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MLB記録 タイトル


ラミレス



名前 Alexander Ramon Ramirez
生年月日 1974年10月3日
経歴 サンアントニオデパウラ高−インディアンス−パイレーツ−ヤクルト−巨人−横浜−BCリーグ群馬
入団年 12年に巨人から移籍
在籍年 12年−13年
背番号 12年−13年[3]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
ベネズエラ出身
ベネズエラの首都カラカスから車で45分ほどの小さな町「ピニャンゴ・デ・ジャレ」で育った。町の人口は200人ほどでそのうち75%がラミレスの一族だった。電気水道は通っていたが、水道は週3日ほどしか使えず、電気も金銭的な問題でたまにテレビを見る時くらいしか使われなかった。5歳のときに牛乳パックで作ったグラブと靴下を丸めたボールで野球を始めたラミレスは8歳になると監督にスカウトされてリトルリーグに入団した。

ユント
兄と愛犬のユントと一緒にイグアナを捕まえに行った帰り道、兄が棒にくくつけたイグアナを持って川を泳ぎ始めると、イグアナの血に引き寄せられたワニが兄に近づいていくのが見えた。愛犬のユントはワニに向かって吼え始めると、そのまま川に飛び込んでワニに襲い掛かった。その間に兄は岸に泳ぎ着いて助かったが、ユントはワニに食べられてしまった。ラミレスは今でもユントの思い出を話し始めると涙なしにはいられないという。

インディアンスと契約
14歳の時にピッチャーとして20奪三振を記録。外野手もやっていたがボールをよく蹴飛ばすことからチームメイトからはペレ(サッカーの王様)と呼ばれることもあった。15歳になると野球に集中するために学校を退学。国内選手権で外野手二人が故障したため外野手として出場した試合で2本塁打を放つと、その試合を見ていたクリーブランド・インディアンスのスカウトに見出されて契約した。

MLB昇格
最初の1年はドミニカのユースアカデミーでプレーし、翌93年にアメリカのルーキーリーグで打率.270を記録。徐々にステップアップして98年にはAAAで打率299、34本塁打、103打点という好成績を残して9月にMLB初昇格。9月19日のロイヤルズ戦で7回裏に代打でMLB初出場(見逃し三振)。初スタメンとなった9月21日のヤンキース戦で5回表にA・ペティットから初ヒットを記録した。

ゲーム5打点
99年には6月17日のアスレチックス戦でケニー・ロジャースから初ホームランとなるツーランを放った。9月6日のオリオールズ戦では7回表に同点ツーラン、8回表に走者一掃のスリーベースを放って5打点を記録。スリーベースを打った際にはサードのカル・リプケンから「とてもいいスイングだった。よくやったな」と声をかけられた。同年には打率.299、長打率.474という好成績を残したがマニー・ラミレス、ケニー・ロフトン、デビット・ジャスティスが強力な外野陣を形成していたため控え選手に留まった。

パイレーツからヤクルトに移籍
00年のシーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍。当初はスタメンとして起用されたが、打撃コーチに指示された打撃フォームがしっくり来ないこともあって結果が残せなかった。打撃コーチにフォームを元に戻したいと伝えると、翌日からスタメンを外されて監督からは別の選手を使う事を告げられた。失望したラミレスのもとににタイミングよくヤクルトからのオファーが届き、ラミレスは日本行きを決意した。

ゲーム9打点
初年度は主に7番で起用されたが打率.280、29本塁打、88打点という素晴らしい成績を残してリーグ優勝に貢献。翌02年には稲葉、ペタジーニ、真中といった主力が故障で離脱する中でクリーンナップとして活躍。5月29日の巨人戦では0対1とリードを許して迎えた9回裏に開幕から無失点の好投を続けていた抑えの河原から逆転サヨナラツーランを放った。7月6日の広島戦では初回に満塁ホームラン、6回表にスリーラン、9回表に2点タイムリーを放って、ロジャー、スコット、池山が持っていた球団記録のゲーム8打点を超える9打点の記録した。

5試合連続ホームラン
03年にはペタジーニが巨人に移籍した事もあって開幕から4番を任されると、4月13日の横浜戦で吉見から先制ツーランを含む2本塁打、続く阪神3連戦で藪、藤川、井川、広島戦では酒井とヤクルトの球団タイ記録となる5試合連続でホームランを放った。4月終了時点で打率.362、10本塁打、33打点という驚異的な活躍を見せて初の月間MVPを獲得した。

二冠王
5月以降も素晴らしい活躍を続けたラミレスはシーズン最終戦となった10月16日の広島戦の4回裏に既に全日程を終えていたウッズに並ぶ40号を放った。事実上本塁打王が決定したラミレスがレフトの守備に向かうとヤクルトファンだけではなくライトスタンドの広島ファンからも声援が送られた。また打点も2位のアリアスに17打点という大差をつける124打点を記録し、189安打で最多安打も獲得した。

100打点超えるも
04年も6月23日の横浜戦から7月25日の阪神戦まで21試合連続ヒットを記録するなど打率.305、31本塁打、110打点という好成績を残したが、05年は104打点は記録したものの打率.282、19本塁打で出塁率.315という成績に終わった。翌06年も28本塁打、112打点は記録したが打率.267で出塁率.289という年俸からすれば物足りない成績に留まった。

右打者初の200安打
07年になると打率重視のバッティングにモデルチェンジして開幕から三割三分を超える高打率を記録。7月に入ると長打力も復活して、7月から9月にかけて打率.365(299打数109安打)、22本塁打、79打点という凄まじい成績を残して史上初の3ヶ月連続月間MVPを獲得した。10月4日の横浜戦で5回裏に三橋からサード村田のグラブをはじく内野安打を放って史上3人目のシーズン200安打を達成。10月8日の横浜戦の初回に三浦からレフト前ヒットを放って05年の青木を超えるリーグ新の203安打を記録した。

巨人移籍
08年に巨人に移籍すると奇しくも開幕戦となった古巣ヤクルト戦の初打席で石川から神宮球場のバックスクリーンに飛び込むホームランを放った。5月には打率.414、10本塁打、29打点で前年からの5ヶ月間で4度目となる月間MVPを受賞。5月3日のヤクルト戦から6月4日のオリックス戦にかけて27試合連続安打も記録した。同年には打率.319、45本塁打、125打点を記録してリーグ優勝に大きく貢献して、小笠原に2倍以上の大差をつけてMVPに選出された。

2年連続MVP
09年には8月26日の中日戦で川井からセンター前ヒットを放って1236試合という史上最速で1500安打を達成(リーの1237試合を1試合更新)。打率.322で初の首位打者に輝き、31本塁打、103打点で2年連続でMVPに選出された。翌10年も打率.304、49本塁打、129打点という素晴らしい成績を残して本塁打と打点の二冠に輝いたが、214安打のマートン、打率.358の青木、MVPの和田に阻まれてベストナインには選出されなかった。

横浜移籍
11年は統一球と新ストライクゾーンに苦しみながらも3割近い打率を残していたが、夏場に入ると調子を落とし、7月13日の阪神戦では榎田から死球を受けて途中交代し、その二日後には連続試合出場が985試合で途切れた(6年連続全試合出場)。8月5日の広島戦で篠田から内野安打を放ってタフィー・ローズを超える外国人最多の1793安打を記録したが、シーズン終盤にはスタメンを外れる事も多くなり、打率.279、23本塁打、73打点に終わって同年限りで巨人を退団、FAで巨人に移籍した村田と入れ替わるように横浜DeNAに移籍した。

連続記録
08年には長嶋茂雄と石井琢朗の6年連続を上回るリーグ新の7年連続150安打、09年には松井稼頭央を上回る日本新の8年連続150安打を達成(10年も172安打を放って9年連続)。また打点も王貞治の7年連続を超える史上初の8年連続100打点を達成。本塁打も11年連続で20本塁打と安定した成績を残す。その根底を支えているのが大きな故障なく試合に出続ける能力で中軸を打ちながら6年連続で600打席以上に立って成績を伸ばしてきた。だが11年は515打席と大幅に減少した事もあって150安打も100打点もストップしてしまった。

ビデオ判定でもファウル
移籍初年度には新ユニホーム発表会で新パフォーマンス「ハマのラミちゃん絶好調!」を披露するなどキャンプ前から話題を集めた。だが開幕直前に左太ももを痛めてしまうと開幕戦では1点のリードを許した9回表に藤川から同点タイムリーを放ったが、スタメン復帰後は結果が残せず24試合を消化した時点で打率.194、本塁打0本で四球も0という不振に陥ってしまう。5月に入ると復調して打率は急上昇したが、19日のロッテ戦でレフトポール際に運んだ飛球をファウルと判定され、ビデオ判定でも覆らないという不運もあって本塁打は伸び悩んだ。

3球団で月間MVP
6月14日のオリックス戦で4回表にツーランをレフトスタンドに運ぶと、続く打席で183打席目にして初めての四球を選ぶなど気温の上昇と共に状態を上げて、7月には打率.414、6本塁打、17打点という素晴らしい成績を残して史上2人目となる9度目の月間MVPに選出された(イチローが10度、3球団での月間MVPは史上初)。その後も4番としてチームを引っ張ってリーグ5位の打率.300、3位の76打点を記録したが、判定ミスのファウルも影響して本塁打は19本に留まり連続シーズン20本塁打は11年連続でストップしてしまった。

2000安打
13年には4月6日ヤクルト戦でかつての同僚石川から古巣神宮球場のレフトスタンドにホームランを放って外国人史上初の2000安打を達成。だが続く打席から12打席連続凡退を記録するなど極度の打撃不振に苦しみ、守ってもプロ野球ではめったに見られないレベルの拙守が続いてスタメンの座を失ってしまう。6月2日の日本ハム戦でようやく同年の2号本塁打を放ったが、続く打席から22打席連続凡退を記録して7月18日に来日初二軍降格。二軍でも目立った成績が残せず戦力外通告となった。同年のシーズン最終戦で一軍に昇格すると代打で犠牲フライを放って満員のファンから大きな歓声を受けた。

BCリーグ入団
14年シーズンはNPBからのオファーはなく、2月14日にBCリーグの群馬ダイヤモンドベガサスに打撃コーチ兼任で入団した。総年俸は最盛期の100分の一に当たる500万円でNPBからの獲得希望があった場合はシーズン中にも契約を解除できる条件での入団となり、NPBへの復帰を目指してコーラを封印して減量に取り組むなど45試合に出場して打率.305、7本塁打、38打点を記録したがNPBからのオファーはなく同年限りで引退、翌年の4月3日に行われた横浜対ヤクルト戦の試合前に引退セレモニーが行われた。

監督就任
引退後は群馬でシニアディレクターに就任、オリックスでの巡回アドバイザーも兼務した。現役時代の後半から将来的にNPBでの監督就任を夢として語ってきたが15年オフに横浜ベイスターズ初の外国人監督就任が発表された。現役時代に代名詞ともなっていたゲッツなどの多くのパフォーマンスを封印することを発表して、前任監督であった中畑 清の明るいチーム作りの継承を見込んでいたフロントを困惑させた。

初年度に初のCS
監督としてのルーキーイヤーとなった16年は細かなデータを活用した野球を重視する一方で、出塁率が重視される時代にあってファーストストライクを積極的に打っていく姿勢を要求するなど自らのスタイルも見せた。またレギュラーを与えた選手は不振になってもスタメンから外さず、ロペスが絶不調になった際にはあえて5番から3番に昇格させてスランプ脱出のきっかけを作り、試合後のインタビューでは選手批判はせずに「トゥモロー・イズ・アナザ・デー」でコメントを締めるなどチームに一体感を持たせて11年ぶりの3位に導いた。CSでは光山コーチの進言で田中に2球牽制球を続けさせて代走の鈴木を刺して試合の流れを掴みファーストステージ突破を果たした。

CSで名采配
17年には打撃の良かったウィーランドを8番ピッチャーで起用して一定の成功を収めると、その他の投手も8番に起用する奇策を採用した。2年連続の3位で出場したCSではエース格だった今永、濱口のリリーフ起用や、代打乙坂などの策がことごとくハマって19年ぶりの日本シリーズ進出をj果たした。日本シリーズでも白崎をスタメンに抜擢して白崎がホームランを放つなど名采配を見せた。

独裁
優勝候補にも上げられた18年は開幕早々にレギュラーだった桑原をスタメンから外し、選手批判を口にするなど厳しい姿勢を打ち出したが、それがベンチのムードを悪くし、多くの奇策が裏目に出るなど苦しい一年となりCSを逃す結果になった。シーズン終了後には神奈川新聞が今シーズンはコーチの進言は聞かず、配球も指示するなど独裁政権を敷いていた事を報道し、筒香以外の左打者は引っ張れという極端な指示が倉本、戸柱などの打撃不振に繋がり、大和がスイッチヒッターを止める一因になったともいわれた。同年には名参謀だった光山コーチらが慰留を断り辞任するなど、2年間で高めた監督としての評価を一気に失うシーズンとなった。

変化
シーズン終了間際の10月6日に甲子園で南場オーナーから続投要請を受けたラミレス監督はコーチ達にコミュニケーション不足だった事を謝り、報道陣にも「自分自身が変わらないと」と決意を語った。秋季キャンプではコーチとの個別面談を重ねて意見を聞き、シーズン中に監督の打撃理論が合わないことを口にしていた戸柱をキャンプMVPに選出した。19年1月23日に日本国籍を取得。

2位
19年は開幕投手を三浦コーチに一任し、8番投手も封印するなどイメージ一新させたが、シーズン当初には10連敗を喫するなど苦しんだ。だが6月に13勝8敗2分、7月には15勝8敗1分と大幅に盛り返して2位に浮上、後半戦からは8番投手も復活させ、故障者が出た際には主砲のレフト筒香を2番サードと起用して成功させるなどらしさを見せた。逆転優勝も見えてきたが9月に7勝12敗と失速して2位に留まった。球団初のホーム開催となったCSでは大勝ムードだったファーストシリーズ初戦で勝ちパターンではないバリオスを起用するスキを見せて大逆転負け、第2戦はとったが、第3戦は競り負けてファーストシリーズ敗退となった。

退任
20年は筒香のMLB移籍で苦戦が予想されたが、前年の筒香故障時に4番に抜擢していた佐野を4番キャプテンに起用する大胆な采配が当たり、佐野は首位打者を獲得、チームも上位を争っていたが、後半戦に入ると「エンドランのサインを知っているかわからない」という理由で投手にバントもさせないで凡退させたり、伊藤光、山崎と2日連続懲罰交代、豪雨にも関わらず5回裏の同点のチャンスに投手をそのまま打席に送って雨天敗戦、投手にもバントさせないなどの再び暴走を始めた采配が批判を集めるようになり、9月3日の巨人との首位攻防戦で中継ぎのパットンをオープナーとして起用したが1.1回9失点で3タテを許し優勝が絶望的になり、最終的には4位に終わって同年限りで退任となった。

最終戦で涙
シーズン最終戦でサヨナラ勝利で飾り、試合後には尊敬する巨人の原監督から花束を受け取り「ラミ、カムバックだ」と声をかけられて涙を流した。退任から間もなくYouTuberに転身し、バラエティ番組にも出演するなど活躍の場を広げた。

采配
通算336勝337敗19分で3度のAクラスという球団史に残る名将でありながら、8番投手に代表される独創的な采配が外れることも多く、投手を打席に送ってから交代する代打温存策や、申告敬遠の多用などの成功すれば頭脳的と称えられる采配も多用したが成功率は低かった。だが日本野球の価値観に縛られない打順や、打者を見抜く目、短期決戦での選手起用など多くの点で優れた能力を持ち、8年連続で5位以下だったチームをAクラスに引き上げた。

8番投手
代名詞ともなった8番投手だったが、当初は梶谷を7番、梶谷の足が速いので8番投手のバント成功率が高まり、長打力はないが打率は高い9番倉本のシングルヒットで二走の梶谷がホームに還ってこれるという采配意図を語っており、倉本の50打点という好結果で批判こそあったが成功を見せた。だが翌年からは7番に捕手を起用することが多く采配意図の説明がなされなかったこともあって多くの批判を集めることになった。

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2023年1月に野球殿堂入り。


初記録
初出場 2001年3月30日横浜戦
初安打 2001年3月30日横浜戦:竹下から
初本塁打 2001年4月4日巨人戦:高橋尚から
初打点 2001年4月4日巨人戦:高橋尚から
初盗塁 2001年5月26日横浜戦:3回に二盗
記録達成日
100本塁打 2004年6月15日巨人戦:岡島から
300本塁打 2010年5月15日ロッテ戦:成瀬から
1000安打 2007年4月21日中日戦:吉見から
1500安打 2009年8月26日中日戦:川井から
2000安打 2013年4月6日ヤクルト戦:石川から
その他の記録
月間MVP 03年4月04年9月07年7月8月9月
08年5月09年8月10年5月12年7月
球宴MVP 07年1戦




01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13
MVP 2回
首位打者 1回
本塁打王 2回
打点王 4回
最多安打 3回
ベストナイン 4回
オールスター 8回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
01 ヤクルト 138 510 60 143 23 0 29 253 88 1 2 0 5 27 5 132 11 6 .280
02 ヤクルト 139 539 65 159 25 0 24 256 92 0 4 0 4 22 4 146 10 4 .295
03 ヤクルト 140 567 105 189 34 3 40 349 124 4 6 0 7 34 6 104 14 6 .333
04 ヤクルト 129 525 79 160 30 2 31 287 110 2 0 0 2 23 7 118 22 4 .305
05 ヤクルト 146 596 70 168 19 1 32 285 104 5 1 0 3 23 7 121 13 3 .282
06 ヤクルト 146 603 79 161 28 2 26 271 112 0 0 0 10 19 4 104 28 5 .267
07 ヤクルト 144 594 80 204 41 3 29 338 122 0 0 0 5 23 6 106 14 2 .343
08 巨人 144 548 84 175 28 0 45 338 125 1 0 0 3 39 10 90 20 4 .319
09 巨人 144 577 66 186 35 0 31 314 103 4 3 0 6 21 4 88 12 6 .322
10 巨人 144 566 93 172 20 0 49 347 129 1 2 0 7 21 12 98 14 4 .304
11 巨人 137 477 39 133 12 1 23 216 73 2 1 0 5 30 3 72 9 3 .279
12 横浜 137 476 40 143 25 0 19 225 76 0 0 0 3 18 7 60 18 3 .300
13 横浜 56 130 6 24 0 0 2 30 14 0 0 0 1 8 0 20 7 2 .185
球団 2年 193 606 46 167 25 0 21 255 90 0 0 0 4 26 7 80 25 5 .276
通算 13年 1744 6708 866 2017 328 12 380 3509 1272 20 19 0 61 308 75 1259 192 52 .301


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
01 ヤクルト 5 18 1 3 2 0 1 8 3 0 0 0 0 1 2 7 1 0 .167
08 巨人 7 28 4 8 4 0 2 18 3 0 0 0 0 1 0 3 4 0 .286
09 巨人 6 24 2 6 1 0 1 10 3 0 0 0 0 0 0 3 1 0 .250
通算 3年 18 70 7 17 7 0 4 36 9 0 0 0 0 2 2 13 6 0 .243


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
08 巨人 4 16 2 7 1 1 2 16 5 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .438
09 巨人 4 17 3 4 0 0 1 7 4 0 0 0 0 1 0 4 0 0 .235
10 巨人 6 24 1 6 1 0 0 7 3 0 0 0 1 0 0 6 2 0 .250
11 巨人 3 10 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 3 0 0 .100
通算 4年 17 67 7 18 2 1 3 31 12 0 0 0 1 2 0 14 2 0 .269


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 8回 18 42 6 13 3 0 3 25 7 0 0 0 0 0 0 3 2 0 .310


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
13 横浜 26 93 8 28 5 1 3 44 15 0 0 1 6 10 1 0 .301
通算 1年 26 93 8 28 5 1 3 44 15 0 0 1 6 10 1 0 .301


  MLB打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
98 インディアンス 3 8 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 1 .125
99 インディアンス 48 97 11 29 6 1 3 46 18 1 1 1 0 3 1 26 1 2 .299
00 インディアンス 41 112 13 32 5 1 5 54 12 1 0 1 0 5 0 17 3 0 .286
00 パイレーツ 43 115 13 24 6 1 4 44 18 1 0 0 0 7 0 32 6 4 .209
通算 3年 135 332 38 86 17 3 12 145 48 3 1 2 0 15 1 78 10 7 .259


  AAA打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
97 AAA 119 416 59 119 19 8 11 187 44 10 5 6 3 24 4 95 9 10 .286
98 AAA 121 521 94 156 21 8 34 295 103 6 4 0 4 16 5 101 11 9 .299
99 AAA 75 305 50 93 20 2 12 153 50 5 5 0 4 17 4 52 10 4 .305
通算 3年 315 1242 203 368 60 18 57 635 197 21 14 6 11 57 13 248 30 23 .296


  AA打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
95 AA 33 133 15 33 3 4 1 47 11 3 5 1 1 5 0 24 5 2 .248
96 AA 131 513 79 169 28 12 14 263 85 18 10 1 1 16 3 74 8 5 .329
通算 2年 164 646 94 202 31 16 15 310 96 21 15 2 2 21 3 98 13 7 .313


  A打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
93 A+ 3 12 0 2 0 0 0 2 1 0 1 0 0 0 0 5 0 1 .167
94 A 125 458 64 115 23 3 18 198 57 7 5 0 4 26 4 100 11 9 .251
95 A+ 98 406 56 131 25 2 10 190 52 13 9 0 1 18 3 76 9 10 .323
通算 3年 226 876 120 248 48 5 28 390 110 20 15 0 5 44 7 181 20 20 .283


  ルーキーリーグ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
93 ルーキー 64 252 44 68 14 4 13 129 58 12 9 0 3 13 4 52 4 21 .270
通算 1年 64 252 44 68 14 4 13 129 58 12 9 0 3 13 4 52 4 21 .270


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 犠打 打率 防御率 失策
16 横浜 3 69 71 3 .493 19.5 140 143 67 81 .249 3.76 73
17 横浜 3 73 65 5 .529 14.5 134 128 39 84 .252 3.81 66
18 横浜 4 67 74 2 .475 15.0 181 149 71 71 .250 4.18 69
19 横浜 2 71 69 3 .507 5.5 163 137 40 81 .246 3.93 65
20 横浜 4 56 58 6 .491 12.0 135 98 31 51 .266 3.76 52
通算 5年 336 337 19 .499 66.5 753 655 248 368 .253 3.89 325