竹下 浩二
47
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名前 |
たけした こうじ |
生年月日 |
1963年6月18日 |
経歴 |
興南高−大洋(81年D4位) |
入団年 |
81年にドラフト4位で入団 |
在籍年 |
82年−86年 |
背番号 |
82年−86年[47] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
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|
:沖縄へ:
兵庫県の尼崎出身だが中学時代に入部した野球部が2か月で廃部となり、元大洋の辻が監督を務めていた少年野球チームで自主練習に精を出していたところ、プロ野球のスカウトの目に留まり、そのスカウトの紹介で沖縄の興南高校に進学することになった。
:甲子園:
興南高では言葉や気温、食べ物の違いに苦しんで当初は体重が10キロ以上落ちたが、沖縄にとけ込み始めた2年夏から3季連続で甲子園に出場、3年夏には4番エースとしてチームを引っ張ったが、1回戦で同僚となる松本
豊を擁する秋田経済大付属に1対5で敗れた。
:大洋入団:
ドラフト4位で大洋から指名されて入団。2年目には開幕1軍に残ったが登板機会がないまま登録抹消、開幕直後に痛めていた足首の痛みを隠して練習を続けたが、無理が響いたのか逆の足首も故障してしまった。3年目には1軍で7試合に登板したが、翌年以降はチャンスがもらえず86年に戦力外通告を受けた。
:関内でレストラン:
大洋から打撃投手のオファーを受けたが建設会社への収穫が内定していたため断ったが、巨人から打撃投手のオファーを受けるとユニホームへの憧れもあって受諾、13年間にわたって裏方として巨人を支えた。00年からは毛布小物の製造販売を行う会社で営業職や調査会社での浮気調査など経て、07年に横浜スタジアムにほど近い場所にレストラン「瀬降」をオープンした。 |
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初記録 |
初登板 |
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初勝利 |
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初奪三振 |
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初セーブ |
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初完投 |
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投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
84 |
大洋 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9.0 |
1 |
1 |
5 |
0 |
3 |
0 |
0 |
7 |
7 |
7.00 |
|
通算 |
1年 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9.0 |
1 |
1 |
5 |
0 |
3 |
0 |
0 |
7 |
7 |
7.00 |
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打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
84 |
大洋 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
1年 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
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