドームで行われた古巣巨人との3連戦では初戦の第1打席でマイコラスからライト前ヒットを放つと第2打席ではツーベースを記録、1番DHで起用された第2戦では先頭打者ホームランを含む3安打を放ってお立ち台に上がるとインタビュアーから「ファイターズ最高!」を振られたが、両手で×マークを作って「いろいろ諸事情があり今日はご勘弁ください」と古巣への配慮を見せた。続く第3戦ではトレード相手である吉川からのホームランを含む2安打を放って3連戦で10打数7安打を記録、試合後にはかつての同僚らと食事に出て、お世話になった先輩でもある亀井から「ほんと、すごく良くなったなぁ」という言葉を贈られた。同年は初の規定打席に到達して巨人時代の8年間を1年で上回る110安打、15本塁打を記録した。
:攻撃的な2番:
18年には4月24日のオリックス戦で野球人生初という2番を任されたが、栗山監督から「泰示のバッティングをしてくれればいいから」と送り出されると2打席連続で勝ち越しホームランを放ってお立ち台に上がった。28日のロッテ戦でも2本塁打を放つなどバント0で右打ち指示もなしの攻撃的な2番として活躍、夏場に死球で骨折して離脱したが、104試合に出場して打率..274、14本塁打、59打点を記録、CSではファーストシリーズ第2戦で2対2で迎えた8回表に決勝タイムリーを放つと、お立ち台には同年限りでの現役引退を発表した矢野
謙次のユニホームを身に着けて登場して先輩への敬意を示した。
:5安打:
19年は開幕第2戦で6打数0安打に倒れるなど開幕から14打数0安打と苦しんだが、「わけわかんないくらい打てた」と語った4月24日の楽天戦で5安打5打点という固め打ちを見せると、翌日にも2本塁打を含む3安打を放って打率を一気に3割に乗せた。29歳の誕生日に行われた阪神戦では「夢だった甲子園」で初めてのホームランを放って全球団からの本塁打を達成した。同年は大きな故障もなくシーズンを通して活躍、132試合に出場してキャリアハイとなる打率.289、20本塁打、77打点という好成績を残した。
:21試合連続ヒット:
コロナウイルスの影響で120試合の短縮シーズンとなった20年は開幕直後に25打数連続ノーヒットと苦しんだが、7月21日のソフトバンク戦で3安打を放つと翌日にも3安打を記録、8月には4日の西武戦では2本塁打6打点を記録するなど月間打率.366と大幅に数字を上げた。9月には森本稀哲らが持つ球団記録24試合に迫る21試合連続ヒットを記録、9月26日オリックス戦では延長10回表に決勝のタイムリースリーベースを放ってお立ち台に上がった。同年は115試合に出場して打率.275、14本塁打、68打点を記録すると共に自身初のゴールデングラブに選出された。
:まさかの自由契約:
21年も主力選手として期待されてスタメン起用が続いたが打率2割前後という大不振が続いて、6月に入るとスタメンの座を失い25日に登録抹消となった。シーズン終盤には戦力構想から外れたのかほとんどチャンスも与えられないままシーズンが終了、同年にはFA権を取得したが球団から来季の契約を提示しないノンテンダーとして保留権を外す事を告げられて自由契約になった。大田は複数球団から獲得希望を受けたが、東海大相模時代に慣れ親しんだハマスタをホームスタジアムとする横浜DeNAに入団した。入団会見では高校時代にテレビ神奈川でベイスターズの試合を見ていた事を明かし「ここでプレーできるならこれ以上の喜びはない」と語った。
:好走塁でサヨナラ:
移籍初年度は4月6日の阪神戦で延長11回表にスリーベースを放って移籍後初ヒットを記録して三塁ベース上で大きなガッツポーズを見せると、12回表に満塁走者一掃のツーベースを放ってお立ち台に上がった。17日のヤクルト戦で移籍後初本塁打を放つと、21日の阪神戦では3安打、24日の広島戦で先制ツーランを放つなど活躍を続けた。5月8日の広島戦で右太もも裏を痛めて離脱すると、6月3日に1軍へ復帰したが当初は代打での慎重な起用となった。6月30日の阪神戦でスタメンに起用されると1点を追う9回裏に起死回生の同点タイムリーツーベースを放つと、嶺井のヒットで三塁を蹴り、ヘッドスライディングで捕手のタッチを交わしてホームベースにタッチする好走塁で逆転サヨナラ勝利の立役者になった。
:サヨナラヒット:
サヨナラの翌日にもタイムリーと好守で勝利に貢献、続く試合でも先制ソロを放つと、次戦でも先制タイムリーを放ってお立ち台と活躍したが7月7日に再び足を痛めて抹消となった。8月5日に復帰すると9日の阪神戦で2対2で迎えた9回裏二死一、三塁で代打で起用されて三遊間を抜くサヨナラヒットを放ち、お立ち台で「横浜サイコー!」と絶叫した。翌日にも守備でフェンスにぶつかりながら好捕すると飛び出した一塁走者を遠投でアウトにし、8回裏には激走で出塁すると牧のタイムリーで決勝のホームを踏むなど全力プレーで勝利に貢献、直後にコロナウイルスに感染して離脱したが28日に復帰すると30日には5安打を記録した。同年は度重なる故障で62試合出場に留まったが印象的な活躍を見せた。また大声でチームを鼓舞するなど盛り上げ役としても存在感を発揮した。
:前半戦大不振:
23年は誕生日の6月9日に1番スタメンを任されたが3打数3三振で途中交代になるなど前半戦終了時点で打率.127(55打数7安打)という大不振に陥った。だが8月2日の広島戦で3安打を放つと、翌日の広島戦でも3安打を放って復調、8日の中日戦ではソロを含む3安打を放ってお立ち台に上がり「横浜サイコー!」と声を張り上げた。その後も試合前にチーム内で「ここが分岐点になる」と話していたという24日の広島戦で先制タイムリーを放ってお立ち台に上がるなど活躍を続けた。
:74年ぶり:
9月17日の阪神戦では0対0で迎えた9回表に代打で決勝ソロを放つ大仕事をやってのけたが、0対0の9回に代打のソロで試合を決めるのは49年6月18日の南海戦で巨人の藤本が放って以来74年ぶりで2リーグ制度で初という快挙だった。26日にはCSを争う巨人戦で先制タイムリーを放ってお立ち台に上がるなどチームのCS進出に貢献。CSでは故障で欠場となった佐野に代わって3番を任されてファーストステージ初戦で2安打1四球を放つなどチームを引っ張った。 |
|
初記録 |
初出場 |
2009年6月21日ロッテ戦 |
初安打 |
2011年5月18日楽天戦:サンチェスから |
初本塁打 |
2012年9月23日:ヤクルト戦山本から |
初打点 |
2011年5月18日楽天戦:サンチェスから |
初盗塁 |
2012年9月4日阪神戦 |
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|
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|
|
09 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
|
ゴールデングラブ |
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|
● |
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|
|
1回 |
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
09 |
巨人 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
10 |
巨人 |
2 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.000 |
11 |
巨人 |
12 |
26 |
4 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
3 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
9 |
0 |
1 |
.154 |
12 |
巨人 |
21 |
63 |
9 |
16 |
4 |
1 |
2 |
28 |
7 |
3 |
2 |
0 |
0 |
7 |
0 |
15 |
3 |
2 |
.254 |
13 |
巨人 |
21 |
31 |
3 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
2 |
1 |
0 |
2 |
1 |
4 |
0 |
9 |
0 |
0 |
.161 |
14 |
巨人 |
44 |
65 |
14 |
16 |
6 |
0 |
2 |
28 |
12 |
4 |
2 |
0 |
0 |
8 |
1 |
20 |
2 |
0 |
.246 |
15 |
巨人 |
60 |
130 |
13 |
36 |
7 |
0 |
1 |
46 |
3 |
3 |
2 |
0 |
0 |
7 |
1 |
39 |
0 |
1 |
.277 |
16 |
巨人 |
62 |
114 |
12 |
23 |
6 |
1 |
4 |
43 |
13 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4 |
0 |
45 |
3 |
1 |
.202 |
17 |
日本ハム |
118 |
427 |
41 |
110 |
21 |
1 |
15 |
178 |
46 |
5 |
2 |
0 |
2 |
28 |
0 |
88 |
14 |
1 |
.258 |
18 |
日本ハム |
104 |
383 |
56 |
105 |
22 |
4 |
14 |
177 |
59 |
3 |
4 |
0 |
1 |
38 |
7 |
103 |
11 |
0 |
.274 |
19 |
日本ハム |
132 |
557 |
79 |
161 |
28 |
1 |
20 |
251 |
77 |
6 |
2 |
0 |
5 |
27 |
5 |
111 |
22 |
3 |
.289 |
20 |
日本ハム |
115 |
455 |
57 |
125 |
16 |
1 |
14 |
185 |
68 |
3 |
3 |
0 |
0 |
25 |
1 |
105 |
11 |
1 |
.275 |
21 |
日本ハム |
76 |
191 |
11 |
39 |
5 |
2 |
3 |
57 |
20 |
1 |
1 |
0 |
1 |
14 |
0 |
50 |
10 |
1 |
.204 |
22 |
横浜 |
62 |
144 |
17 |
40 |
10 |
1 |
5 |
67 |
18 |
0 |
1 |
1 |
1 |
6 |
1 |
33 |
4 |
0 |
.278 |
23 |
横浜 |
75 |
175 |
18 |
38 |
12 |
0 |
4 |
62 |
15 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9 |
2 |
49 |
2 |
1 |
.217 |
|
球団 |
2年 |
137 |
319 |
35 |
78 |
22 |
1 |
9 |
129 |
33 |
0 |
1 |
1 |
1 |
15 |
3 |
82 |
6 |
1 |
.245 |
|
通算 |
15年 |
907 |
2768 |
334 |
718 |
138 |
12 |
84 |
1132 |
343 |
29 |
19 |
4 |
13 |
177 |
18 |
678 |
82 |
13 |
.259 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
14 |
巨人 |
2 |
4 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.500 |
18 |
日本ハム |
3 |
11 |
2 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.182 |
22 |
横浜 |
2 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
23 |
横浜 |
2 |
8 |
1 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.250 |
|
通算 |
4年 |
9 |
28 |
3 |
6 |
3 |
0 |
0 |
9 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
4 |
0 |
0 |
.214 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
09 |
巨人 |
101 |
403 |
51 |
96 |
12 |
2 |
17 |
163 |
56 |
16 |
0 |
1 |
20 |
123 |
7 |
23 |
.238 |
10 |
巨人 |
101 |
407 |
54 |
108 |
22 |
2 |
21 |
197 |
70 |
10 |
0 |
6 |
29 |
109 |
15 |
24 |
.265 |
11 |
巨人 |
105 |
405 |
42 |
103 |
17 |
2 |
6 |
142 |
40 |
28 |
1 |
4 |
50 |
109 |
5 |
13 |
.254 |
12 |
巨人 |
83 |
325 |
42 |
90 |
24 |
5 |
8 |
148 |
41 |
12 |
0 |
1 |
18 |
77 |
10 |
4 |
.277 |
13 |
巨人 |
67 |
257 |
41 |
70 |
14 |
0 |
13 |
123 |
43 |
7 |
0 |
2 |
24 |
67 |
7 |
2 |
.272 |
14 |
巨人 |
72 |
274 |
47 |
70 |
14 |
2 |
10 |
118 |
37 |
12 |
0 |
1 |
27 |
81 |
7 |
3 |
.255 |
15 |
巨人 |
33 |
125 |
21 |
37 |
8 |
0 |
11 |
78 |
32 |
1 |
0 |
3 |
9 |
32 |
3 |
0 |
.296 |
16 |
巨人 |
29 |
118 |
20 |
42 |
8 |
4 |
4 |
70 |
18 |
1 |
0 |
0 |
5 |
22 |
3 |
1 |
.356 |
17 |
日本ハム |
2 |
5 |
1 |
2 |
0 |
1 |
0 |
4 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.400 |
18 |
日本ハム |
4 |
12 |
1 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
0 |
.250 |
19 |
日本ハム |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
21 |
日本ハム |
29 |
112 |
20 |
27 |
6 |
1 |
6 |
53 |
20 |
0 |
0 |
1 |
5 |
21 |
2 |
1 |
.241 |
22 |
横浜 |
6 |
18 |
2 |
7 |
2 |
0 |
0 |
9 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
7 |
1 |
0 |
.389 |
23 |
横浜 |
8 |
30 |
3 |
12 |
2 |
0 |
1 |
17 |
6 |
0 |
0 |
1 |
3 |
6 |
2 |
0 |
.400 |
|
通算 |
14年 |
641 |
2494 |
345 |
667 |
130 |
19 |
97 |
1126 |
372 |
88 |
1 |
20 |
194 |
657 |
62 |
71 |
.267 |
|
|
|