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幸田 優



44
名前 こうだ まさる
生年月日 1938年11月2日
経歴 荏原高−大洋
入団年 57年に荏原高から入団
在籍年 57年−62年
背番号 57年[51]:58年−62年[44]
投打 投げ打ち
守備 投手
::
速球投手として名を馳せた荏原高では3年夏の都大会準々決勝の明治高戦でポテンヒットとエラーから逆転を許して甲子園出場はならなかった。慶応進学と言われていたが家庭の事情で57年に大洋に入団。182センチと当時としてはかなりの長身。

3試合連続
ルーキーイヤはわずか2登板に終わったが、翌59年には5月6日巨人戦で4安打完封を達成。巨人戦の初登板で完封勝利を達成したのは2リーグ分立後では2人目の快挙だった。続く5月10日の国鉄戦でも4安打完封勝利を達成した幸田は5月16日広島戦でも3安打完封勝利と球団記録の3試合連続完封を達成した。またその間に秋山が5月13日と19日に完封を記録したためチーム4試合連続完封も達成。なお幸田は同年には通算4完封を記録したが勝敗は7勝10敗に留まった。

4K
59年7月5日広島戦ダブルヘッダーの第2戦の2回表、幸田は先頭バッターの大和田 明から空振り三振を奪ったが、これが振り逃げとなってランナーを許すと、大和田にニ盗も決められて無死二塁というピンチになった。だが幸田はここから踏ん張って藤井、横溝桂を連続三振に切って取って三者連続三振。続く上田 利治にはレフト前に運ばれて1点を失ってしまったが、興津立夫も空振り三振に抑えて、史上初の1イニング4三振を記録した。なおイニング4三振で失点したのは幸田のみ。

60年の開幕投手
60年開幕戦の試合前。中日の牧野コーチが投げたノックバットが開幕投手が決定していた秋山 登の頭を強打して秋山は病院送りとなった。緊急事態で三原監督は急遽幸田を開幕戦のマウンドに送ったが、惜しくも3対4で破れるとそのままチームは開幕6連敗を喫してしまった。なお幸田は翌日のダブルヘッダーでも負け投手になり開幕二日で2敗を記録した。

引退
62年の春のキャンプで打撃投手をしていた幸田は頭部に打球が当たってしまい、同年には1イニングしか投げれず引退することになった。


初記録
初登板
初勝利
初奪三振
初セーブ
初完投
記録達成日
1イニング4奪三振(日本記録) 59年7月5日広島戦






  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
58 大洋 2 0 0 0 0 - 5.0 5 1 2 0 3 0 0 3 3 5.40
59 大洋 37 8 4 7 10 - 153.1 115 16 53 4 136 4 0 58 49 2.86
60 大洋 23 0 0 2 4 - 42.0 35 0 20 2 40 0 0 16 14 3.00
61 大洋 19 0 0 1 2 - 37.1 30 3 9 0 27 2 0 13 11 2.61
62 大洋 2 0 0 0 0 - 1.0 4 0 0 0 0 0 0 2 0 0.00
通算 5年 83 8 4 10 16 - 238.2 189 20 84 6 206 6 0 92 77 2.90


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
58 大洋 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
59 大洋 38 40 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 4 0 22 1 1 .025
60 大洋 24 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
61 大洋 23 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .143
62 大洋 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 5年 80 52 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 4 0 26 1 1 .038