ベイスターズ記録あと何?

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尾花 高夫



87
名前 おばな たかお
生年月日 1957年8月7日
経歴 PL学園高−新日鉄堺−ヤクルト(77年D4位)
入団年 10年に監督に就任
在籍年 10年−年
背番号 10年−年[87]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
優勝の次試合で初勝利
PL学園では2年時に甲子園出場も登板はなし、新日鉄堺を経て、77年のドラフト会議でヤクルトから4位指名を受けて入団。初年度の78年には7試合に登板して1勝0敗、防御率4.15を記録。ヤクルトが球団創設29年目の初優勝を成し遂げた10月4日の中日戦の次の試合で初勝利を記録している。

エース
3年目の80年に209.1回を投げて防御率3.01を記録したが、武上監督が尾花を鍛えるために江川や北別府といった各チームのエース級にぶつけた事もあって8勝13敗に留まった。ただ8勝中5勝が巨人からでキラーとして名を上げた。

2試合連続で10イニングを完封
松岡に代わってヤクルトのエースになった82年には8月4日の阪神戦で延長10回を無失点に抑えると、10回裏にブリックスのヒットでサヨナラ勝ち。8月8日の広島戦では延長10回を2安打で無失点に抑えると、10回裏に岩下 正明のヒットでサヨナラ勝ちと2試合連続で延長戦の1対0の完封を達成している。14完投を記録するなど、246回を投げて、12勝16敗と初の二桁勝利を記録、最優秀防御率も争ったが9月26日の大洋戦で7失点を喫して防御率2.60と惜しくも届かなかった。

4年連続二桁勝利
83年には先発とリリーフで11勝10敗6セーブを記録。84年には14勝8敗7セーブ、85年も11勝8敗7セーブとリリーフを兼任しながら4年連続で二桁勝利を記録。

7連敗で二桁がストップ
86年は右肩痛もあって開幕から不調続きで5月が終わって1勝どまり。6月10日の大洋戦で1回表に打線が大洋先発の木田勇から若松、レオン、ブロハード、広沢とセ・タイ記録の4者連続本塁打を放ち、その後も14安打で15得点という大量援護を受けてようやく2勝目を上げると、そこから3連勝を記録するなど持ち直し、8月17日には9勝目を上げたが、そこから7連敗を喫して、9勝17敗と二桁勝利が4年連続でストップして、最多敗にもなってしまった。

東京ドーム初勝利
88年4月8日の巨人との開幕戦。この日は4月だというのに東京に大雪が降り、西武球場は降雪で中止となった。だが同年に完成し、この日が公式戦のこけら落としとなった東京ドームでは問題なく試合開始された。試合は2回表にデシンセイのソロでヤクルトが先制すると、先発の尾花が5回まで巨人打線を無失点に抑える好投を見せる。6回裏にクロマティのソロなどで逆転を許したが、7回表に代打平田の2点タイムリーなどで再逆転。7回裏からは伊東がリリーフして逃げ切って、尾花は東京ドーム勝利投手1号になった。

引退
90年には5月1日の阪神戦で右ひざの前十字靭帯を損傷という大怪我を負ってわずか4試合登板に留まった。翌91年には復帰して3完投を含む5勝8敗で防御率4.35というまずまずの成績を残したが同年限りで引退した。10年間でAクラス1回という80年代のヤクルトのエースとして活躍。80年代にヤクルトが記録した539勝のうち、19%に当たる102勝を尾花が記録。14年間で通算112勝を上げながら日本シリーズで投げることは出来なかった。なお引退の翌年にヤクルトは14年ぶりのリーグ優勝を達成している。

コントロール
四球数がイニングの4分の1以下という絶妙のコントロールを持ち、2203投球回を投げて、その間に163回の満塁のピンチを背負ったが、一度も押し出し四球を出さなかった(日本記録)。無四球試合も史上32位の21回記録している。

名投手コーチ
95年にロッテの投手コーチに就任すると前年の防御率4.50を3.27と大幅に改善させた。97年に古巣ヤクルトに移籍すると、ここでもチーム防御率を前年の4.00から3.26と良化させてチームの日本一に貢献。99年にダイエーに移籍すると、ここでもチーム防御率を前年の4.02から3.65と改善させて、チームを35年ぶりの日本一に導いた。

優勝7回
06年に巨人に移籍すると3年連続で防御率4点台で、前年には球団史上最悪の4.80まで悪化していたチーム防御率を3.65まで大幅に改善。09年には95年のオリックスと西武以来14年ぶりとなるチーム防御率2点台(2.94)を記録して名投手コーチ尾花の名を確固たるものにした。15年のコーチキャリアで7度のリーグ優勝、4度の日本一を経験している。

横浜の監督就任
09年は巨人の投手総合コーチを務めていたが日本シリーズを目前に控えた10月に横浜ベイスターズの監督就任が報道され、シリーズ後の11月に監督就任が発表された。尾花監督は「自責点あと100点減らせる」と投手陣の整備に重点を置いたが結果的には自責点が75点増えて球団史上ワースト2位のチーム防御率4.88に終わって最下位独走となってしまった。

2年で解任
11年には指摘されていた選手との対話不足を解消するべく積極的にコミュニケーションを取り、ベンチでも笑顔を見せて盛り上げる姿を見せた。そのかいあってか6月までは順位争いの輪に入っていたが、7月に入ると4番の村田が連日に渡って投手批判を繰り返すなど勝率が大幅に落ちて再び最下位に終わってしまった。また同年には継投を多用して、シーズン8試合の残して07年阪神の624人を上回る投手を登板させて、最終的には664人という投手登板の日本新記録を残した。同年のオフにDeNAにオーナー会社が代わることもあって契約を1年残して解任された。尾花監督「成長した選手たちと来季も一緒に戦いたかった」と悔しさをにじませた。


初記録
初登板 78年4月22日阪神戦
初勝利 78年10月6日中日戦
初奪三振 78年5月28日広島戦
初完投
初セーブ
記録達成日
100勝 89年5月5日中日戦






78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91
オールスター 3回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
78 ヤクルト 7 0 0 1 0 0 13.1 15 3 4 1 6 0 0 6 6 4.15
79 ヤクルト 36 2 1 4 9 0 137.0 163 15 49 7 75 1 0 84 75 4.93
80 ヤクルト 34 10 0 8 13 1 209.1 182 20 70 2 123 3 0 91 70 3.01
81 ヤクルト 30 4 1 6 6 0 125.2 135 18 34 4 84 2 0 65 59 4.21
82 ヤクルト 42 14 2 12 16 4 246.0 226 21 45 6 154 2 0 84 71 2.60
83 ヤクルト 41 4 0 11 10 6 165.0 193 19 44 2 88 1 0 93 86 4.69
84 ヤクルト 45 8 1 14 8 7 175.0 172 27 47 3 106 6 0 70 67 3.45
85 ヤクルト 40 10 1 11 8 7 205.0 229 23 57 12 107 4 1 108 100 4.39
86 ヤクルト 34 9 1 9 17 1 201.1 241 22 39 8 86 4 0 105 95 4.25
87 ヤクルト 33 9 2 11 15 3 206.2 227 24 37 5 145 4 0 111 91 3.96
88 ヤクルト 31 10 3 9 16 0 232.0 242 17 42 1 125 2 0 81 74 2.87
89 ヤクルト 27 8 0 11 8 0 167.2 225 21 35 2 77 4 0 91 82 4.40
90 ヤクルト 4 0 0 0 1 0 21.2 29 2 6 2 9 0 0 17 12 4.98
91 ヤクルト 21 3 0 5 8 0 97.1 109 10 19 3 40 4 0 55 47 4.35
通算 14年 425 91 12 112 135 29 2203.0 2388 242 528 58 1225 37 1 1061 935 3.82


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
78 ヤクルト 7 4 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .500
79 ヤクルト 36 31 1 2 0 0 0 2 0 0 0 4 0 1 0 13 0 0 .065
80 ヤクルト 34 67 4 6 0 0 0 6 2 0 0 4 0 1 0 34 0 0 .090
81 ヤクルト 30 36 1 3 0 0 0 3 3 0 0 1 0 1 0 13 0 0 .083
82 ヤクルト 42 78 3 8 0 0 0 8 2 0 0 6 0 2 0 29 1 0 .103
83 ヤクルト 41 48 3 6 0 0 0 6 0 0 0 1 0 0 0 21 2 3 .125
84 ヤクルト 46 53 3 7 0 0 0 7 4 0 0 5 0 3 0 22 0 1 .132
85 ヤクルト 40 62 0 7 1 0 0 8 2 0 0 9 0 4 0 13 0 1 .113
86 ヤクルト 34 64 3 11 1 0 0 12 1 0 0 6 0 2 0 29 1 1 .172
87 ヤクルト 33 62 1 8 0 0 0 8 4 0 0 8 0 4 0 24 1 0 .129
88 ヤクルト 31 70 0 2 0 0 0 2 1 0 0 8 0 0 1 31 1 0 .029
89 ヤクルト 27 50 1 6 0 0 0 6 2 0 0 6 0 2 0 17 1 0 .120
90 ヤクルト 4 5 1 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 1 0 0 0 0 .000
91 ヤクルト 21 20 0 4 0 0 0 4 2 0 0 7 0 6 0 9 0 0 .200
通算 14年 426 650 22 72 2 0 0 74 24 0 0 68 0 27 1 257 7 6 .111


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 3回 4 0 0 1 1 0 8.2 17 1 1 1 3 0 0 9 9 9.35


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 3回 4 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 犠打 打率 防御率 失策
10 横浜 6 48 95 1 .336 32.0 117 176 59 126 .255 4.88 78
11 横浜 6 47 86 11 .353 27.5 78 117 31 154 .239 3.87 75
通算 2年 6 95 181 12 .344 59.5 195 293 90 280 .247 4.38 153