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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
仁志 敏久
7
名前
にし としひさ
生年月日
1971年10月4日
経歴
常総学院高−早稲田大−日本生命−巨人(95年D2位)−横浜−米独立リーグ
入団年
07年に巨人から移籍
在籍年
07年−09年
背番号
07年−09年[7]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
甲子園
:
常総学院高では一年生からショートでレギュラーを掴み、同年の夏の甲子園では22打数8安打と活躍してチームを準優勝にまで導いた。準々決勝でランニングホームランを記録して名前を売ると、準決勝の東亜学園戦ではエースの島田 直也と川島 堅の投げ合いで、1対1のまま迎えた延長10回裏の無死一塁で打席に立ち、十中八九バントの場面で強攻策に出てショートゴロを放ってしまったが、バントシフトを取っていたショートが慌てて悪送球を投じて一塁から島田が返ってサヨナラ勝ちとなった。
:
早慶戦
:
2年夏、3年夏と3年連続して夏の甲子園に出場。進学した早稲田大では主将を任されるなど活躍し、4年春の早慶戦で4対4で迎えた9回裏二死満塁で慶応の西田から早慶戦史上初のサヨナラ満塁ホームランを放つなど2試合で9打数8安打を記録、しかもその内訳が3本塁打、4二塁打でシングルヒットは1本のみでアウトになった打席も痛烈なサードゴロという野球史に残るような大活躍となった。同春のリーグ戦ではシーズンタイ記録の6本塁打を記録。3度のベストナインに輝き、日本生命を経て95年のドラフトで巨人から2位指名を受けて入団。
:
新人王
:
開幕戦に1番セカンドで出場、初打席でセンター前ヒットを放つと、第二、第四打席にもヒットを重ねて、巨人の新人選手としては初の開幕戦猛打賞を達成した。その後は打撃不振でスタメンを外れる時期もあったが、5月中旬から再びスタメンを勝ち取ると、8月16日のヤクルト戦では延長12回に山本からサヨナラホームランを放つなど巨人の大逆転優勝(メークドラマ)に貢献。新人ながら109安打を放ち、17盗塁を記録した仁志は108票を集めて同僚の清水の49票を抑えて新人王に輝いた。ちなみに3位が12票の門倉。
:
史上3人目の快挙
:
日本シリーズで第三戦と第五戦で本塁打を放つなど活躍し敢闘賞に輝いた。新人選手が日本シリーズで2本塁打を放ったのは 原 辰則らに並ぶ史上3人目の快挙だった。
:
セカンド転向
:
アマチュア時代は主にショートを守り、プロ初年度は主にサードを守っていたが、2年目の97年から本格的にセカンドにコンバート。その影響もあってか打率.242と低迷。翌98年も4月15日の中日戦で今中から死球を受け右手を骨折する最悪のスタートとなったが、復帰後は5月30日の広島戦から7月25日の中日戦まで37試合連続出塁を記録するなど活躍して初めてののオールスターにも選ばれた。
:
サイクルヒット
:
99年6月25日の広島戦では、初回にライト前ヒットを放つと、その打球がイレギュラーして一塁線に転がり、仁志はその間に三塁を陥れた。すると4回にツーベース、6回にレフト前、7回にライトスタンドにツーランと続けざまにヒットを放ち、史上50人目のサイクルヒットを達成した。
:
(3割-1)×2
:
99年には自己記録を大幅に更新する152安打を放ったが、4打数2安打なら3割に乗る最終戦で4打数1安打に終わり、惜しくも3割を逃した。翌00年にも1打数1安打か、4打数2安打で3割と言うケースで最終戦を迎え、最初の打席でヒットを放ち3割を超えたが、最多安打のタイトルを獲得するために出場を続け、またも4打数1安打で3割を逃した。またトップを守っていた最多安打も同年限りで引退するローズに逆転され初タイトルもならなかった。
:
日本一
:
王、長嶋のONシリーズとなった00年の日本シリーズでは優勝決定試合の第六戦で猛打賞を放つなど、25打数9安打で打率.360と活躍し優秀選手に輝いた。またダイエーが連勝して迎えた第三戦では2回表に自らのタイムリーなどで3点を先制したが、その裏に同点に追いつかれて、なおも二死二塁から村松が放った一二塁間を完璧に破りそうな打球をダイビングキャッチし、ライトに抜けたと思っていた二塁ランナーの柴原をホームで刺した。これで流れを変えた巨人はそこから4連勝で日本一に輝いた。
:
ゴールデングラブ
:
セカンドにコンバートされた直後は正面のノックも獲れないほど苦しみ、3年目まではサードでの起用もあったが、「自分の野球スタイルが確立した」という99年あたりになるとバッターごとに大幅に守備位置を変え、完全なヒットコースの打球を簡単にさばく的確なポジショニングをたびたび見せるなどコンバートからわずか3年で急成長、セカンドに転向後は10年連続でエラーが一桁という安定感もあって、99年から4年連続でゴールデングラブに選出された。
:
2番
:
01年は全140試合に出場し3年連続150安打となる163安打を放ち、自身初の20盗塁も記録した。だが翌年に就任した原監督の意向で2番を打った02年は左脇腹を痛め二度にわたって長期欠場、また本格的に始めたウエイト・トレーニングが合わなかったこともあって打率.244と精彩を欠き、入団以来続けていた100安打も6年連続でストップした。その一方で前年の松井 稼頭央に続く史上二人目の20盗塁以上で失敗なしを達成した。
:
1番
:
03年もどん底に沈み打率.246に終わったが、翌04年に就任した堀内監督が仁志を一番に据えると自身最多の176安打にリーグトップの106得点と輝きを取り戻した。また初めて右方向への打球なども意識し始めたにもかかわらず5月30日の横浜戦で吉見から先頭打者初球ホームランを放つなど、7本の先頭打者本塁打を含む28本塁打を記録した。
:
日本タイ記録
:
05年は4月16日のヤクルト戦で史上10人目の1試合5三振(延長戦無し)を記録するなど開幕から不調で交流戦では9番を打った。6月5日のソフトバンク戦で3打数3安打を放つと、6月8日のロッテ戦でも3打数3安打を放つなど一時は復調したが、故障などもあって打率.269に留まった。
:
横浜移籍
:
06年は再び監督に就任した原監督の構想から外れて64試合出場に終わった。原監督の3年間では769打数181安打で打率.235と相性が悪く不仲説も流れた。シーズン中からトレードを希望していた仁志は同年のオフに横浜へのトレードが決まった。入団会見ではプロ入り時に石井からバットを譲り受け、それを参考にしたバットを使い続けていることを明かし「これも運命だよね。その石井さんと一緒にやることになって」
:
28試合連続出塁
:
奇しくも古巣巨人との対戦となった開幕3連戦。開幕戦では仁志はヒットを打ったがチームは敗れた。悔しくて朝まで眠れなかったという仁志は翌日の第二戦で入れ違いで巨人に移籍した門倉からセンターオーバーのタイムリーツーベースを放ってお立ち台に上がった。これで勢いに乗った仁志は4月19日のヤクルト戦で4安打を記録するなどヒットを量産。4月にして前年を上回るヒット数を放ち、開幕から28試合連続出塁を記録した。仁志に引っぱられたチームは快進撃を続け5月3日には3年ぶりに首位に立った。
:
サヨナラヒット
:
7月13日ヤクルト戦。横浜打線は初回から3イニング連続で一死二塁というチャンスを作ったが、ヤクルト先発の館山の前に抑え込まれて先取点を上げることが出来ない。それどころか3つのエラーで横浜先発の三浦の足を引っぱってしまう。だが三浦が延長10回を2安打無失点という完璧なピッチングでヤクルト打線を抑え込むと、10回裏に二死二塁から仁志がレフト前にサヨナラタイムリーを放って試合を決めた。お立ち台に上がった仁志は「三浦のピッチングに比べたら、あんなサヨナラヒットなんて屁みたいなものですよ」
:
巨人戦でサヨナラヒット
:
後半戦は失速して打率.270に留まったが、高い守備力と勝負強い打撃で数字以上のインパクトを残した。翌08年も5月13日の巨人戦でサヨナラヒットを放つなど存在感を見せて打率は.265ながら27二塁打、11本塁打で59得点、50打点を記録した。
:
引退騒動
:
09年は開幕から19打席連続ノーヒットと絶不調に陥った。4月18日の阪神戦では1点差に追い上げた7回裏になおも二死二、三塁という場面で打席が回ってきたがアッチソンの前に空振り三振に倒れてしまうと、仁志は天を見上げてから、厳しい表情でバックスクリーンを見つめ続けた。9回裏の一死満塁でもサードゴロ併殺に倒れた仁志は21日に故障以外では3年ぶりとなる登録抹消となり翌22日には引退説が飛び交った。その後一軍に復帰したが打率.159に終わり、同年オフに戦力外通告を受けた。
:
引退
:
既に限界を感じていた仁志はやり残した事を求めて、翌年はアメリカに渡って独立リーグのランカスターでプレー。単純に全力で打って、守って、走ることが「野球をやっていた中でも飛びぬけて楽しかった」という仁志は充実した日々を送ったが6月に足を痛めて引退を決意した。引退後は解説者や日本代表の内野守備走塁コーチ、U-12日本代表監督を務めるなど精力的に活動中。
初記録
初出場
96年4月5日阪神戦
初安打
96年4月5日阪神戦:藪から
初本塁打
96年6月19日中日戦:今中から
初打点
96年5月25日広島戦:大野から
初盗塁
96年4月5日阪神戦:2回にニ盗
記録達成日
1500試合
08年7月25日広島戦
1000安打
04年5月2日広島戦:ベイルから
100本塁打
04年5月9日広島戦:ベイルから
1500安打
08年6月4日西武戦:岡本真から
150本塁打
08年7月17日広島戦:梅津から
その他の記録
サイクルヒット
99年6月25日広島戦
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
新人王
●
1回
ゴールデングラブ
●
●
●
●
4回
オールスター
●
●
●
●
●
5回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
96
巨人
114
403
70
109
15
2
7
149
24
17
5
9
2
37
2
58
2
11
.270
97
巨人
119
414
52
100
19
0
10
149
39
10
6
9
2
34
2
62
17
9
.242
98
巨人
106
424
76
116
15
1
11
166
33
17
10
6
2
45
2
65
6
8
.274
99
巨人
127
510
79
152
28
4
9
215
42
18
8
9
2
39
0
72
6
8
.298
00
巨人
135
560
81
167
30
1
20
259
58
11
19
4
3
41
3
89
6
4
.298
01
巨人
140
597
88
163
29
1
20
254
59
20
3
10
4
36
5
92
15
8
.273
02
巨人
103
369
47
90
19
2
8
137
42
22
0
6
2
20
2
60
8
8
.244
03
巨人
105
281
31
69
7
0
8
100
34
7
2
3
2
17
2
42
8
8
.246
04
巨人
137
608
106
176
27
1
28
289
60
3
10
3
1
35
1
93
9
5
.289
05
巨人
128
484
50
130
13
0
11
176
45
5
7
7
3
27
1
70
11
5
.269
06
巨人
64
119
13
22
4
1
1
31
7
1
1
4
1
12
1
21
4
2
.185
07
横浜
137
556
68
150
27
2
10
211
45
3
2
10
4
36
0
63
14
10
.270
08
横浜
121
476
59
126
27
1
11
188
50
1
3
34
2
22
1
63
12
5
.265
09
横浜
51
132
10
21
3
0
0
24
3
0
0
13
0
12
1
25
6
1
.159
球団
3年
309
1164
137
297
57
3
21
423
98
4
5
57
6
70
2
151
32
16
.255
通算
14年
1587
5933
830
1591
263
16
154
2348
541
135
76
127
30
412
23
875
124
92
.268
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
96
巨人
5
20
3
5
1
0
2
12
2
0
1
1
0
2
0
2
0
0
.250
00
巨人
6
25
4
9
3
0
0
12
3
1
0
0
0
3
0
2
0
0
.360
02
巨人
4
15
0
3
2
0
0
5
2
0
0
1
0
0
0
3
0
0
.200
通算
3年
15
60
7
17
6
0
2
29
7
1
1
2
0
5
0
7
0
0
.283
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
5回
11
23
3
8
1
0
0
9
3
3
0
0
0
3
0
2
1
0
.348
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
09
湘南
8
29
5
8
0
0
1
11
3
0
0
1
1
1
1
1
.276
通算
1年
8
29
5
8
0
0
1
11
3
0
0
1
1
1
1
1
.276
球団在籍時のみ