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大矢 明彦



81
名前 おおや あきひこ
生年月日 1947年12月20日
経歴 早稲田実−駒澤大−ヤクルト(69年D7位)
入団年 96年に監督就任
在籍年 96年−97年
背番号 96年−97年[81]
投打 右投げ右打ち
守備 捕手
::
早稲田実では投手と捕手を務めて都大会ではノーヒットノーランも記録している。駒沢大では3年春に4番を打ってチーム優勝に導いた。東都大学リーグで2年秋、3年春秋。4年秋とベストナイン。また大学通算で満塁ホームランを3本を放っている。ドラフト7位でヤクルトに入団。

配球術継承
1年目に正捕手だった加藤が交通事故で離脱したため93試合に出場、打率は.204に留まったが強肩で評価を高めた。2年目に就任した三原監督に目をかけられ配球術を学んだ。「たとえば試合前の練習中に三原監督はよく外野のフェンスに沿って手を組みながら歩いた。僕はその後ろをトボトボとついていく、話の大半はリードのこと」、監督の話に熱が入りすぎて、大矢は打撃練習ができない日がしょっちゅうあった。

::
78年には前年に痛めた右手甲の骨折が完治しないままシーズンに入ったが118試合に出場して、打率.268という好成績を残してベストナインに選出された。

好走塁
78年10月22日阪急との日本シリーズ、3勝3敗で迎えた最終戦、5回裏二死ながら二塁に大矢をおいて、ヒルトンが打席に入った。ヒルトンはニ遊間に高いバウンドのゴロを放った。マルカーノがこれをつかんで一塁に転送するが、セーフの判定、この判定に不服のファースト加藤 英一が抗議する間に大矢が隙を突いてホームを陥れて一点を勝ち越した。その後試合は大杉の本塁打を巡って1時間19分の抗議が行われた後にヤクルトが日本一に輝いた。

ベストナイン
初年度から93試合に出場すると、翌年からは完全にレギュラーを獲得し、6回のゴールデングラブに、2度のベストナインという球界を代表する捕手になった。またリーグトップの盗塁阻止率5度、70年から80年の11年間で10度の盗塁阻止率4割を記録するなど強肩として知られた。

改革
93年に横浜ベイスターズの初代バッテリーコーチとして入閣。96年に監督昇格を果たすと、サード石井をショート、ショート進藤をセカンド、セカンドローズをサードという内野総コンバートを実行し、中継ぎエースだった盛田を先発に転向させ、自身がバッテリーコーチ時代に伸び悩んでいた谷繁を刺激するために、外野手の宮里を捕手に再コンバートするなど大胆な改革を次々に実行した。

春の珍事
96年は4月を15勝6敗という絶好のスタートを切り、『春の珍事』とマスコミを賑わし、『優勝旅行はラスベガス』とまで報道されたが5月に入ると集団風邪が蔓延し、石井と数人の投手を残してほぼ全滅という惨劇が降りかかり、4月に稼いだ9つの貯金を、5月には借金つきで使い果たしてしまった。5月15日の巨人戦では二日前に先発した斎藤を中継ぎでスクランブル登板させるという奇策まで使ったが、延長戦の末に田辺が押し出し四球で決勝点を与える最悪の結果に終ってしまった。

改革、是、非
コンバートした進藤、ローズは故障し、先発に回った盛田も不調に陥るなど、改革も今一つの結果に終わり、シーズンを5位で終えることになった。だがその一方で谷繁は自身初の3割を達成するなど大きく成長し、ショートに回った石井もまずまずの成績を残すなど、いくつかの光明も見えたシーズンだった。

大躍進
97年は6月まで最下位争いに低迷していたが、7月に佐々木の鬼気迫る活躍などで13勝5敗と大きく勝ち越し借金を完済すると、8月には20勝6敗という球団史上に残る大進撃を見せて一気に首位争いに躍り出た。最終的には37年ぶりの優勝はならなかったが、18年ぶりの2位を勝ち取り、多くのファンに初めての優勝争いを堪能させた。だがフロントは大矢監督の続投を望まず、惜しまれながらも同年限りで退団することになった。選手にもファンも愛された大矢監督は、本拠地最終戦の試合後に、大矢コールに包まれるライトスタンドの前で選手たちに胴上げされた。

監督再就任
07年に再び横浜ベイスターズの監督に就任するとクアトロKの解体、鈴木尚のスタメン起用など改革を行なったが結果的には失敗に終わった。だがチームは移籍の工藤、寺原、仁志の活躍、村田の成長などもあって前年の最下位からAクラスを争うまでに躍進した。08年はクルーンの移籍に主力投手の不調などが重なって投手陣が崩壊し、あわや100敗という悲惨なシーズンになった。09年は開幕6連敗というスタートを切ると、交流戦前に13勝24敗となった所で、事実上の解任通告を受けて、シーズン途中にチームを離れる事になった。


初記録
初出場 70年4月22日巨人戦
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁
記録達成日
1000安打






70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85
ベストナイン 2回
ゴールデングラブ 6回
オールスター 7回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
70 ヤクルト 93 255 17 52 10 1 6 82 27 1 2 9 0 16 1 43 7 3 .204
71 ヤクルト 127 377 29 87 16 3 10 139 40 2 3 18 5 28 4 39 9 12 .231
72 ヤクルト 120 361 44 97 24 2 5 140 40 6 2 15 4 36 0 33 9 4 .269
73 ヤクルト 121 355 28 67 8 2 7 100 21 3 2 10 3 25 0 46 14 5 .189
74 ヤクルト 130 431 31 103 20 0 13 162 41 6 3 6 4 28 2 44 11 6 .239
75 ヤクルト 130 436 27 106 17 0 9 150 43 2 3 0 4 26 0 38 14 2 .243
76 ヤクルト 122 408 30 93 17 1 7 133 42 4 4 9 1 34 2 29 14 3 .228
77 ヤクルト 85 282 28 71 14 1 8 111 29 1 1 4 4 17 1 30 5 2 .252
78 ヤクルト 118 365 44 98 13 0 7 132 44 2 2 13 3 26 1 29 10 7 .268
79 ヤクルト 100 321 26 87 10 0 6 115 31 6 3 4 1 11 5 32 7 4 .271
80 ヤクルト 110 368 35 104 15 3 8 149 50 1 10 4 4 25 3 32 14 2 .283
81 ヤクルト 82 213 21 47 8 3 2 67 23 2 1 9 2 10 0 18 10 2 .221
82 ヤクルト 81 247 16 67 9 0 1 79 18 3 1 2 3 18 1 25 5 2 .271
83 ヤクルト 66 150 12 39 5 1 2 52 20 1 1 5 2 21 0 16 3 2 .260
84 ヤクルト 50 77 10 23 1 1 2 32 9 1 0 4 0 7 1 6 1 1 .299
85 ヤクルト 17 19 1 3 1 0 0 4 1 0 0 1 0 0 0 6 0 1 .158
通算 15年 1552 4665 399 1144 188 18 93 1647 479 41 38 113 40 328 21 466 133 58 .245


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
78 ヤクルト 7 24 2 6 0 0 1 9 4 1 0 0 0 2 0 1 0 0 .250


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 7年 15 15 1 3 2 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 4 1 0 .200


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 打率 防御率 失策
96 横浜 5 55 75 0 .423 22.0 85 155 85 .270 4.67 76
97 横浜 2 72 63 0 .533 11.0 105 137 87 .273 3.70 78
07 横浜 4 71 72 1 .497 9.0 124 133 42 .265 4.01 91
08 横浜 6 48 94 2 .338 36.5 145 168 37 .266 4.74 61
09 横浜 6 13 24 0 .351 42.5 128 164 51 .239 4.36 99
通算 5年 259 328 3 .441 121.0 587 657 302 .263 4.30 405
「ゲーム差」から右は1年間のチーム成績