:横浜移籍:
88年にブリュワーズで10勝8敗を上げ、開幕投手を務めたこともある。95年5月20日には3年ぶりにMLB昇格を果たし、27.2回を投げて防御率1.63という素晴らしい成績を残していたが、本人の希望でシーズン途中に横浜ベイスターズへの移籍が決まった。
:縁:
ブリュワーズ時代にはブラッグスとチームメイトで、6月26日にバークベックが来日すると、前日まで17打席連続ノーヒットだったブラッグスは5試合で21打数10安打と大爆発した。ちなみにアドゥチやマイヤーともチームメイトだった。
:初登板:
来日からわずか一週間後の95年7月2日中日戦でファームでの調整登板も無いまま初登板初先発。初回に清水にツーベースを打たれてピンチを招いたが、大豊をパームで空振り三振に仕留めて無失点で切り抜ける。2回にも山崎にヒットを打たれたが、続く仁村を併殺打に打ち取った。すると以後は一人のランナーも許さない素晴らしいピッチングを見せた。初登板ということで6回でマウンドを降りたが、2安打無四球という完璧な内容で初登板初勝利を飾った。
:初の完封:
2試合目の登板となった7月8日ヤクルト戦では5回3失点ながら、チームは延長12回の裏に宮里のタイムリーでサヨナラ勝ち。翌週の登板を雨で流して迎えた7月18日広島戦では5安打、無四球、9奪三振で球団の外国人選手初の完封勝利で2勝目を飾った。ベイスターズファンのやくみつる氏は「なぜ開幕前に獲れなかったのだ。そしたらあと5勝は上積み出来てたのに!」と憤った。
:一瞬の閃光:
ストレートは130キロ台だったが、多彩な変化球と38.1回を投げて8四球という抜群のコントロールで試合を作った。同年は7月が終わって貯金5と、久々に5割ラインをキープしていたこともあり、バークベックの到来は救世主のそれであった。だが8月5日の巨人戦で5回表にシェーン・マックの痛烈な打球を右足に受けて骨折。シーズン終盤に復帰したが3イニングで3失点と精彩を欠き、翌年もわずか4試合で防御率11.81と散々たる成績で退団することになった。 |
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