川北 和典
70
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名前 |
かわきた かずのり |
生年月日 |
1970年11月18日 |
経歴 |
国学院久我山高−プリンスホテル−大洋(91年D8位)−横浜 |
入団年 |
91年にドラフト8位で入団 |
在籍年 |
92年−93年 |
背番号 |
92年−93年[70] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
内野手 |
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:3年間で3本:
幼いころはママゴトをするような内向的な子供だったが、男らしくするために小1から野球を始める。中学時代にはシニアの強豪チームに入ったが3年間で3本のヒットしか打てなかった。中3の夏から身長が急激に伸びて、国学院久我山では2年夏からレギュラーを掴んだ。3年夏は県大会準決勝で堀越学園に敗れて甲子園出場はならなかった。
:入団テスト:
プリンスホテルに入社して社会人野球で2年間プレーしたが、母親が大病を患い、父親の健康面にも不安があった事から90年の都市対抗野球終了後に退社。兄とともに一年間家業を手伝った。野球への未練を断ち切るために翌91年に大洋の入団テストを受けると、135人の受験者で唯一の合格を勝ち取って、同年のドラフト会議で8位指名を受けて入団した。
:大洋と横浜:
入団テストで肩を痛めて、キャンプでは左手の手のひらを骨折と出遅れた。8月には2軍でヤクルトのドラフト1位石井 一久と対戦、三振には倒れたが11球粘って自信をつけた。わずか2年で引退したが大洋ホエールズと横浜ベイスターズに所属した。一軍出場はなし。 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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92 |
大洋 |
37 |
87 |
16 |
23 |
5 |
0 |
1 |
31 |
10 |
7 |
1 |
0 |
14 |
27 |
3 |
4 |
.264 |
93 |
横浜 |
47 |
91 |
12 |
17 |
2 |
0 |
0 |
19 |
7 |
1 |
3 |
0 |
7 |
21 |
3 |
8 |
.187 |
|
通算 |
2年 |
84 |
178 |
28 |
40 |
7 |
0 |
1 |
50 |
17 |
8 |
4 |
0 |
21 |
48 |
6 |
12 |
.225 |
|
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