ベイスターズ記録あと何?
サイト内検索>
ホーム
ニュース
|
通算記録
|
シーズン記録
|
日本記録
|
MLB記録
|
選手名鑑
|
タイトル
|
球団歴史
|
ドラフト
|
選手名鑑
■>
打者:あ:
■>
打者:か:
■>
打者:さ:
■>
打者:た:
■>
打者:な:
■>
打者:は:
■>
打者:まや:
■>
打者:らわ:
■>
投手:あ:
■>
投手:か:
■>
投手:さ:
■>
投手:た:
■>
投手:な:
■>
投手:は:
■>
投手:まや:
■>
投手:らわ:
■>
監督
■>
その他
■>
大洋ホエールズ
■>
横浜大洋
■>
横浜ベイスターズ
■>
全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
江藤 慎一
8
名前
えとう しんいち
生年月日
1937年10月16日
経歴
熊本商−日鉄二瀬−中日−ロッテ−大洋−太平洋−ロッテ
入団年
72年にロッテから移籍
在籍年
72年−74年
背番号
72年−74年[8]
投打
右投げ右打ち
守備
捕手:内外野手
::
幼少期は気管支が弱く、小4までは体育の授業はすべて見学だったほど体が弱かったが家計を助けるために始めた新聞配達で体が丈夫になり、八幡製鉄の外野手だった父から野球を学んで、中学でキャッチャーでプレーし、熊本商では4番を任されるまでになった。
:
日鉄二瀬
:
社会人の日鉄二瀬にテストを受けて入団。日鉄二瀬の監督である濃人は「江藤が入りたいと言って来た。どうせ使い物にならないだろうと形式的なテストだけして追い返すつもりだった。ところがファイトはあるし、いい体をしている。そこで定員いっぱいだったが会社に無理をいって入れてもらうことにした」。江藤は月給1万1000円のうち8000円を弟たちの学費として熊本に送金していた。2年後に中日入りした時にも最初の給料を全額、実家に送金したが、あとで生活費がないことに気づいて5000円だけ送り返してもらった。送金の甲斐があって弟の省三は慶大に進み、巨人へ入団することができた。
:
原 貢
:
日鉄ニ瀬の都市対抗のライバルチーム東洋高圧大牟田には原 辰徳の父である原 貢がいた。打席に入った原に捕手だった江藤は「打てますか?」と声をかけた。原はもの凄い形相で「うるせッー!」と怒鳴り散らした。「ケンカ野球の典型だね。あの迫力を息子の辰徳に見せてやりたいよ」
:
新人王ならず
:
59年に中日に入団。江藤は日鉄二瀬では捕手しか守っていなかったが、中日では西沢の引退でファーストのポジションが開いていたため「ファーストも出来ます」と言って試合に出場し、打率281で15本塁打、84打点を記録した。だが大洋の桑田 武が31本塁打を放ったため新人王はならなかった。61年に日鉄二瀬時代の恩師である濃人が中日の監督になり外野手に転向した。
:
退場
:
62年7月10日巨人戦、2回表の巨人の攻撃でマウンドの河村が0−3から投球動作に入った時に打席のエンディ宮本が右手をあげてボックス内で足を動かした。河村はタイムだと思ってボール球を投げたが滝野主審は四球を宣告した。マスクをかぶっていた江藤は「タイムじゃないか!」と抗議したが認められなかった。試合再開後の一球目に宮本が二塁に走ると江藤は二塁に送球したが、打席の森に当たって送球は二塁に届かなかった。江藤は「守備妨害だ!」と叫んだが滝野主審は首を横に振った。江藤は怒って滝野の胸ぐらを掴むと右肩を殴りつけた。滝野主審は興奮して口が利けず、手で退場のジェスチャーをした。江藤はベンチに戻ると涙をこぼしながら「悔しい」とうめいた。
:
雨の鬼
:
63年8月25日巨人戦。江藤は3回裏に同点ソロ、5回裏に2打席連続の逆転ソロを放ったが6回表に王のツーランで同点に追いつかれてしまう。その直後に土砂降りの雨が降り出し審判団から試合中断が宣言された。選手達がベンチに引き上げるなか江藤は「とにかく巨人に勝ちたかった」と雨の中に立ち続けた。20分を過ぎた頃に西沢コーチに説得されて、ようやく江藤は引き上げた。試合は雨天コールド引き分けで終了した。翌日に江藤の所に中継していたNHKのスタッフがやって来て「江藤さんがいなかったら、何を撮影していいものか途方にくれるところでした。雨の中でしぶきをあげて立ち尽くす江藤さんは雨の鬼みたいで絵になりました」と礼を言った。
:
首位打者も
:
63年までは3割を打った事がなかったが、64年には王と激しく首位打者を争い、終盤には故障が重なり抜かれたが、9月13日の大洋とのダブルヘッダーで9打数6安打の固め打ちで抜き返すと、そのまま逃げ切って打率.323で首位打者に輝いた。だが左太ももの肉離れなどでシーズン終盤には試合途中の途中交代が増えた事もあって陰口をたたかれて悔しい思いを味わった。
:
2年連続首位打者
:
65年には打率.336で2年連続首位打者になった。2年とも打率2位は王 貞治で江藤がいなければ2年連続三冠王だったが、僅差の争いの中で夜も眠れなかった王に対して、江藤は毎晩ウイスキーを一本空けてイビキを欠いて眠っていた。それを聞いた王は「負けたと思った」。だが江藤は65年から3年連続して本塁打2位を記録しており、王さえいなければ3年連続本塁打王だった。
:
直談判
:
69年のある試合で守備の名手である高木 守道がサヨナラエラーをして中日は敗戦した。試合後に水原茂監督は全選手を集めて激しい調子で高木を叱り飛ばした。直後の選手会では水原に対する不満が爆発し、江藤は一人で監督室に出向いて直談判した。水原監督は翌朝のミーティングで全選手を前に「実は昨夜、江藤が私の前にやってきて反抗的な態度を取った。監督として反抗するものを許すことはできない」と言った。そして中日で1484安打、268本塁打を放ち、首位打者を2度獲得した江藤は解雇された。
:
3度目の首位打者
:
69年の12月26日に江藤はいったん中日を任意引退することになるが、翌70年6月にトレードで恩人の濃人が監督をしていたロッテに入団。
:
あっ!振った
:
71年7月13日阪急戦、7回表に江藤はカウント2-1からボールを見送り、砂川主審はボールを宣告した。ところが阪急の岡村捕手が「振った!」と言った、すると主審は「あっ!振った、ストライクだ」と判定をくつがえして江藤は三振に倒れた。江藤は激しく抗議をし、濃人監督は「ボールをストライクに直したのが間違いなんだから、もう一度ボールに訂正してくれ」と言ったが、砂川主審は「そんなことをしたら騒ぎがもっと大きくなるから出来ない」と言って受け付けなかった。濃人監督は怒って選手をベンチに引き上げさせた。そして35分後に審判団から放棄試合が宣告されルール上0対9でロッテは敗れた。
:
15連続
:
71年7月17日オールスターゲーム西宮球場で行われた第一戦、パリーグはセ先発江夏の前に1番の有藤から、基、長池と3者連続三振に切って取られていた。2回にはパの4番に座った江藤も三振に倒れて、結局江夏は9者連続奪三振を記録した。実は江夏は前年のオールスターでも5者連続奪三振を奪っており、この時点で14者連続奪三振を達成していた。同年のオールスター第三戦では、江藤はまたも江夏と対戦し三振を奪われた。江夏は次打者の野村克也にバットに当てられ15者連続奪三振で記録は途切れた。
:
誕生日
:
プロ一年目に「人間は無限の可能性を秘めている。ワシは必ず首位打者になってやる」と豪語していた江藤は、71年に34歳の誕生日である10月16日に同年のシーズン最終戦を終えて打率.337で3度目の首位打者を獲得し、史上初の両リーグ首位打者になった。そして試合終了後に中村オーナーに呼ばれた江藤は野村 収とのトレードで大洋移籍を告げられる。「来年もロッテでやってくれと言われたのが昨日。それが今日になって大洋に行けだ。でも行くしかない」。首位打者を獲得しながらのトレードの背景には7月の放棄試合があると言われ、濃人監督もこの年限りで退任している。江藤は「ロッテでは、お山の大将から二等兵に戻ったつもりでやってきた。それが両リーグ首位打者につながったと思っていたのに」と嘆いた。
:
大洋移籍
:
大洋では松原、シピンとクリーンナップを組んで、久々に強力打線が完成したが3年連続で5位に終わると75年に新監督に就任した秋山 登の意向もあって太平洋にトレードされた。
:
太平洋監督
:
75年には太平洋クラブライオンズの選手兼監督に就任。他球団から「山賊打線」、「どんたく打線」と呼ばれた本塁打王の土井、首位打者の白を中心とした強力打線と、23勝で最多勝に輝いた東尾を率いて、前期2位、後期4位で通算で3位とチームを8年ぶりにAクラスに導き、選手としても9月6日近鉄戦で史上9人目の2000安打を達成した。江藤は「来年も山賊野球で大暴れしてペナントに挑戦する」とやる気満々だったが、MLBで通算2008勝の名将レオ・ドローチャーが新監督に決まったため江藤はAクラスになりながら解任された。なおドローチャーは70歳と高齢だったため体調を崩して、開幕直前の3月になって監督就任の契約を破棄した。
:
引退
:
75年にはロッテからホームランを打って史上初の12球団からの本塁打を達成。 ちなみにトレード相手だったた野村 収は史上初の12球団からの勝ち星を記録している。翌76年にはロッテに移籍し、10キロの減量をしてシーズンに臨んだが右ひじ痛が悪化して引退。通算367本塁打、1189打点を記録しながら、全盛期がONと重なっていたため本塁打王、打点王は一度も獲得できなかったが首位打者を3回獲得した。引退後は静岡県に野球学校を設立。2010年に殿堂入り。
:
飛行機嫌い
:
「闘志にスランプなし」を口癖にし闘将と呼ばれた江藤だが、実は大の飛行機嫌いで「離陸するときが怖くて、水平飛行に移ってから怖くて、着陸するときが怖いんですよね」というほど苦手だった。
初記録
初出場
59年4月11日大洋戦
初安打
59年4月11日大洋戦:鈴木隆から
初本塁打
初打点
初盗塁
記録達成日
2000安打
75年 9月 6日近鉄戦
300本塁打
71年8月5日
1000打点
72年7月16日
その他の記録
オールスターMVP
65年第三戦:68年第一戦
809試合連続出場
59年4月11日−65年4月16日
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
首位打者
●
●
●
3回
ベストナイン
●
●
●
●
●
●
6回
オールスター
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
●
11回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
59
中日
130
495
52
139
19
3
15
209
84
13
12
0
4
27
3
58
9
10
.281
60
中日
130
429
48
108
19
2
14
173
61
7
11
0
4
36
5
49
8
11
.252
61
中日
130
480
50
128
17
1
20
207
77
4
8
4
8
46
2
48
10
4
.267
62
中日
133
493
74
142
13
0
23
224
61
4
4
1
5
60
3
61
4
5
.288
63
中日
140
510
72
148
26
0
25
249
70
12
7
0
5
61
7
50
9
6
.290
64
中日
140
468
57
151
21
0
21
235
72
5
1
0
6
47
6
43
13
5
.323
65
中日
129
443
75
149
22
2
29
262
74
6
3
0
2
81
3
36
13
4
.336
66
中日
102
364
51
117
16
1
26
213
91
1
1
0
2
43
4
30
9
4
.321
67
中日
132
481
85
133
20
1
34
257
78
6
6
0
4
64
4
49
9
8
.277
68
中日
131
487
80
147
29
1
36
286
93
7
3
0
2
40
6
59
12
3
.302
69
中日
110
436
51
122
20
2
25
221
84
1
3
0
6
51
4
52
10
2
.280
70
ロッテ
72
146
21
42
4
0
11
79
31
1
1
0
3
30
2
23
6
1
.288
71
ロッテ
114
389
57
131
8
1
25
216
91
3
1
0
6
49
2
41
15
13
.337
72
大洋
103
276
37
69
9
0
18
132
51
0
0
0
2
29
2
35
8
1
.250
73
大洋
111
365
30
103
7
0
15
155
44
2
3
0
1
38
1
33
20
3
.282
74
大洋
111
378
34
110
11
0
16
169
67
3
0
0
1
24
0
30
13
1
.291
75
太平洋
88
302
28
69
11
1
8
106
36
2
1
0
2
17
3
31
12
2
.228
76
ロッテ
69
214
22
49
2
0
6
69
24
1
2
0
4
18
1
24
6
0
.229
球団
3年
325
1019
101
282
27
0
49
456
162
5
3
0
4
91
3
98
41
5
.277
通算
18年
2084
7156
924
2057
274
15
367
3462
1189
78
67
5
67
761
58
752
186
83
.287
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
70
ロッテ
4
8
1
2
0
0
1
5
2
0
0
0
0
2
0
2
0
0
.250
通算
1年
4
8
1
2
0
0
1
5
2
0
0
0
0
2
0
2
0
0
.250
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
11回
30
92
8
23
4
0
3
36
9
0
0
0
0
5
1
16
4
2
.250
監督成績
チーム
順位
勝利
敗戦
分け
勝率
ゲーム差
本塁
被本
盗塁
犠打
打率
防御率
失策
75
太平洋
3
58
62
10
.483
2位:4位
135
114
95
.261
3.73
126
通算
1年
3
58
62
10
.483
136
114
95
.261
3.73
126
「ゲーム差」から右は一年間のチーム成績