:中日入団:
MLBでは7年間で475試合に出場。60年にはレギュラーとして117試合に出場して、打率.290(459打数133安打)を記録した。兄のボブ・アスプロモンテもMLBで1103安打を放った名選手。64年に中日に入団。
:罰金:
おとなしい頭脳的なプレーヤーだったが、中日時代には微妙な判定で2打席連続で見逃し三振。激怒したアスプロはバットを投げて退場になると、ベンチではイス、冷氷器を破壊した。西沢監督に「ユニホームを脱げ、もう来るな」と言われたが、西沢宅で謝り事なきを得た。ちなみに同事件で外国人選手で始めて罰金を払った(5万円)。
:2者連続:
64年6月7日大洋戦、2回表無死一塁で葛城がセカンドゴロを放ち、4-6-3とボールが回ってダブルプレー完成というところだったが、一塁手が落球しランナーが残った。だがここで打席に入ったアスプロがまたもセカンドゴロを放ち今度はダブルプレーが完成した。面白いことに「もしエラーが無ければ併殺が完成していたと思われる場合、打者には併殺打が記録される」ため、葛城とアスプロは1イニングで2併殺打を放つ珍記録を残した。
:大洋移籍:
66年に大洋に移籍した。打率.276で11本塁打とまずまずの成績を残したが一年限りで解雇された。
:MLB監督:
69年からマイナーの監督を務め、72年には40歳で前年に勝率.370と低迷したインディアンスの監督に就任。だが3年間で通算220勝260敗と結果が残せず、翌75年から黒人初の監督フランク・ロビンソンに指揮が移った。その後はビール会社に勤務。 |
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