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渡辺 清



29
名前 わたなべ きよし
生年月日 1932年11月30日
経歴 戸畑高−専修大−阪急−大洋
入団年 60年に阪急から移籍
在籍年 60年−61年
背番号 60年−61年[29]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
新人王ならず
55年に阪急に入団すると、いきなり打率.303、54打点を放って、パリーグ初の新人3割打者になったが、榎本 喜八が打率.298、16本塁打を放ったため新人王を逃した。

:サイクルヒット&
57年7月17日近鉄戦で渡辺はサイクルヒットを放った。だが当時はサイクルヒットという概念は無かったため話題にはならなかった。また第2打席で武智文から放った本塁打がプロ野球通算10001号だった。そしてそれから19年後の76年、報知新聞が1939年の阪神の「チーム本塁打33本」は間違いで、実際は「32本」という衝撃的な記事を一面に載せた。これによって渡辺の10001号は10000号となり、これによりサイクルヒットと10000万号を同試合で達成したことになった。

大洋移籍
初年度こそ素晴らしい成績を挙げた渡辺だったが、その後に目を痛めたこともあって成績を落としていた。そんな渡辺を西鉄ベンチから見ていた三原監督は、60年の大洋の監督就任時に渡辺に「私と一緒にやらないか」と声をかけて大洋に移籍させた。また三原が唯一選手の仲人を引き受けたのも渡辺であった。

均衡破る
60年の日本シリーズ第4戦では、0対0の5回表に小野正一からレフトライナーを放つと、これを左翼手山内がはじいて二塁打になり、二死二塁から近藤昭のセンター前で決勝のホームを踏んだ。


初記録
初出場
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁
その他の記録
サイクルヒット 57年7月19日近鉄戦
プロ野球通算10000号 57年7月19日近鉄戦





  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
55 阪急 132 413 63 125 22 11 2 175 54 33 18 21 3 33 3 60 9 7 .303
56 阪急 136 427 50 106 18 7 3 147 56 34 12 16 5 36 1 73 5 8 .248
57 阪急 125 399 48 99 12 4 9 146 52 42 18 5 5 46 2 70 16 4 .248
58 阪急 93 259 21 65 7 2 1 79 19 17 6 2 1 28 2 58 1 2 .251
59 阪急 69 122 10 19 3 1 1 27 6 4 3 2 0 14 2 28 2 3 .156
60 大洋 120 274 30 58 10 1 3 79 13 12 9 8 0 32 1 72 7 2 .212
61 大洋 53 29 2 4 0 1 0 6 0 0 0 4 0 2 1 11 1 2 .138
球団 2年 173 303 32 62 10 2 3 85 13 12 9 12 0 34 2 83 8 4 .205
通算 7年 728 1923 224 476 72 27 19 659 200 142 66 58 14 191 12 372 41 28 .248


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
60 大洋 4 11 1 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .364