:南海入団:
オクラホマ州ウエイオカで生まれ、18歳で結婚し、オクラホマ農工大を学費不足で中退した。大学までは長身を生かしてバスケットボールもしていたが、大学中退後はドジャースに入団。59年にMLB昇格を果たしたが、わずか2試合の登板に留まり、翌60年に南海に入団。初年度に防御率2.48で17勝12敗という好成績を残した。
:直接対決で1安打完封:
61年の南海は8月17日が終了した時点で2位の西鉄に10ゲーム差をつける独走状態だった。たが8月下旬に6連敗を記録すると、その後も連敗を繰り返し、その間に11連勝を記録した東映に一気に抜かれてしまった。そして最後に迎えた直接対決。3勝したほうが優勝という5連戦の初戦に先発したスタンカは延長10回を1安打に抑えて完封勝利。翌日も南海が勝利し、第3戦もスタンカが8安打で2失点に抑えて完投勝利。最後のキャッチャーフライを野村が掴むのを見届けると、スタンカはグラブを宙に放り投げて、大きなガッツポーズを見せた。
:日本シリーズで打者27人の完封:
巨人との日本シリーズでは初戦に先発し、長嶋、王を擁する巨人打線を3安打、1四球で完封。出した4人の走者も全て併殺で塁上から掃除して何と打者27人という完璧な内容だった。第3戦にも先発して6回まで4安打に抑えて4対2とリードしていたが、7回裏にスタンカが一死一、三塁というピンチを招くと、坂崎の浅いフライをレフトの穴吹がまさかの落球。これで流れが変わって、長嶋、宮本と連打を打たれて逆転負けとなってしまった。
:ボール判定:
日本シリーズ第4戦。3対2と1点リードで迎えた9回裏の無死一塁という場面でスタンカはリリーフのマウンドに上がった。簡単に二死を取ったが、エラーと内野安打で二死満塁という逆転サヨナラという場面を招いてしまう。スタンカは打席に迎えたエンディ宮本を2−1と追い込むと、外角低めの完全なストライクゾーンにシンカーを投げこんだ。だが球審の円城寺はこれをボールと判定した。
:ボール判定2:
スタンカと捕手の野村 克也は3分間に渡って猛抗議をしたが判定が覆るはずもなく試合は再開された。すると外角に投げ込まれた5球目を宮本にライト線に弾き返されてしまう。スタンカは捕手のカバーに入るふりをしながらマウンドを駆け下りて、球審の円城寺に体当たりをした。小柄な円城寺は吹き飛ばされて仰向けに倒れ、その間に巨人の逆転サヨナラのランナー藤尾がホームを駆け抜けた。円城寺は突き飛ばされていてその瞬間を見ていないがセーフの判定を下し巨人が逆転サヨナラ勝ちを決めた。
:中0日で先発:
後がなくなった第5戦には中0日でスタンカが先発のマウンドに上がると、7安打、無四球で気迫の完投勝利を上げて意地を見せた。第6戦でも7回表からシリーズ5試合目のマウンドに上がって、3イニングを抑えたが、延長10回表に二死一、三塁から坂崎の打ち上げたフライがセンター前にポトリと落ちて決勝点を許して、日本一はならなかった。
:MVP:
64年には鶴岡監督は「スタンカは日本人の心を持っている」ともらしたように277回2/3を投げ抜いて26勝7敗で防御率2.40という素晴らしい成績を残し外国人初のMVPに選ばれた。阪神との日本シリーズでも、初戦に3安打、1四球という2年前と同じ完璧なピッチングで完封勝利を達成。第3戦では3回途中4失点でKOされてしまったが、第6戦では先発して2安打、無四球、8奪三振という初戦を上回る内容で完封。打っても駄目押しタイムリーを含む2安打を放っている。
:シリーズで2日連続の完封:
スタンカの完封でシリーズは3勝3敗になり、鶴岡監督はスタンカに「いけるか?」と聞いた。スタンカは「いける」と答えた。スタンカはリリーフでのつもりのOKだったが、第7戦の先発はスタンカだった。中0日のマウンドに上がったスタンカは「連投の疲れはなかった、生まれてこのかた一番、心地良い肩の調子」と言い放ち前人未到のシリーズ二日連続完封勝利で、シリーズ3完封を達成した。文句なしでMVPを獲得したスタンカは、商品のクルマのナンバープレートに「2607」(26勝7敗)をつけた。
:大洋移籍:
65年も防御率3.28で14勝12敗と活躍したが、長男が自宅の風呂場でガス事故死するという悲劇があり、大きなショックを受けたスタンカは帰国を決意して南海を退団した。翌66年にジーン夫人の「もう一度野球をやっている姿を見せて」という言葉もあって大洋に入団したが6勝13敗、防御率4.16に終わって同年限りで引退。9月27日の巨人戦では通算100勝を記録して有終の美を飾っている。
:ボール判定3:
引退後は「私くらい日本向きの選手かどうかわかるものはいない」と外国人選手スカウトとして各球団に売り込んだがどこも応じなかった。また打撃も優秀で外野手としても33試合に出場している。一塁手でも2試合。なおアメリカのヒューストンに住むスタンカの家には、日本から来たファンが残していった「円城寺 あれがボールか 秋の空」と書かれた色紙が飾られている。22年後の83年7月12日、円城寺は75歳で生涯を遂げた。円城寺は臨終のときに「ボールだ、ボールだ」と二度言ってから、息を引き取ったという伝説がある。 |
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