ベイスターズ記録あと何?
サイト内検索>
ホーム
ニュース
|
通算記録
|
シーズン記録
|
日本記録
|
MLB記録
|
選手名鑑
|
タイトル
|
球団歴史
|
ドラフト
|
選手名鑑
■>
打者:あ:
■>
打者:か:
■>
打者:さ:
■>
打者:た:
■>
打者:な:
■>
打者:は:
■>
打者:まや:
■>
打者:らわ:
■>
投手:あ:
■>
投手:か:
■>
投手:さ:
■>
投手:た:
■>
投手:な:
■>
投手:は:
■>
投手:まや:
■>
投手:らわ:
■>
監督
■>
その他
■>
大洋ホエールズ
■>
横浜大洋
■>
横浜ベイスターズ
■>
全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
:僕のリトル時代:
古木 克明
古木 克明
33
名前
ふるき かつあき
生年月日
1980年11月10日
経歴
豊田大谷高校−横浜(98年D1位)−オリックス
入団年
98年ドラフト1位
在籍年
99年−07年
背番号
99年−01年[3]:02年−07年[33]
投打
右投げ左打ち
守備
内外野手
:
初試合でホームラン
:
小学校への入学時にはすでに141センチという巨漢だったがいじめられっ子で泣き虫だった。3年のときにボーイズリーグで野球を始めたが、人数が足りなくて試合が出来なかったため4年の時にリトルリーグに転向。その頃からずば抜けたパワーを持っていた古木は上級生のチームに入り、初試合で決勝ホームランを放った。リトルリーグでは通算66本塁打。また建築士だった父親が45度の角度で打球を打ち返すように自宅に設置したバッティングゲージに目印をつけて打球角度を意識させた。
:
甲子園通算850号
:
高校2年の夏に甲子園に出場。初戦の長崎南山高戦で2点をリードされた9回表にライトスタンドに同点ツーランを放つと、延長12回表に大会通算850号となる勝ち越しツーランを放って試合を決めた。3年夏にも甲子園に出場し、1回戦で横浜で同僚となる村田率いる東福岡戦と対戦。0対0で迎えた5回にその村田から先制タイムリーを放つなど3打点を上げ6対4で快勝した。
:
阿吽の呼吸?
:
熱戦となった2回戦の宇部商戦では5回裏にタイムリーを放つと、1対2で迎えた9回裏に二死一塁で四球を選びチャンスを拡大。ここで二塁走者が三盗を決めたが、古木は一塁に留まっており、後藤監督はやむを得ず重盗を仕掛け、これが成功し同点に追いついた。後藤監督は「決してボーンヘッドではなくて、二人の走者が阿吽の呼吸でやったこと」と古木を庇った。試合は延長15回裏に宇部商のエース藤田のサヨナラボークという非情な結末で豊田大谷が勝ち上がった。古木は3回戦の智弁和歌山戦で甲子園通算3本塁打目を放つなど活躍し、チームをベスト4まで導いたが、準決勝の京都成章戦で古木が4打数4三振に倒れるとチームも1対6で敗れた。
:
松坂のハズレ1位
:
同年のドラフト会議では希望球団のダイエー・ホークスではなく松坂を外した横浜から外れ1位指名を受けて入団。初年度は湘南で5本塁打とまずまずの結果を残した。翌年からは毎年二桁本塁を放ったが、守備の不安などもあって一軍ではほとんどチャンスをもらえなかった。01年に見かねた湘南の日野茂監督は「守備の負担の少ない外野手に」と三塁からコンバートしたが、翌02年に「甘やかしすぎは駄目」という森監督の指導のもと、再び三塁にコンバートされた。
:
いきなりの爆発
:
02年も8月までは5打数無安打と結果を残せなかったが、9月4日の中日戦で落合から初ヒットを放つと、7日川尻、17日河原、18日桑田、21日山本昌、22日岩瀬と、エースクラスからホームランを連発し、結局30試合そこそこで9本塁打、22打点と獅子奮迅の大活躍でファンを喜ばせた。
:
全日本
:
インターコンチネンタルカップに全日本代表として出場、古木はシーズンの勢いそのままに本塁打を連発、キューバ-戦では満塁ホームランまで放ち、通算4本塁打で本塁打王に輝いた。
:
開幕スタメン
:
03年、オープン戦で6本塁打16打点を記録し、初の開幕一軍、そして開幕スタメンをを掴んだ。だが「ファームとはまるで違いました。三日間とも凄いプレッシャーで、何も考えられなかったですね」、という古木は3連戦で12打数0安打8三振という散々たる結果に終わった。
:
意識の変化
:
02年までの古木は「自分はいい当たりのヒットしか考えていない」と語っていたが03年になると「自分の仕事はホームランを打つこと」と言動に変化が見られた。そしてシーズンに入ると有限実行とばかりに22本塁打を放ったが打率は.208に落ち込み、リーグ2位の131三振、打点に至っては22本塁打で37打点と言う恐ろしい数字を残した。
:
古木、あーーっと!
:
03年7月5日に横浜スタジアムで行なわれた広島戦。7回表に何でもないサードゴロを捕球した古木は何もない場所で大転倒。実況の清原アナウンサーは「古木、あっーーと!」と絶叫し、解説の斉藤 明雄は「自分のお庭ですよ。お願いしますよ」、あきれ果てた。なお古木が転倒しながら投げた送球は一本塁間を転々とし、これを見た一塁走者はホームをついたが、間一髪タッチアウトになり結果オーライとなった。
:
5月4日は古木の日
:
04年5月4日の巨人戦。横浜は3本のソロホームランで3対2とリードすると、6回表にT・ローズの特大ソロで同点に追いつかれてしまったが、7回裏に古木が上原からチーム4本目のソロホームランを放ってチームの連敗をストップさせた。清原から三振を奪った佐々木と共にお立ち台に上がった古木は「5月5日という、こどもの日に打てたのが凄い嬉しい」と発言して、アナウンサーに「今日がこどもの日と勘違いしてしまうくらい、盛り上がっていますか」と突っ込まれてしまった。
:
トレード直訴
:
05年は打率.248でわずか2本塁打と完全にスタメンの座を失ってしまった。同年のオフには出場機会を求めてトレードを直訴したが、横須賀のガスリンスタンドの店員に「他球団に行かないで」と言われた古木は「残りますよ」と答え残留を決意した。
:
移籍
:
06年からはスタメンのチャンスも増えたが、打率2割5分前後と結果を残すことが出来なかった。古木は07年のオフに再びトレードを志願して大西とのトレードでオリックス移籍が決まった。だがオリックスでは目立った活躍ができず09年に戦力外通告を受けて退団。その後はトライアウトを受けたが獲得球団はなく現役引退を決意した。
::
トライアウト受験からわずか一か月後の12月7日に総合格闘技団体スマッシュとの契約が発表されて、まさかの格闘家への転身となった。野球時代の瞬発力系のトレーニングから一変したパワー系をトレーニングを重ねてパワフルな肉体を作り上げて、徐々に総合の技術を身につけた1年後に毎年大晦日に開催される格闘技の一大イベントDynamiteっでデビュー戦に挑むことになった。試合はタレントとして活躍するボビーオレゴンの弟で格闘技経験が豊富なアンディ・オロゴン相手に滅多打ちにあいながらもKOされることなく判定に持ち込んだが0-3で敗れた。
::
翌年には元ラグビー選手と対戦し判定の末に初勝利を収めたが、この頃になると忘れていたはずの野球への思いが蘇りはじめた。そんな折、西武、巨人などで活躍したデーブ大久保が自身が経営する野球塾のコーチとしてスカウトするために古木がアルバイトをしていた居酒屋を訪ねてきた事をきっかけにして、久々にバットを振ったところ大久保が驚くほど力強いスイングが出来たため再びプロ野球を目指すことを決意、格闘技は引退し、大久保の打撃理論でバッティングを磨き、合同トライアウトに再挑戦。トライアウトでは3安打を放ったが獲得球団は現れず厳しい現実を味わった。翌年も合同トライアウトを受験したがオファーを受けることはできなかった。
::
代打本塁打9本は長田に並ぶ球団タイ記録。
初記録
初出場
99年7月15日神:9回に代打で二ゴロ
初安打
02年9月4日中:落合からセンター前
初本塁打
02年9月7日神:2回に川尻から
初打点
01年9月29日広:黒田から代打で
初盗塁
02年9月16日巨:4回に二盗
その他の記録
インターコンチネンタルカップ本塁打王
02年
フレッシュオールスターMVP
99年
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
99
横浜
3
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
01
横浜
4
4
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
1
0
0
1
0
0
.000
02
横浜
34
100
15
32
6
0
9
65
22
2
0
1
1
4
0
25
2
5
.320
03
横浜
125
351
46
73
12
0
22
151
37
2
4
0
0
25
13
131
3
20
.208
04
横浜
94
186
26
54
3
0
11
90
27
3
0
0
0
19
3
57
1
0
.290
05
横浜
65
105
10
26
5
1
2
39
10
1
2
0
0
8
3
35
1
1
.248
06
横浜
110
298
32
75
18
1
10
125
35
3
4
0
3
15
5
72
3
8
.252
07
横浜
72
158
13
39
11
1
4
64
14
1
2
1
2
6
1
43
0
2
.247
08
オリックス
21
45
4
10
2
1
0
14
4
0
1
0
0
3
2
8
2
0
.222
09
オリックス
9
13
0
3
1
0
0
4
0
0
0
0
0
1
0
5
0
0
.231
球団
8年
507
1205
142
299
55
3
58
534
146
12
12
2
7
77
25
364
10
36
.248
通算
10年
537
1263
146
312
58
4
58
552
150
12
13
2
7
81
27
377
12
36
.247
二軍成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
99
横浜
56
139
20
37
8
0
5
60
17
3
0
0
16
40
1
9
.266
00
湘南
97
333
50
102
17
3
10
155
43
5
0
1
26
81
6
10
.306
01
湘南
94
346
47
94
10
4
12
148
50
8
2
1
52
96
6
4
.272
02
湘南
77
291
37
83
17
3
13
145
51
3
0
2
34
78
5
13
.285
03
湘南
5
16
2
5
0
0
2
11
7
0
0
0
4
4
0
1
.313
04
湘南
3
8
2
4
0
0
0
4
1
0
0
0
3
1
0
0
.500
05
湘南
2
4
1
1
0
0
0
1
0
0
0
0
2
1
0
0
.250
06
湘南
10
40
6
14
2
0
0
16
6
5
0
1
5
9
2
1
.350
07
湘南
24
72
10
22
4
1
2
34
8
1
0
1
10
14
1
1
.306
通算
9年
358
1249
175
362
58
11
44
574
184
25
2
6
152
324
21
39
.290
球団在籍時のみ