:ドラフト2位:
イースタンメントナイト大学時代はバスケットボールのスタープレーヤーでもあり、シーツは「ベースボールはオフシーズンのスポーツだった」と語っているが、78年にオリオールズからドラフト2位で指名されカル・リプケンJと共にオリオールズに入団した。
:MLBデビュー:
83年にAAで25本塁打を放ちホームラン王を獲得。翌84年にボルチモア・オリオールズに昇格すると、9月18日ヤンキース戦でMLB初出場&初ヒットを記録。20日のレッドソックス戦では2打数2安打、28日のレッドソックス戦で初ホームランと活躍を続け、ルーキーイヤーを16打数7安打(打率.438)という好成績で終えた。
:来日:
MLBに昇格した84年の秋に日米野球でオリオールズ単独チームの一員として来日。リプケンに並ぶチーム2位の4本塁打に11打点、40打数16安打で打率.400と大活躍したが、チームは8勝5敗と今一つの成績に終った。なお11月15日に行なわれる予定だった大洋、巨人、ロッテ連合軍対オリオールズは雨で中止になった。
:MVP:
85年には主にDHで打率.262、17本塁打、50打点と活躍してレギュラーを獲得。翌々年の87年には打率.316、31本塁打、94打点という素晴らしいシーズンを送り、オリオールズのチームMVPに選ばれた。
:大洋入団:
90年には大洋ホエールズからの誘いもあったがデトロイト・タイガースに移籍、翌91年はFAで古巣オリオールズ復帰を目指したが、契約のもつれからイタリアのセミプロチームでプレーしていた。これに目をつけた牛込スカウトが交渉に当たり、大洋ホエールズに入団することになった。
:打点王:
大洋ホエールズではチーム三冠王となる打率.308、26本塁打、100打点という素晴らしい成績を残してセ・リーグの打点王も獲得した。外野手としてベストナインにも輝き、翌年の活躍も期待されたがMLB復帰を目指すために惜しまれながら退団。翌年からチーム名が横浜ベイスターズに変わったため、大洋ホエールズ最後の外国人選手となった。
:親子メジャー:
息子のギャビンも父と同順位のドラフト2位でプロ入りを果たした。21年にメジャーデビューを飾り54試合に出場、9月16日のエンゼルス戦では大谷が9回二死から故意死球を受けて退場者が出る事態となったが、何事もなかったように一塁へ歩いた大谷が笑顔で一塁手のシーツと談笑する姿が日本でも話題になった。 |
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