森 徹
6
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名前 |
もり とおる |
生年月日 |
1935年11月3日 |
経歴 |
早稲田大学高等学院−早稲田大−中日−大洋−東京 |
入団年 |
62年に中日から移籍 |
在籍年 |
62年−65年 |
背番号 |
62年−65年[6] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
外野手 |
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:力道山:
森 徹は満州で手広く事業を行なっていた森家の次男として生まれた。戦時中には当時大相撲の関脇だった力道山が慰問で満州を訪れた際に森家と懇意になって、力道山は徹を弟のように可愛がったという。徹は3人兄弟で育ったが、森が10歳のころ兄は戦死し、妹は病死した。それからすぐに父も亡くなり、戦後になると母とともに満州から函館に引き上げてきた。知人の家に預けられた12歳の森はその後に東京に移り住んで早大学院高に入学。早大学院高では柔道選手としても有名だった。力道山の影響もあって早くからウエイト・トレーニングに精を出して173センチにして95キロという屈強な体を作り上げた。
:ベストナイン4回:
早稲田大では1年時には柔道部と野球を掛け持ちしていたが、野球に専念した2年春からの3季連続を含む4度のベストナイン。2年秋の早慶戦では第1戦で藤田
元司から先制の2点タイムリー、第3戦では同じく藤田 元司から1対1の同点で迎えた延長11回表に決勝ツーランを放って早稲田の完全優勝に大きく貢献し、試合後にはチームメイトから胴上げされた。
:新人王ならず:
58年に中日に入団するとルーキーにもかかわらず開幕戦で4番を任されて本塁打を放つなど活躍、9月17日の阪神戦から21日の大洋戦まで4試合連続ホームランを記録するなどリーグを2位の23本塁打を放った。73打点も記録するなど新人として申し分の無い活躍を見せたが、シーズン中盤に病気で離脱したことが響いて新人王は長嶋にさらわれた。
:二冠王:
59年にはシーズン最終戦の阪神戦で通算100勝がかかっていた阪神のエース小山から2本塁打を放って本塁打数を31本として大洋のルーキー桑田 武と共に本塁打王に輝き、87打点で打点王も獲得した。球界を代表する選手になりつつあったが、4年目の61年に濃人
渉が監督に就任した事をきっかけに状況が一変。就任当初に自宅を訪ねてきた濃人監督からキャプテンに指名されると、森はしぶしぶ引き受けたが同僚から「監督が森を大人しくさせるためにキャプテンにすると言っていた」と告げられて激怒、監督と共に出演したTV番組で「適当にやるよ」とコメントして関係が悪化した。
:力道山の力で大洋移籍:
選手の好き嫌いが多かった濃人監督との対立が表面化して、61年オフには南海とのトレードが画策されたが、この話を聞きつけた力道山が中日フロントに「森を南海に出すのなら、その原因を作った濃人監督を辞めさせて喧嘩両成敗にするのが筋。さもなければ森が行きたいという球団に出すべきだ」と直談判した。フロントは国民的なスターだった力道山の説得に折れて、主力選手の森を交換相手なしの金銭トレードという形で大洋へ放出した。森が大洋への移籍を選択したのは大学時代の監督である森
茂雄が球団社長で監督が大学の先輩である三原であったことも影響したが、それよりも中日と同じセ・リーグへの移籍に拘ったからだと言われている。
:ロッテに移籍:
66年にロッテに移籍したが翌67年に二軍監督だった因縁の濃人がヘッドコーチに昇格し、その後シーズン中に戸倉監督が成績不振で休養すると濃人がチームの指揮を執ることになり、森はスタメンが外されることが多くなった。翌68年にはハワイキャンプのメンバーからも外された森は永田オーナーの説得を振り切って引退を決意した。
:目:
森は乱視と斜視という野球選手として致命的な欠陥な持っていた。乱視は眼鏡で何とかなったが、斜視はどうしようもなかった。そのせいでインハイのストレートは大の苦手だったが、それを隠すためにホームランを打つたびに「打った球はインコース高めのまっすぐ」と答え続けた。現役時代に森の目が悪いことを見抜いたのは三原監督だけだったという。
:グローバルリーグで監督:
引退後の69年にはアメリカで発足した中南米やアジアを巻き込んだ世界規模のリーグ戦であるグローバルリーグに東京ドラゴンズの監督として参加。森は精力的に選手の練習に加わって、選手のレベルアップに尽くしチームも好調なスタートを切ったが、リーグそのものが開幕から1カ月程度で資金難から解散となってしまった。その後はプロ野球OBクラブで指導者の育成に尽力した。 |
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58 |
59 |
60 |
61 |
62 |
63 |
64 |
65 |
66 |
67 |
68 |
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本塁打王 |
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● |
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1回 |
打点王 |
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● |
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1回 |
ベストナイン |
● |
● |
● |
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3回 |
オールスター |
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● |
● |
● |
● |
● |
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5回 |
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打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
58 |
中日 |
112 |
421 |
46 |
104 |
18 |
1 |
23 |
193 |
73 |
7 |
7 |
3 |
2 |
18 |
3 |
85 |
9 |
5 |
.247 |
59 |
中日 |
130 |
486 |
66 |
137 |
27 |
5 |
31 |
267 |
87 |
9 |
6 |
0 |
9 |
37 |
4 |
77 |
12 |
6 |
.282 |
60 |
中日 |
129 |
469 |
61 |
129 |
22 |
3 |
21 |
220 |
72 |
9 |
9 |
0 |
4 |
45 |
5 |
67 |
17 |
3 |
.275 |
61 |
中日 |
123 |
428 |
34 |
109 |
19 |
0 |
13 |
167 |
60 |
5 |
6 |
0 |
6 |
26 |
3 |
60 |
8 |
6 |
.255 |
62 |
大洋 |
133 |
481 |
62 |
122 |
18 |
3 |
22 |
212 |
67 |
2 |
7 |
0 |
4 |
21 |
3 |
65 |
13 |
3 |
.254 |
63 |
大洋 |
134 |
466 |
49 |
112 |
23 |
2 |
24 |
211 |
68 |
5 |
7 |
1 |
3 |
27 |
1 |
57 |
19 |
5 |
.240 |
64 |
大洋 |
130 |
357 |
39 |
91 |
15 |
2 |
15 |
155 |
54 |
4 |
4 |
3 |
3 |
18 |
2 |
31 |
13 |
5 |
.255 |
65 |
大洋 |
87 |
162 |
18 |
31 |
4 |
0 |
13 |
74 |
28 |
3 |
0 |
1 |
0 |
3 |
2 |
19 |
6 |
1 |
.191 |
66 |
東京 |
101 |
333 |
37 |
71 |
10 |
1 |
17 |
134 |
43 |
8 |
4 |
1 |
0 |
25 |
4 |
60 |
7 |
0 |
.213 |
67 |
東京 |
91 |
256 |
20 |
65 |
9 |
2 |
10 |
108 |
33 |
4 |
1 |
0 |
0 |
8 |
1 |
45 |
11 |
2 |
.254 |
68 |
東京 |
7 |
9 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
.000 |
|
球団 |
4年 |
484 |
1466 |
168 |
356 |
60 |
7 |
74 |
652 |
217 |
14 |
18 |
5 |
10 |
69 |
8 |
172 |
51 |
14 |
.243 |
|
通算 |
11年 |
1177 |
3868 |
432 |
971 |
165 |
19 |
189 |
1741 |
585 |
56 |
51 |
9 |
31 |
228 |
28 |
568 |
115 |
36 |
.251 |
|
|
オールスター打撃成績
|
回数 |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
通算 |
5回 |
12 |
31 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
3 |
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
0 |
10 |
1 |
1 |
.129 |
|
|
|