稲川 誠
15
|
名前 |
いながわ まこと |
生年月日 |
1936年7月25日 |
経歴 |
修猷館高−立教大−富士鉄室蘭−大洋 |
入団年 |
62年に富士鉄室蘭から入団 |
在籍年 |
62年−68年 |
背番号 |
62年−68年[15] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:帰国:
中国の満州に生まれて小学校3年までは北京で育った。終戦とともに天津の収容所へ送られたが、父親を可愛がってくれていた中国人のホンさんが一家を心配して収容所まで付き添ってくれた。その後無事に帰国を果たして中学時代には好投手として福岡で有名になった。だが稲川は進学校の修猷館高への進み野球よりもハワイアンバンドを組んで音楽を楽しんだり、九州中の山を登ったり、多くの蝶を捕まえたりと趣味を謳歌した。
::
立教大学に進学して長嶋や杉浦の1年後輩になった。野球部には一般入部だったがブルペンでのピッチングが評価されてバッティングピッチャーになり、4年時には二番手投手にまでなったが神経痛に苦しんだ事もあって六大学では1勝も出来なかった。
::
富士鉄室蘭に入社するとエースとして2年連続で都市対抗野球に出場。産業別大会(現在の日本選手権)では優勝を果たして16奪三振も記録した。ノーヒット・ノーランを達成するなど注目を集めて、62年に25歳にして大洋ホエールズに入団。初年度にいきなり防御率1.98で12勝7敗を記録した。
:1号:
62年7月1日巨人戦。巨人の王 貞治はこの試合から一本足打法を試していた。大洋先発の稲川は第一打席に2−0と追い込みながら3球目をライト前に弾き返されてしまうと、第二打席に初球をライトスタンドに運ばれて記念すべき「フラミンゴ打法」第一号を打たれた投手となった。稲川は「パッと見て、奇妙な感じがしましたね。しかもぎこちなかった。なんであんな格好で打つんだろうと思ったくらいです。それが2打席目にあのホームラン。ボクが命の恩人なんですかねえ」。王は「1試合目ダメなら止めていたかも」と語っており、稲川が打たれなかったら世界の「フラミンゴオー」は誕生していなかったかも知れない。
:援護×:
63年には5月23日時点で1勝7敗と大きく黒星が先行していた。ただ稲川が打ち込まれていたわけではなく、打線が稲川が登板した70.1イニングの間にわずか10点しか奪えないという極度の貧打に苦しんだのが原因だった。稲川は「いまの成績は実力ではない。大洋が本来の力を取り戻せば、ぼくの成績も上がるはずです」と答えている。
:準ノーヒッターに勝利1:
63年5月26日阪神戦、球場は勝ち負けを超えた緊張感に包まれていた。と言うのも阪神のバッキーが8回が終わってパーフェクトピッチングを繰り広げていたからだ。9回もワンアウトを取り、あと二人と言うところで8番土井に四球を出し完全試合は逃した。そして続く稲川のバントを三塁手ヤシックが暴投し、一転してバッキーは一死一、三塁のピンチを迎える、だがまだ大洋はノーヒットだった。
:準ノーヒッターに勝利2:
そして1番島田が投ゴロに倒れ三塁ランナーが刺され、ついにあと一人。そして最後の打者浜中が放った打球は名手吉田の守備範囲に転がった。だがここで奇跡が起こる、打球は吉田の目の前で二塁ベースに当たり、ころころとマウンドに戻り始めた。この間に二塁走者の稲川が判断良くホームインした。しかも稲川は9回裏を抑えて完封勝利を達成したため、バッキーは完全試合どころか敗戦投手として記録されることになった。
:球団記録も:
準ノーヒッターに勝利し、ようやく同年の2勝目を記録した稲川はそこから波に乗って、前半戦終了時には10勝10敗まで星を戻した。打線の援護も得られるようになった稲川は8月5日から5試合連続完投勝利を含む驚異の9連勝を達成して20勝を達成。その後も勝ち星を重ねた稲川は球団記録の26勝(6月以降だけで24勝)を上げたが、金田が30勝を記録したため最多勝はならなかった。また同年に大洋は巨人に9勝18敗1分けと大きく負け越したが稲川7勝2敗を記録した。
:悪夢1:
64年の大洋は9月18日の時点で残り6試合で2位に3.5ゲーム差という大差をつけ二度目の優勝を決定的にしていた。そして9月26日にはマジックを1として2位阪神とのダブルヘッダーを迎えた。試合は5回表に代打金光のタイムリーと伊藤勲の犠牲フライで大洋が2点を勝ち越したが、7回、8回と先発の高橋重行が1点づつを失い同点となったところで、三原監督は鈴木 隆を挟んでから稲川をマウンドに送った。
:悪夢2:
だが稲川は二死満塁からワイルドピッチを投げてしまい、三塁から本屋敷がホームに突っ込んできた。万事休すかと思われたが、なんと稲川の暴投がバックネット下のコンクリートに当たって跳ね返ってきた。キャッチャーの伊藤はそれをキャッチすると、すぐさまホームベースをカバーしていた稲川に送球した。タイミングをアウトだったが、稲川はフワッっとした力のないタッチをしてしまい、判定はセーフとなり勝ち越しを許した。このまま試合に敗れた大洋はここでシーズン終了。阪神は残り試合に連勝して、奇跡あるいは悪夢の逆転優勝を達成した。
::
稲川が「あのワイルドピッチがなければ」と悔やめば、伊藤は「あれはパスボール、オレが止めていれば」と稲川を庇った。
:イースタン記録:
68年にはイースタン記録の11連勝を記録して最多勝を獲得したが同年限りで引退した。引退後はスカウトや寮長などを長年に渡って勤め上げて球団に貢献し続けた。
:カーブ:
稲川はカーブを投げるのが好きで、土井が「ここはカーブじゃないな」と思っていろいろなサインを出しても、稲川は首を振り、土井が仕方無くカーブのサインを出すと喜んでカーブを投げてきたという。なおカーブは小さなカーブと大きなカーブを投げ分けていた
:蝶:
稲川は蝶の収集家としても知られ、キャンプの宿舎で蝶の蛹を飼育していたという。 |
|
|
62 |
63 |
64 |
65 |
66 |
67 |
68 |
|
オールスター |
|
● |
● |
● |
|
|
|
3回 |
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
62 |
大洋 |
55 |
4 |
2 |
12 |
7 |
- |
191.0 |
126 |
13 |
77 |
5 |
150 |
4 |
0 |
49 |
42 |
1.98 |
63 |
大洋 |
54 |
19 |
6 |
26 |
17 |
- |
338.1 |
272 |
19 |
133 |
17 |
188 |
1 |
0 |
107 |
91 |
2.42 |
64 |
大洋 |
55 |
14 |
5 |
21 |
13 |
- |
302.2 |
261 |
28 |
112 |
7 |
162 |
4 |
0 |
107 |
98 |
2.91 |
65 |
大洋 |
55 |
6 |
2 |
11 |
14 |
- |
232.1 |
201 |
17 |
89 |
5 |
126 |
3 |
0 |
91 |
75 |
2.91 |
66 |
大洋 |
43 |
6 |
2 |
10 |
11 |
- |
184.1 |
165 |
20 |
50 |
8 |
110 |
1 |
0 |
80 |
64 |
3.13 |
67 |
大洋 |
29 |
1 |
1 |
3 |
7 |
- |
80.1 |
92 |
12 |
17 |
0 |
39 |
0 |
0 |
44 |
35 |
3.94 |
68 |
大洋 |
13 |
6 |
0 |
0 |
1 |
- |
14.2 |
19 |
3 |
6 |
1 |
10 |
0 |
0 |
10 |
10 |
6.00 |
|
通算 |
7年 |
304 |
50 |
18 |
83 |
70 |
- |
1343.2 |
1136 |
112 |
484 |
43 |
785 |
13 |
0 |
488 |
415 |
2.78 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
62 |
大洋 |
55 |
48 |
2 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
1 |
0 |
14 |
1 |
1 |
.104 |
63 |
大洋 |
54 |
105 |
11 |
13 |
0 |
0 |
0 |
13 |
2 |
0 |
0 |
9 |
0 |
4 |
0 |
30 |
0 |
1 |
.124 |
64 |
大洋 |
55 |
89 |
2 |
16 |
2 |
0 |
0 |
18 |
8 |
0 |
0 |
11 |
1 |
6 |
0 |
23 |
0 |
2 |
.180 |
65 |
大洋 |
55 |
65 |
1 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
17 |
2 |
4 |
.062 |
66 |
大洋 |
43 |
50 |
3 |
9 |
1 |
0 |
0 |
10 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
10 |
0 |
3 |
.180 |
67 |
大洋 |
29 |
16 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
5 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0 |
2 |
.188 |
68 |
大洋 |
13 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
7年 |
304 |
373 |
19 |
50 |
3 |
1 |
0 |
55 |
15 |
0 |
0 |
33 |
1 |
11 |
0 |
102 |
3 |
13 |
.134 |
|
|
オールスター投球成績
|
回数 |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
通算 |
3回 |
4 |
0 |
0 |
1 |
0 |
- |
5.0 |
8 |
1 |
6 |
0 |
2 |
0 |
0 |
9 |
9 |
16.25 |
|
|
オールスター打撃成績
|
回数 |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
通算 |
3回 |
4 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
|