:MLBデビュー:
88年にドラフト6位でミネソタ・ツインズに入団。92年にMLBに初昇格。3年目の94年には先発として起用されて120回を投げて9勝5敗、防御率4.73を記録。翌95年は主にリリーフで47試合に登板して4勝10敗、防御率6.37、96年のシーズン途中にレッドソックスへ移籍したが好成績は残せなかった。
:横浜移籍:
97年には3Aのポータゲットでクローザーを務め5勝1敗7セーブ、防御率2.84をマークし、シーズン途中に横浜ベイスターズに移籍。7月8日に来日すると、8月21日ヤクルト戦では毎回のようにランナーを出し、5.1回で8安打を打たれたが、ホージーを3タコに打ち取るなど何とか無失点で凌いだ。試合は2回表に波留の走者一掃の3点タイムリーツーベースで先制した横浜が逃げ切り、首位ヤクルトとの3連戦3連勝を達成。ゲーム差を3.5まで縮めて久しぶりの優勝争いに食い込んだ。
:投手での代走起用:
98年4月14日広島戦では野村謙二郎に4安打を打たれて敗戦投手になったのをきっかけに3連敗で二軍落ち。高い身体能力を見込まれて投手でありながら代走でも出場した。明るいお調子者だったが、ローズが権藤監督に「あいつがうるさくて集中できない」と洩らしたため、1軍ラインぎりぎりだったマホームズは二軍に落とされることになった。谷繁も「またマホームズですか、あれだけは勘弁してください」と権藤監督に訴えるなど、激しい性格だったマホームズはチームから好かれていなかった。その後に1軍に復帰したが結果が残せずに2軍降格となると「自分より成績の悪い選手がいるのに、なぜ下に行かないんだ!」と激怒して優勝前に帰国した。
:MLB300試合登板:
99年はMLBのメッツで39試合に登板して8勝0敗、防御率3.68という好成績を残した。翌年からは2年連続で50試合に登板、帰国後に5年間に渡ってメジャーでプレーした。MLB通算306試合登板で42勝39敗、防御率5.47という
:息子がスーパースターに:
息子のパトリック・マホームズ2世は子供時代から野球やバスケットもプレーしたが、高校時代に自らの意思で父が難色を示していたアメフトでQBをやりたいと決意、高校卒業時にはMLBのデトロイト・タイガースから37巡目指名を受けたが、NFLを目指してテキサス工科大へ進学、爆撃機の異名を得た正確なパスで高い評価を受けてチーフスからドラフト1巡目(全体10位)で指名されて4年18億円で契約。2年目には開幕第2戦でチーム記録となる6TDパスを決めるなど、開幕からの3試合で2013年にマニングが記録した12TDパスを上回る13TDパスという新記録を樹立、父であるマホームズは「僕は僕の選手生活を誇りに思っているけども、息子はすでにそれを追い越してしまったと言わなければいけないね」と喜んだ。
:MVP&MVP:
NFL史上3人目の50TDパスを記録してチームの躍進に大きく貢献、23歳にしてMVPに選出された。野球のショートとしてプレーした経験を生かしたサイドスローのパスを得意にし、幼い頃からメジャーリーグのクラブハウスでスター選手に囲まれていた事もメンタル面の成長に繋がった。翌19年シーズンにはチームを50年ぶり2度目のスーパーボウル制覇に導き、スーパーボウルMVPに選出された。 |
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