:幼少期:
フィリーズ傘下のマイナーリーグで捕手としてプレーした父親のボブと母親のトリシャの間に生を受けた。小学校時代には野球に加えてバスケットボールとサッカーもプレイした。ガゼルマンが15歳の時に母親のトリシャが乳がんの宣告を受けて翌年に亡くなった。元気なころには試合に駆け付けて背中を押してくれた最愛の母親の死に大きなショックを受けたが、母の遺灰を海へ返した日の午後の試合にも出場してホームランを放った。
:二刀流:
ウエストチェスター高校では夏に野球、冬にバスケットボールをプレー。野球ではドジャースタジアムで行われたシティ・チャンピオンシップで完封、バスケットボールでもカルフォルニア州チャンピオンチームのキャプテンに選ばれて地元新聞から二刀流選手として賞賛を受けた。
:メッツ入団:
11年のドラフトでメッツから13巡目指名(全体の402人目)を受けて契約。4年目の14年にはAで20試合に先発して10勝6敗、防御率2.55という好成績を残した。翌15年にはA+で6勝0敗、防御率1.76、AAでは7勝7敗、防御率3.51と順調にステップアップした。
:MLBデビュー戦で白星:
16年はAAで防御率2.71という好成績を残して6月11日にAAAへ初昇格すると、8月22日に待望のメジャー初昇格を果たした。翌23日のカージナルス戦で先発のニースが左膝の半月板を痛めて降板したため、初回の一死一、三塁という厳しい場面の緊急登板でメジャーデビューとなった。代わり端のモリーナにタイムリーツーベースをはじき返されたが、続くペラルタをサードゴロに打ち取ると、ジョーコから空振りでメジャー初奪三振を記録、ロングリリーフで4回まで投げて2安打3四球で無失点に抑えてメジャー初登板で初勝利を記録した。
:初先発:
初先発となった8月28日のフィリーズ戦では6回までは4安打1四球で1失点に抑えたが、1対1の同点で迎えた7回表に3連打を浴びて敗戦投手になった。だが続くナショナルズ戦では6回を6安打3四球ながらレンドーンの犠牲フライのみに抑えて2勝目を記録した。その後もシーズン最後まで先発に定着して4勝2敗、防御率2.42という好成績を残した。
:先発5番手:
激しい開幕ローテション争いを勝ち抜いた17年は4月13日のマーリンズ戦で4.2回で8失点KO(試合は延長16回の激戦の末に9対8でメッツ勝利)になるなど春先は苦しんだが、いきなり先頭打者ホームランを被弾した5月1日のブレーブス戦で大量援護を受けて1勝目を記録すると、続く6日のマーリンズ戦ではスタントンとオズナにホームランを被弾したが、イチローを2打席連続のショートゴロに打ち取るなど走者を出しながらも5回3失点と粘って2勝目を記録した。
:8勝:
5月13日のブリュワーズ戦では現ヤクルトのサンタナに2安打1四球と打ち込まれるなど4回で6失点KOとなり中継ぎ降格となったが、29日のブリュワーズ戦で先発として起用されるとサンタナにホームランこそ浴びたが7回を3安打2四球と復調して、そこから3連勝を記録した。その後は大量失点もあってマイナー降格も味わったが、9月には6日のフィリーズ戦で6回降雨コールドで完投勝利を記録するなど月間3勝を上げて、防御率は5.19ながら8勝7敗まで数字を伸ばした。
:リリーフ転向:
中継ぎに転向した18年はフルシーズンをメジャーで完走して実に68試合に登板、イニング数を超える80回を投げて防御率4.28を記録、ロングリリーフに加えて勝ちパターンの8回、9回も任されて6勝3敗13セーブとチームを支えた。翌19年も4月に月間13試合に登板して17.1回を投げるなど前年を上回るペースで投げ続けた。6月4日のジャイアンツ戦では3対3で迎えた10回表を任されたが先頭のオースティンにライト前ヒットを打たれてしまうと、そこから滅多打ちにあって一死しか奪えず5失点と大幅に数字を落とした。同年は8月に背中を痛めてシーズン終盤は欠場したが52試合に登板して防御率4.66を記録した。
:横浜移籍:
コロナウイルスの影響で短縮シーズンとなった20年は4試合の先発を含む6試合に登板したが防御率9.64と苦しみ9月8日のオリオールズ戦で肋骨を骨折してシーズンを終えた。翌21年はロングリリーフとして好投を続けていたが6月下旬に故障で戦列を離れて17試合登板に留まった。22年は開幕直前にカブスとマイナー契約を結び、5月にメジャーへ昇格して鈴木
誠也とチームメイトとなった。8試合の登板でマイナー降格となり、7月16日に横浜ベイスターズへ移籍した。
:キン肉マン:
8月11日に来日すると2軍調整を経て8月27日に1軍昇格、人気漫画キン肉マンに同名キャラクターが登場することもあって登場曲に選ばれた「キン肉マンGo
Fight!」が流れる中で同日のヤクルト戦で登板したが、ベイスターズにとって久々の首位攻防戦で独特な雰囲気となった超満員のハマスタに飲まれたのかオスナのスリーランなどで4失点というほろ苦デビューとなった。だが9月13日の中日戦で先発を任されると7回を3安打1四球に抑えて高橋宏に投げ勝ちお立ち台に上がると、その後も好投を見せて登板わずか4試合ながら残留となった。
:3連勝も:
23年はパスポート盗難で来日が遅れたが4月8日の中日戦で自ら同点タイムリーを放つと、投げても6.1回を1失点に抑えてお立ち台に上がった。すると続く14日の阪神戦で5回2失点、25日のヤクルト戦で6回無失点と好投を続けて3連勝という上々のスタートを切った。だが豪雨の中で強行された5月13日の阪神戦で明らかに集中力を欠いて投手にストレートの四球を与えるなど3.2回で6四死球で自滅、6月に入ると10日のオリックス戦で森に2打席連発で被弾するなど状態を落として8月以降は1軍登板のチャンスはなく同年限りで戦力外となった。 |
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