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80年にドジャースから2位指名を受けて入団。
83年にAAで打率.337、18本塁打、43盗塁を記録して、AAAを飛び越してメジャーに昇格。85年のシーズン途中にパイレーツに移籍するとメジャーに定着、85年からの6年間ではシーズン平均115試合に出場して打率.270前後を記録し、通算100盗塁も達成するなど俊足好打の外野手として活躍した。
:大洋入団:
90年も95試合に出場して打率.288を記録すると、フリーエージェントになったレイノルズに所属していたパイレーツが1億円、カブスが1億6000万円などを提示したが、同年オフに日米野球で来日したレイノルズに大洋が1億7000万円を提示して獲得した。
:日本新:
91年の開幕戦となった4月6日の阪神戦で4安打デビューを飾ると、8月には1日の中日戦で今中から2安打を放つと3〜4日のヤクルト戦で7打数7安打を記録して9打席連続安打を達成、続く8月4日のヤクルト戦では初回のチャンスでレフト前ヒットを放って日本タイ記録の10打席連続ヒットを達成、「打席では肩の後ろから大きなウェーブが押し寄せているような気分だった」とプレッシャーを感じながらも大記録を達成したレイノルズは続く打席で宮本
賢治からホームランを放って日本新記録の11打席連続ヒットを達成した。
:ベストナイン:
7月までは打率.290で7本塁打とまずまずの成績だったが、8月には11打席連続ヒットを含む月間32安打を記録するなど月間打率.356で21打点を記録、通算でも打率,316、15本塁打、80打点と活躍、ダイナミックの走塁と守備でもスタンドを沸かせてベストナインとゴールデングラブに輝いた。翌92年は史上初の2年連続開幕戦4安打を記録すると、開幕から4戦中3戦で猛打賞という離れ業を見せたが、通算では打率.248と大きく数字を落として退団となり、近鉄に移籍した。
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10月6日の西武戦。西武のマジック1で迎えた試合は、西武が2対1とリードして9回裏に入ったが、二死から大島公が渡辺久からタイムリーを放って同点に追いつく。そして延長11回表に西武が鈴木健のソロで勝ち越すと、その裏に打者ブライアントという場面で潮崎がレフトに入り、左腕の杉山賢がブライアントを打ち取ると、ここで潮崎がマウンドに戻り石井浩を空振り三振で優勝まで1アウトとなったが、続くレイノルズが同点ソロを放って試合を引き分けに持ち込み宿敵西武に意地を見せた。同年には打率.298と好成績を残すも退団となった。 |
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