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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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平松 政次
27
名前
ひらまつ まさじ
生年月日
1947年9月19日
経歴
岡山東商業高校−日本石油−大洋
入団年
66年第二次ドラフト2位
在籍年
67年−84年
背番号
67年[3]:68年−84年[27]
投打
右投げ右打ち
守備
投手
:
甲子園4試合連続完封
:
岡山東商では2年の夏に県大会で1回戦、2回戦と連続完封を記録したが星野 仙一を擁する倉敷商との準決勝では4番ライトで起用されて4打数ノーヒット、投げても3回からリリーフして8失点で完敗した。3年春の選抜甲子園大会で初戦のコザ、2回戦の明治準々決勝の静岡と3試合連続完封。そして準決勝の徳島商も完封し、4試合連続完封という戦後初となる選抜大会タイ記録を作った。藤田平を擁する決勝戦の市和歌山商戦の4回についに失点を許し、平松は選抜40イニング目にして初めて点を失った。試合は延長13回の息詰まる熱戦の末に、岡山東商の中島がサヨナラタイムリーを放ち、平松は選抜優勝投手となった。
:
日本石油入り
:
同年からスタートした第一回ドラフト会議の前日にはオープン戦で岡山に来ていた巨人の宿舎を訪ねて憧れの長嶋さんに会いサインを貰ったが、ドラフト会議当日には巨人からの指名はなく中日から4位指名を受けた。中日との入団交渉では契約金の上限である1000万円を超える2000万円をテーブルの上に置かれて「好きなだけやる」と勧誘されたが拒否して月給2万3000円の日本石油に入社した。
:
巨人入団ならず
:
日本石油では1年目から都市対抗ベスト4進出に大きく貢献するなど飛躍して日本代表入り。憧れの巨人のスカウトからは1位の確約を得ていたが、ふたを開けてみれば巨人1位は槌田だった。巨人は抽選の末に槌田を獲得したが、もし槌田を外していれば平松を1位指名予定だった。大洋から2位指名を受けたが平松は大洋入団を渋り、交渉は翌年に持ち込まれた。岡山東商の大先輩である秋山登と土井淳が「長島と勝負するのも一つの道」と説得すると、平松は都市対抗で優勝したら入団すると約束。そして実際に8月8日に都市対抗野球で日本石油を優勝に導きMVPにあたる橋戸賞を獲得し2日後の8月10日にようやく入団した。
:
プロの洗礼
:
入団から6日後の8月16日広島戦に早くも登板したが、藤井弘に2本塁打を浴びてプロの洗礼を浴びた。だが中3日で先発した20日のサンケイ戦では岡山東商の大先輩である土井のリードと強風にも助けられてわずか4安打に抑え込んで99球で三塁すら踏ませず初勝利を完封で飾った。だが結局初年度は3勝4敗に終わると、翌68年も肩痛の影響もあって5勝12敗と結果が出せなかった。
:
シュート
:
転機となったのは69年の春季キャンプ。雨の日に雨天練習場がなかったため体育館で練習をすることになり、滑る床の上で板塀にめがけて投球練習をさせられて「プロになっても、こんな高校生みたいな練習をさせるのか」とイライラがたまっていたところに、近藤 和彦に「そんなへなちょこボールしか投げられないのか」と言われ、腹立ち紛れに投げたのがシュートだった。社会人時代に先輩から教えてもらったシュートは必要ないと感じて一度も投げていなかったが、驚異的な変化を見せたため驚いた近藤 和彦が監督、コーチを集めると、そこでも素晴らしい変化を続けて最大の武器が誕生した。
:
沢村賞
:
69年にシュートをマスターした平松は防御率を前年の4.28から2.56と大きく改善させて、14勝12敗で初の二桁を記録した。この年から平松はシュートを武器に12年連続二桁勝利を挙げることになる。翌年にはスライダーもマスターした平松は、25勝で防御率1.95という素晴らしい活躍で球団史上初めての沢村賞に輝いた。また黄金期を迎えていた巨人戦相手に3試合連続完封を記録するなど同年に巨人から7勝を上げている。
:
カミソリシュート
:
「カミソリシュート」と言われた平松のシュートは、ボールの縫い目に指をかけずに、手首もひねることなく、ただ左肩をやや早く回転させストレートと同じ腕の振りをする、これが「切れ味」の秘密だった。ホームベース直前で大きく右打者の内角に食い込みながらホップするシュートの威力はすさまじく、次のようなエピソードを生んだ。
:
カミソリシュート2
:
平松のシュートが巨人の河埜の左手に当たった。当然デットボールと思われたが判定はストライク、これに川上監督が「デットボールが、なんでストライクなんだ!」と抗議すると、審判は「ストライクゾーンから大きく曲がって当たっただけ。ストライクに間違いない」、これに怒った川上は球審に暴力をふるって自身唯一の退場になった。当時の巨人には「平松のシュートだけは打つな。シュートを見逃して三振してもマイナス査定にはしない」という内規があったという。
:
巨人キラー
:
平松は「私は巨人戦の三日前からイレこみますからね。飯は食えない。眠れない。三日前から興奮状態に入っちゃうんです」というほど巨人戦には特別な感情を持っていた。78年5月23日巨人戦、前日の夜、例によって平松は眠れないでいた「相手は巨人だ、王や、張本と勝負する。眠っておけ。そう思うといよいよ眠れない」、ついに平松は一睡を出来ずにマウンドに上がった。平松は巨人3失点に抑え完投勝ちすると、むさぼるようにビーフシチューを食べて、食べ終わるとベットに倒れこんだ。
:
セリーグ記録
:
「シュートを打たれたらシュートでやっつけろ!、これが僕のマウンドに上がっている間、常に自分に言い聞かせていた言葉です。」、カウント球がシュートで、勝負球もシュート、打たれようが打たれまいが平松はシュートを投げ続けた、それほど威力のある球で、最盛期には40センチ近くもインコースに食い込んでいった。結果として当然のように死球は増え、120死球のセリーグ記録を持っている。
:
開幕戦完封
:
79年には開幕戦を3安打14奪三振という非の打ち所のないピッチングで完封すると、続く4月12日の広島戦では7回まで完全試合。8回一死から四球で初めての走者をを出し、9回の先頭バッターに初ヒットを打たれたが、1安打に抑えて2試合連続完封勝利。さらに4月17日の中日戦でも5回まで無失点に抑えて開幕から23イニング連続無失点を記録した。同年はオールスターまで8勝2敗という好成績を残すなどチームを引っぱり、防御率2.39で最優秀防御率に輝くと共にチームを15年ぶりの2位に導いた。
:
照準
:
80年7月19日オールスター第一戦、平松は生まれた日が9日しか違わない鈴木啓示と話し合っていた。「おれたち41年高校卒業組も32歳になったんだから、野球人生にきっちりとした照準をつけようと、私の照準は打倒巨人と200勝、鈴木は300勝。これが二人の照準ですよ」。だが何度も肩を痛めて球速が低下し、82年には耐えられず関根監督に引退を申し出て、最後の登板と思って投げた5月5日の中日戦では球速100キロそこそこしか出なかったが、それがチェンジアップのような効果をもたらして5回1失点で185勝目を上げた。その後にトレーナーと話し合って現役続行を決意した。
:
いつもと違う日
:
84年6月1日巨人戦、この日の前夜は牛肉を食べ、ぐっすりと眠れたという。翌日いつもと違う気持ちで向かえた巨人戦。平松は山倉にタイムリーを浴びたものの、素晴らしい投球を続け7回1失点で斉藤にマウンドを譲った。斉藤も無失点に抑えたが、打線が江川の前に三塁さえ踏めずに完封され、試合は0対1で敗れ平松は負け投手になった。だが不思議なことに平松の胸に悔しさが沸いてこなかった。このとき39歳6ヶ月、すでに200勝も、巨人戦50勝も達成していた。平松は「巨人戦に負けて冷静でいる自分を見て集中力がなくなってきたのかとさびしかったですね」、巨人戦で歴代2位の通算51勝を挙げた平松は同年限りで引退した。
:
長嶋
:
大洋に入団した時は憧れていた長嶋の背番号「3」をつけたが、その長嶋から25打数連続ノーヒットを記録するなど通算で181打数35安打、打率.193に押さえ込んだ。平松の200勝記念パーティーで長嶋は「どうしたら平松君のシュートを打てるか、そればかりを考えていた。平松君が登板してくる前の晩には、夜中に跳ね起きて素振りを繰り返したこともあった」とスピーチした。
:
200勝
:
風邪をよく引くことからガラスのエースと呼ばれたりもしたが、70年には332イニングを投げるなど通算3360回は球団記録。唯一の200勝投手。
:
25本塁打
:
投手として本塁打25本は金田らに次ぎ歴代4位。76年には6月27日の阪神戦から7月6日のヤクルト戦まで3試合連続のホームランも記録している。
::
2017年に競技者エキスパート表彰で殿堂入り。
チーム対戦成績
巨人
51勝47敗
阪神
41勝47敗
中日
42勝32敗
広島
29勝36敗
ヤクルト
38勝34敗
その他の記録
開幕戦5勝
通算死球120球
セリーグ記録
投手25本塁打
歴代4位
初記録
初登板
67年8月16日広島戦
初勝利
67年8月20日サンケイ戦
初奪三振
67年8月16日広:藤井から
初完投
67年8月20日サンケイ戦
初完封
67年8月20日サンケイ戦
記録達成日
100勝
74年6月1日中日戦
150勝
78年9月9日中日戦
200勝
83年10月21日巨人戦
2000奪三振
84年5月10日広島戦:山根から
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
沢村賞
●
1回
最多勝
●
●
2回
最優秀防御率
●
1回
ベストナイン
●
●
2回
オールスター
●
●
●
●
●
●
●
●
8回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
67
大洋
16
2
2
3
4
-
70.1
66
13
14
3
42
2
1
31
28
3.60
68
大洋
51
2
1
5
12
-
120.1
119
14
54
7
77
4
0
71
57
4.28
69
大洋
57
8
5
14
12
-
245.2
215
24
56
14
157
3
1
78
70
2.56
70
大洋
51
23
6
25
19
-
332.2
226
18
68
13
182
1
2
80
72
1.95
71
大洋
43
11
3
17
13
-
279.0
211
18
82
10
153
3
2
78
69
2.23
72
大洋
41
10
0
13
15
-
243.2
211
32
84
11
118
4
0
111
93
3.43
73
大洋
49
9
1
17
11
-
207.2
180
15
56
4
110
0
0
78
70
3.03
74
大洋
46
12
1
15
16
2
243.2
222
37
74
7
175
2
1
112
99
3.65
75
大洋
28
9
1
12
10
2
172.1
145
25
50
6
134
1
0
71
62
3.24
76
大洋
41
16
2
13
17
2
260.1
227
40
95
9
170
0
0
121
110
3.81
77
大洋
32
10
2
10
9
1
166.0
182
25
50
6
105
2
0
75
73
3.96
78
大洋
36
4
0
10
5
7
146.2
142
18
49
7
83
1
0
73
64
3.92
79
大洋
30
11
3
13
7
1
196.0
155
20
50
6
138
4
0
58
52
2.39
80
大洋
30
9
0
10
11
0
199.1
227
26
57
6
107
1
1
108
95
4.30
81
大洋
17
4
0
6
7
1
110.2
109
9
31
3
70
1
0
45
43
3.49
82
大洋
25
1
0
9
10
0
140.1
150
15
31
5
83
1
0
65
62
3.99
83
大洋
23
4
1
8
8
0
131.0
136
14
53
1
83
2
0
67
57
3.92
84
大洋
19
0
0
1
10
0
95.0
114
11
36
2
58
0
1
63
60
5.68
通算
18年
635
145
28
201
196
16
3360.2
3037
374
990
120
2045
32
9
1385
1236
3.31
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
67
大洋
16
18
0
2
1
0
0
3
0
0
0
2
0
0
0
7
0
0
.111
68
大洋
51
28
4
6
3
0
0
9
0
0
0
4
0
0
0
15
0
0
.214
69
大洋
57
72
5
12
1
0
3
22
8
0
0
3
0
4
0
30
2
1
.167
70
大洋
51
100
8
14
0
0
4
26
8
0
0
8
2
3
0
49
0
3
.140
71
大洋
43
92
10
12
3
0
5
30
8
0
0
4
0
5
1
33
2
2
.130
72
大洋
41
77
5
17
1
0
1
21
4
1
0
7
0
6
0
20
1
3
.221
73
大洋
41
62
4
11
0
0
0
11
6
0
0
3
0
1
2
18
0
1
.177
74
大洋
49
75
2
13
4
0
2
23
4
0
0
4
0
3
0
25
1
3
.173
75
大洋
46
65
5
16
2
0
3
27
12
0
0
2
1
1
0
22
2
2
.246
76
大洋
28
81
7
15
1
0
4
28
7
1
0
13
0
4
0
30
0
4
.185
77
大洋
41
53
6
5
0
0
2
11
5
0
0
3
2
6
0
24
0
0
.094
78
大洋
34
48
3
5
0
0
0
5
2
1
0
4
0
3
0
19
1
3
.104
79
大洋
36
68
1
7
2
0
0
9
3
0
0
7
0
0
0
22
1
2
.103
80
大洋
30
67
8
10
0
0
1
13
4
0
0
5
1
5
0
21
1
3
.149
81
大洋
32
38
0
5
3
0
0
8
3
0
0
3
0
2
0
18
0
1
.132
82
大洋
17
48
1
7
0
0
0
7
1
0
0
2
0
0
0
20
0
3
.146
83
大洋
25
42
1
6
1
0
0
7
3
0
0
2
0
5
0
14
0
2
.143
84
大洋
23
28
2
3
0
0
0
3
0
0
0
3
0
1
0
12
0
2
.107
19
通算
18年
639
1062
72
166
22
0
25
263
78
3
0
79
6
49
3
399
11
35
.156
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
8回
9
0
0
0
2
0
20.0
19
2
2
0
17
0
0
10
9
4.05
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
8回
9
2
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
.500