ベイスターズ記録あと何?

サイト内検索>  
ホーム ニュース 通算記録 シーズン記録 日本記録 MLB記録 選手名鑑 タイトル 球団歴史 ドラフト

選手名鑑

■>打者:あ:
■>打者:か:
■>打者:さ:
■>打者:た:
■>打者:な:
■>打者:は:
■>打者:まや:
■>打者:らわ:

■>投手:あ:
■>投手:か:
■>投手:さ:
■>投手:た:
■>投手:な:
■>投手:は:
■>投手:まや:
■>投手:らわ:

■>監督
■>その他

■>大洋ホエールズ
■>横浜大洋
■>横浜ベイスターズ
■>全選手
MLB記録 タイトル

関連リンク

長崎 啓二



名前 ながさき けいじ(旧登録名:長崎慶一)
生年月日 1950年5月13日
経歴 北陽高−法政大−大洋(72年D1位)−阪神
入団年 72年にドラフト1位で入団
在籍年 73年−84年
背番号 73年−76年[23]:77年−84年[7]
投打 左投げ左打ち
守備 外野手
春秋連続首位打者
68年のドラフトで相思相愛の阪神から8位指名を受けたが母親から猛烈な反対にあって、やむなく法政大に進学。法政大では1年春から4番を任されると、2年秋には早くもベストナインに選出された。3年秋は手首を骨折してリーグ戦出場はならなかったが、その間に下半身を徹底的に鍛え上げたことが幸いして4年時には春に47打数24安打で打率.511、秋には43打数17安打で打率.395という素晴らしい成績を残して史上初の春秋連続の首位打者に輝いた。72年のドラフトで大洋から1位指名を受けて入団。

代打で4割越え
初年度は打率.222でわずか2本塁打に終わったが、2年目の74年には打撃コーチの大下に鍛え上げられ。規定打席不足ながら打率.356と打ちまくった。なかでも代打ではリーグ新記録の打率.469(32打数15安打)を記録した。

サヨナラ
74年6月1日中日戦、札幌丸山球場で行われたこの試合は、逆転に継ぐ逆転で9回表が終わって6対6の同点だった。9回裏は中日のストッパー星野 仙一の前にあっけなく二死を取られたが、ここで打席に入った長崎は星野の4球目のストレートを叩き、打球はライトスタンドに消えるサヨナラホームランとなった。同年には10月6日巨人戦でもサヨナラホームランを放つと、同年の最終戦となったヤクルト戦でもサヨナラホームランを放った。1年で3サヨナラホームランは桑田 武と並んで球団記録。

場外弾
82年に仙台宮城球場で行われた5月23日中日戦で6対9で迎えた9回裏にストッパー鈴木 孝政から二死走者なしから中塚 政幸、山下 大輔、屋鋪 要の3連打で二死満塁という一打大逆転のチャンスを作ると、ここでケガのラムに代わってスタメンに入った3番長崎 啓二が内角高めの速球を振り抜くと、打球はライトスタンド場外に消え去る逆転満塁サヨナラ本塁打になった。

前日まで
82年の7月31日の中日戦から8月30日の巨人戦まで22試合連続ヒットを記録するなど打率.351で、2位の田尾に一分以上の差をつけて首位打者を独走していた。だが10月の16日、17日の中日戦で大洋投手陣が田尾に8打数6安打と滅多打ちにあって、シーズン最終戦の18日の試合前にはついに田尾が次の打席でヒットを打てば逆転でトップに立つという状況が出来上がっていた。そしてこの試合は中日にとっても最終戦で、中日が勝てば中日が優勝、負ければ巨人が優勝という大一番だった。

当日
そして全国の巨人ファンが大洋を応援し、アンチ巨人ファンが中日を応援するという異常な雰囲気の中でシーズン最終戦が始まった。長崎は何日も前から出場しておらず、当然この日も出場を見合わせていた。球審がプレーボールをコールすると、中日のトップバッター田尾が敬遠で一塁に歩いた。この時点で中日の優勝はほぼ決定した。田尾は4度の敬遠で一塁に歩き、試合は8対0で中日がリードしていた。そんな中で迎えた第五打席で田尾は0−3から4球目、5球目とボール球を空振りして抗議したが、6球目は見逃して5個目の敬遠で田尾は一塁に歩いた。この敬遠攻めは優勝を逃した巨人ファンから激しく非難されることになったが、何はともあれ長崎は首位打者に輝いた。

移籍
和製ミッキーマントルと呼ばれ9年連続で二桁本塁打を記録したが、81年のオフに人間関係の不満から移籍を直訴、翌82年に監督に就任した大学の先輩でもある関根 潤三から「俺が監督の間は我慢してくれ」と説得されて留まったが、関根が退任した84年オフに再び移籍を直訴して、幼い頃からの夢だった阪神タイガースにトレードされた。移籍初年度となった85年には7月27日に行われた古巣大洋戦で斉藤明雄から代打サヨナラホームランを放つなど代打の切り札として活躍した。

日本一
85年日本シリーズ、阪神が3勝2敗と優勝に王手をかけて迎えた第六戦、二死からバースの四球、掛布、岡田の連打で二死満塁のチャンスで打席に入った長崎は、高橋直樹の投じた三球目の内角高めのストレートを叩くと打球は10メートル以上の強風に舞い上げられてそのままスタンドに飛び込み、阪神の球団史上初の日本一を決定づける先制満塁ホームランとなった。同シリーズで優秀選手賞を獲得した長崎は優勝会見で「大洋から移籍して良かった。今年ダメならやめようと思っていた。帰るバスの中でも泣きっぱなしでした」


初記録
初出場
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁
その他の記録
サイクルヒット 78年5月20日阪神戦

記録達成日
1000安打 83年7月17日槇原から



73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87
首位打者 1回
ベストナイン 1回
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
73 大洋 75 203 28 45 8 0 2 59 7 4 1 1 1 12 3 43 4 2 .222
74 大洋 95 225 49 80 19 3 13 144 33 8 2 1 0 29 3 34 4 2 .356
75 大洋 122 406 48 107 17 3 12 166 42 11 9 7 0 51 4 91 5 5 .264
76 大洋 101 276 41 65 10 1 12 113 25 5 3 10 1 32 6 47 2 1 .236
77 大洋 126 433 79 115 18 3 19 196 57 19 4 10 3 58 15 101 3 0 .266
78 大洋 128 438 84 126 30 8 21 235 72 27 9 7 7 70 8 67 6 0 .288
79 大洋 117 351 71 102 18 5 11 163 50 18 9 7 1 53 7 77 6 1 .291
80 大洋 86 245 42 57 12 1 10 101 25 13 9 5 0 43 6 48 0 2 .233
81 大洋 118 343 42 100 12 5 10 152 35 10 12 9 2 29 0 41 3 1 .292
82 大洋 114 396 57 139 21 1 11 195 40 3 1 18 1 43 4 37 9 3 .351
83 大洋 112 364 40 111 17 2 7 153 44 0 2 10 6 38 3 29 11 1 .305
84 大洋 84 250 38 61 14 1 5 92 29 4 1 4 4 30 1 21 6 2 .244
85 阪神 68 106 15 30 6 0 6 54 25 0 0 1 0 7 2 17 4 1 .283
86 阪神 68 87 6 16 1 0 3 26 13 0 0 0 1 8 0 14 3 0 .184
87 阪神 60 59 5 14 1 0 4 27 11 0 0 0 1 4 0 15 2 2 .237
球団 12年 1278 3930 619 1108 196 33 133 1769 459 122 62 89 26 488 60 636 59 20 .282
通算 15年 1474 4182 645 1168 204 33 146 1876 508 122 62 90 28 507 62 682 68 23 .279


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
85 阪神 4 9 3 2 0 0 2 8 6 1 0 0 0 1 0 0 0 0 .222


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 3 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000