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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
権藤 正利
18
名前
ごんどう まさとし
生年月日
1934年5月1日
経歴
柳川商業−大洋−東映−阪神
入団年
53年に柳川商から入団
在籍年
53年−63年
背番号
53年[51]:54年−63年[18]
投打
左投げ左打ち
守備
投手
:
災い転じて
:
5歳の時に果物ナイフで竹とんぼを作っていた権藤は、誤って左手人差し指の先端を1センチあまりをそぎ落としてしまう。しかしこれが「50センチは落ちる」と言われたドロップカーブを生み出したと言われる(権藤は親指と中指で投げているので関係ないと否定している)。また小児麻痺も患っていたが、権藤は麻痺した手をマージャンでいかして、牌を手に隠すイカサマをしていたとか。
:
新人王
:
53年に柳川商業高から大洋松竹ロビンスに入団。阪神のスカウトも目をつけていたが権藤の左手が曲がっている事から結局採用しなかった。入団して間もない5月3日の巨人戦では、延長15回を完投勝利を達成。同試合の投球数239球はセリーグ記録。同年には15勝12敗を挙げて球団初の新人王を獲得した。
:
開幕投手
:
54年には19歳にして開幕投手を務めると、阪神打線を8安打2失点に抑えて見事完投勝利を上げる。シーズンを通しても11勝を記録し2年連続二桁勝利を達成したが、リーグワーストの143四球と9暴投と制球が定まらず20敗を喫した。
:
悪夢の前兆
:
55年には4月30日の中日戦で杉山 悟にサヨナラヒットを打たれて敗戦投手になってしまうと、そこから11連敗を記録してしまう。6月18日の巨人戦では二、三塁のピンチで巨人のスクイズを見破った権藤はウエストボールを投げた。だがこのときボールが権藤の手を離れる前に捕手がキャッチャーボックスの外に出てしまった。これによってボークを取られ権藤は1点を失った。しかも当時のルールでは投手の権藤にボークが記録され、権藤は失点した上に無実のボークまで受けた。しかしこれは3週間後に始まる悪夢の前兆に過ぎなかった。
:
1-8
:
55年の7月7日に行なわれた国鉄戦で6.2回を無失点に抑えて連敗を11でストップさせたが、7月9日に熊谷球場で行われた広島戦では4対4で迎えた7回から登板したが白石に勝ち越し打を打たれて敗戦投手になってしまう。翌日の広島戦では9回から4イニングを投げたが延長12回につかまって2日連続の敗戦を記録。それから権藤は何かに取り付かれたかのように勝ち星から見放されて、シーズンを8連敗で終了。防御率は3.73とまずまずだったが11連敗&8連敗という大型連敗が響いて3勝21敗という大幅な負け越しで最多敗になった。
:
9−21
:
56年3月22日中日戦に先発した権藤は好投して9回まで抑えるが児玉利一にサヨナラヒットを浴びて敗戦投手となった。4月12日の阪神戦でも8回を1失点に抑えたが、味方打線が2安打零封で敗戦投手。その後も負け続けて6月10日の広島戦では日本タイ記録の18連敗を達成。6月17日の国鉄戦では5対1とリードした中盤からマウンドに上がる温情采配で連敗ストップを図ったが、スリーランと押し出し死球に牽制悪送球で逆転を許して日本新記録の19連敗。結局そのまま1勝も出来ずに0勝13敗でシーズンを終えた。前年から数えて21連敗でシーズン13連敗はリーグ記録だった。防御率は4.03でさほど悪くも無いのだから不運だったとしか言いようが無い。
:
22−28
:
そして57年、権藤はなおも負け続けていた。4月11日の巨人戦では当時の世界記録であるクリフ・カーティスの23連敗を更新する24連敗を達成。そして6月2日の甲子園での阪神戦に先発して敗戦投手となった権藤は開幕から7連敗、通算では28連敗という大記録を更新した。この大記録が途切れるよりも権藤が引退するのが先ではないかとすら思われていた。
:
七夕
:
そして運命の57年7月7日、川崎球場での巨人戦。先発した権藤が3回裏に自ら先制タイムリーを放つと、打線も奮起して4点をプレゼントする。すると権藤は2度のピンチを切り抜けて9回を投げ切り、ジャイアンツ打線を4安打でシャットアウトした。ついに3年越しの大連敗をストップさせた。権藤は大歓声のなかナインの胴上げを受けた。そして権藤はベンチ戻るとその場に泣き崩れた。
:
1-39
:
権藤が28連敗が始まる前に、1勝を挟んで11連敗という大型連敗を記録しており、この間の勝敗は1勝39敗と言う凄まじいものだった。
:
またも0勝
:
57年7月7日に連敗を止めた権藤は同月に4勝を記録するなど、0勝7敗から盛り返して、12勝17敗で3年ぶりの二桁勝利を上げた。これで復活したかに思えた権藤だったが、翌58年は3勝11敗、そして59年にはわずか3試合登板に終わり1勝も出来なかった。なお58年の4月10日の巨人戦ではルーキーの長嶋 茂雄に初本塁打を許している。
:
あわや引退
:
権藤は当時としては長身の177センチだったが、体重は50キロ台と軽量だったため先発してもスタミナ切れで終盤につかまる事が多かった。60年に監督に就任した三原はそこに目をつけて権藤のリリーフ起用を決めた。だが権藤は三原に会うなり「監督さん、僕はプロでやっていく自信がなくなりました。辞めさせてください」と申し出た。驚いた三原は「権藤くん、野球界を去ることならいつでもできる。どうだろう、もう一年君の体を僕に預けてみてくれないか?君の持っている力をきっと引き出して見せる。一緒にやってみようじゃないか」と懸命に説得した。すると権藤は「お願いします」と言って頭を下げた。
:
山かけ砂糖ご飯
:
権藤はご飯に砂糖を大さじ3杯かけて食べるほどの甘党で、枕元にはつねにキャラメルやお菓子を置き、みんながビールを飲んでいるときでも権藤は水に砂糖を山ほど入れて飲んでいた。これが原因で権藤は重い胃下垂になり、まともにご飯が食べられなくなっていた。これが祟って体重が増えない権藤は強風が吹いてマウンドでバランスを崩してボークを取られたというエピソードまである。59年のオフにはオーナーの好意で長崎医大病院に70日間検査入院している。60年に三原が就任すると三原の勧めで1日5食を少量ずつ食べ胃の負担を軽くした。
:
タイトル獲得ならず
:
60年5月7日の中日戦でほぼ2年ぶりの勝利を上げると、同年には49試合に登板して12勝5敗と大活躍。防御率1.42は最優秀防御率を獲得した秋山の防御率1.75を上回っていたが、この年の規定投球回数は182回で権藤は158投球回だったためタイトル獲得はならなかった。規定が改正される4年後だったら権藤が最優秀防御率だったのだから、こんなところでも.運がない。
:
移籍
:
64年に東映に移籍、翌64年には阪神に移籍して、67年には防御率1.40で最優秀防御率を獲得した。
:
天王山
:
68年9月18日、同率首位で並んでいた巨人と阪神の対戦は巨人金田、阪神バッキーの先発で始まった。1対0の巨人リードで迎えた4回表に2死2塁で打席に立った王はバッキーから初球を頭部付近に投げ込まれる。さらに次の球がまた王のヒザ付近に投げられた。これには王も怒ってマウンドに詰め寄った。そこへ走り込んできた巨人の荒川博コーチがマウンド上のバッキーにキックを入れた。バッキーもパンチで応酬し荒川コーチの顔面に右ストレートを見舞った。そのあとは両軍入り乱れての大乱闘となった。
:
天王山2
:
そして試合再開後バッキーの後を受けた権藤がなんと王の後頭部に死球をぶつけた。倒れた王は担架で運ばれて退場。当然ベンチから選手が飛び出し、再び大乱闘が始まるかと思われたが、巨人の川上監督は「権藤がそんなことをするはずがない」と判断して選手を呼び戻した。また死球を受けた王も「権藤さんは狙っていなかったと思う」と証言している。そして再び再開された試合で打席に立ったのは長嶋だった。長嶋は権藤のカーブを振り抜いて、打球はレフトスタンドに吸い込まれていくスリーランとなった。この一発により巨人は快勝し、阪神を突き放してそのままリーグ優勝へ突き進んだ。ちなみにこの試合を当時9歳の屋鋪 要が内野スタンドから観戦していた。また野球規則10.18(H)により王への死球はバッキーに記録された。
:
引退
:
73年の5月、試合前に青田 昇が金田 正泰監督を取材していた。金田監督は権藤がタバコを持っているのを見ると「おい、サルでもタバコを吸うんか?」と声をかけた。青田 昇は激怒して金田監督を叱り付け、江夏 豊は権藤を監督から引き離した。その3月後に鈴木 皖武が金田監督を殴打すると言う事件が起こった。鈴木も人前でなじられ続けていた選手だった。
:
引退2
:
さらに三ヵ月後の11月23日のファン感謝デー。権藤は江夏とともに監督室に向かった。部屋にはコーチたちもいたが「1対1で話したいことがある」といって監督と権藤の二人だけになった。しばらくすると部屋から監督の叫び声が聞こえてきた。コーチたちは部屋に飛び込もうとしたが、江夏は扉の前から動かなかった。しばらくして江夏が部屋に入ると監督は鼻血を流して部屋のスミでうずくまっていた。江夏が「権藤さん。納得した?」と声をかけると権藤は「うん」と答えて監督室を後にした。そして二軍に落とされた権藤はそのまま引退することになった。連盟からは20年選手として表彰されるはずだったが、これもフイになった。
:
数々のセリーグ記録
:
57年9月18日の阪神戦では1試合4死球のセリーグ記録。ほかにも5者連続四球のセリーグ記録も持っている。また最多暴投と最多ボークを4回記録している。
初記録
初登板
初勝利
53年4月1日広島戦
初奪三振
53年4月1日広島戦:小鶴から
初完投
初セーブ
記録達成日
1000奪三振
60年8月21日
1500奪三振
66年7月31日中日戦
100勝
69年7月13日中日戦
その他の記録
28連敗:日本記録
55年7月9日−57年6月2日
1試合4死球:セ記録
57年9月18日
シーズン13連敗:セ記録
56年3月22日−9月19日
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
新人王
●
1回
最優秀防御率
●
1回
オールスター
●
●
●
3回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
53
大洋
35
13
1
15
12
-
220.2
179
12
105
11
170
6
3
96
68
2.77
54
大洋
38
23
1
11
20
-
263.1
226
7
143
6
222
9
1
103
83
2.83
55
大洋
40
9
1
3
21
-
198.0
169
14
103
7
161
9
1
101
82
3.73
56
大洋
20
2
0
0
13
-
95.1
87
5
51
4
56
1
0
53
43
4.03
57
大洋
40
10
5
12
17
-
217.0
157
14
103
9
184
3
1
93
66
2.74
58
大洋
28
3
1
3
11
-
126.2
110
6
46
2
100
3
1
62
45
3.19
59
大洋
3
0
0
0
1
-
11.0
16
3
6
1
4
0
0
13
13
10.64
60
大洋
49
4
4
12
5
-
158.0
111
5
56
2
140
3
0
35
25
1.42
61
大洋
51
0
0
5
6
-
94.1
85
5
37
1
76
5
0
42
34
3.22
62
大洋
68
2
0
8
6
-
195.2
166
5
72
7
180
9
1
66
56
2.57
63
大洋
39
0
0
1
3
-
46.2
62
4
26
5
36
1
1
26
23
4.40
64
東映
25
1
1
1
1
-
43.2
35
1
17
3
36
1
0
16
11
2.25
65
阪神
33
3
2
7
6
-
124.0
90
6
35
2
79
4
0
30
28
2.03
66
阪神
41
2
1
4
11
-
136.0
106
5
37
4
102
1
1
42
34
2.25
67
阪神
40
4
1
9
6
-
135.0
90
6
36
3
107
1
0
35
21
1.40
68
阪神
34
3
1
5
4
-
104.0
97
11
28
3
79
4
0
44
32
2.77
69
阪神
28
3
0
10
4
-
123.0
106
12
31
1
74
0
0
41
37
2.71
70
阪神
30
1
0
6
3
-
92.1
81
3
32
3
74
2
0
28
25
2.45
71
阪神
22
1
1
3
3
-
61.1
52
5
23
3
38
4
0
32
27
3.98
72
阪神
30
0
0
2
0
-
37.0
26
1
19
1
13
3
0
13
11
2.68
73
阪神
25
0
0
0
1
-
30.0
20
2
13
1
12
1
0
11
11
3.30
球団
11年
411
66
13
70
115
-
1626.2
1368
80
748
55
1329
49
9
690
538
2.98
通算
21年
719
84
20
117
154
-
2513.0
2071
132
1019
79
1943
70
10
982
775
2.78
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
53
大洋
35
73
4
17
2
0
0
19
3
0
0
6
-
0
0
16
1
2
.233
54
大洋
38
94
3
17
5
0
0
22
7
1
0
3
1
5
1
21
3
2
.181
55
大洋
40
70
4
12
1
0
0
13
4
0
0
1
0
0
1
18
0
3
.171
56
大洋
20
25
1
2
0
0
1
5
1
0
0
1
0
1
1
7
0
1
.080
57
大洋
40
64
2
10
1
0
1
14
4
0
0
4
0
3
0
20
0
1
.156
58
大洋
28
38
2
4
1
0
0
5
3
0
0
2
0
0
0
10
0
1
.105
59
大洋
3
3
1
1
0
0
1
4
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.333
60
大洋
50
51
4
16
2
1
0
20
5
0
0
2
0
2
0
11
0
1
.314
61
大洋
51
27
0
3
0
0
0
3
1
0
0
0
0
0
0
7
0
1
.111
62
大洋
69
51
2
5
1
0
0
6
2
0
0
3
0
2
0
11
1
4
.098
63
大洋
39
8
1
1
0
0
1
4
2
0
0
0
0
1
0
2
0
0
.125
64
東映
26
13
1
3
0
0
0
3
2
1
0
0
0
0
0
1
0
1
.231
65
阪神
33
29
1
2
0
0
0
2
1
0
0
5
0
0
1
7
0
1
.069
66
阪神
41
39
1
7
0
0
1
10
1
0
0
2
0
0
0
7
1
2
.179
67
阪神
40
36
2
6
1
0
0
7
3
0
0
3
0
0
0
6
0
2
.167
68
阪神
34
23
1
1
0
0
0
1
0
0
0
2
0
1
0
4
1
2
.043
69
阪神
29
35
1
3
0
0
0
3
0
0
0
3
0
1
0
8
0
0
.086
70
阪神
30
26
1
5
0
0
0
5
2
1
0
1
0
2
0
5
0
3
.192
71
阪神
22
14
1
3
0
0
0
3
0
0
0
1
0
1
0
6
0
0
.214
72
阪神
30
8
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
1
0
.000
73
阪神
25
4
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
球団
11年
413
504
24
88
13
1
4
115
33
1
0
22
1
14
3
123
5
16
.175
通算
21年
723
731
33
118
14
1
5
149
42
3
0
39
1
19
4
170
8
27
.161
日本シリーズ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
60
大洋
2
0
0
1
0
-
1.2
1
0
4
0
2
0
0
2
2
9.00
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
60
大洋
2
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
3回
3
0
0
0
0
-
6.1
5
0
3
0
5
1
0
3
3
4.50