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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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斉藤 明夫
17
名前
さいとう あきお:(旧登録名:斉藤 明雄)
生年月日
1955年2月23日
経歴
花園高校−大阪商業大学−大洋
入団年
76年ドラフト1位
在籍年
77年−93年
背番号
77年−93年[17]
投打
右投げ右打ち
守備
投手
:
甲子園
:
中学時代までは注目されるような成績も残していなかったが、花園高校では72年の春の選抜で甲子園初出場。1回戦の専修大北上戦では6番センターで出場して4打数0安打3三振、バント失敗に盗塁失敗と散々な結果に終った。0対1で迎えた9回には一死ニ、三塁という一打逆転の場面で打席に入ったが三振に倒れ、花園高校は初戦で姿を消した。
:
エース
:
甲子園から帰ってからの斉藤は以前にも増して猛練習に励むようになり、毎日のように下半身をいじめ抜いた。その結果半年前に投手に転向したばかりで控え投手だった斉藤の球速は別人のように早くなり、夏の大会前にはエースナンバーを背負うまでになった。花園の清水監督は「天賦の才に恵まれなくても悲観するな、斉藤君だってそうだったんだ」と新入部員が入るたびに伝え続けた。
:
夏
:
夏の地区予選では3試合連続完封で順当に勝ち上がった。ベスト8の西京商では同年のドラフトで巨人に1位指名される中井 康之と投げ合い4対4のまま延長戦に入った。斉藤は10回、11回、12回とゼロに抑え続けるが、味方も得点を奪えない。そして延長16回表に二つのエラーで一死ニ、三塁のピンチを招くと最後はタイムリーを打たれて最後の夏は終った。卒業後は体育教師になろうと思い体育大への進学を考えていたが、大阪商業大の村上監督に誘われて野球を続けることを決意した。
:
大学選手権
:
大阪商業大の3年春に4勝0敗、防御率0.69を記録してリーグ初優勝に貢献。大学選手権では初戦で完封、第2回戦で7回までノーヒット・ノーラン、準決勝でも好投と無失点のまま決勝に進出。決勝戦でも中畑を初めとした強力打線を擁する駒澤大学を延長13回まで無失点に抑える驚異的なピッチングを続けたが、14回表に二死二塁からレフト線にタイムリーを打たれて連続イニング無失点が35イニングでストップした。試合はそのまま敗れて惜敗、斉藤は「気力で投げていたので、疲れは感じませんでした」と答えたが無念の準優勝に涙を流した。
:
大学選手権2
:
4年時には関西六大学リーグV2を達成して大学選手権に出場。4連勝で決勝に進出してが同年のみ採用された敗者復活制度で決勝にコマを進めた東海大と対戦。1対1で迎えた9回裏に二死二塁のピンチを背負うと、ベンチからは敬遠するサインが出たが、斉藤は首を振って勝負を選択。結果的にはサヨナラタイムリーを打たれて2年連続で準優勝に終わってしまった。
:
大洋入団
:
大学通算30勝を記録して76年のドラフト会議の当日は大学の記者会見場で行方を見守った。テレビを点けた時にはすでに4人目のドラフト1位が決まっていたが斉藤は気にも留めなかった。だが斉藤と共に大学三羽烏と言われた佐藤義則、森繁和らが続々とドラフト1位指名を受けているにもかかわらず一向に斉藤の指名がない。会見場が騒ぎ出す中で電話のベルが響いた。「斉藤君を1位指名しました」という大洋スカウトからの電話だった。斉藤はテレビを点ける直前の3番目のドラフト1位だった。
:
巨人キラー
:
大洋に入団した斉藤はオープン戦で衣笠の頭部に死球をぶつけても「四球を出すよりは良い」と大物ぶりを見せる。開幕しても5月8日の巨人戦で初勝利を記録すると同年に新人ながら8勝を記録した。しかも8勝中4勝が優勝した巨人からだった。中でも8月30日巨人戦ではハンク・アーロンの持つ世界記録にあと1本と迫った王貞治に日本中の視線が集まっている中、先発した斉藤は王にヒットは許したものの3打数1安打1四球と世界記録達成を許さず初完封勝利を記録した。この試合で斉藤の名前を強くアピールして同年の新人王を獲得した。
:
ハマスタ開幕戦
:
78年に開場した横浜スタジアムの公式戦の緒戦となった4月4日の巨人戦。別当監督は「新しい球場の誕生という意味で若い力とその度胸の良さにかけた」と、2日前の中日戦で代打の井上にサヨナラホームランを打たれたばかりの斉藤に先発投手の大役を任せた。斉藤は期待に応えて巨人打線を6安打に抑え込んで1失点完投。打線も苦手の小林繁を打ち込んで4対1で快勝した。
:
エース
:
78年には先発、リリーフと投げまくり16勝15敗4セーブ、リーグトップの12完投、241投球回を記録。162奪三振で奪三振王を獲得して遠藤に並ぶエースになった。翌79年は8月終了時点で6勝6敗にとどまっていたが、9月18日の巨人戦から10月15日の阪神戦まで5試合連続完投勝利を達成して2年連続二桁勝利を達成した。なお入団時にはメガネをかけていたが、初年度の5月にコンタクトに変え、4年目のキャンプからトレードマークになるヒゲをはやし始めた。
:
抑え転向
:
81年の途中からは抑えに転向、翌82年には56試合に登板して134.2回を投げ、5勝6敗30セーブ、防御率2.07を記録して最多セーブと最優秀防御率に輝いた。翌83年にも10勝8敗22セーブを記録して2年連続の最多セーブに輝いた。
:
オールスター
:
82年のオールスターでは7回から登板した斉藤が延長11回時間切れ引き分けに終わるまで5イニングを投げ抜いた。延長戦で3イニングまでの規定が無くなったため生まれた記録で、破られる可能性の極めて少ない日本記録。
:
先発復帰
:
88年には開幕直後に右ヒザの半月板を損傷し4月20日に登録抹消。一ヵ月後の5月24日に一軍復帰を果たしたが、新ストッパーの中山が好投を続けていたため中継ぎになり、その後先発に再転向。転向後の初戦である6月19日阪神戦で5回を3安打2四球で無失点に抑えて通算99回目の勝利投手になった。
:
100&100
:
7月3日の中日戦で先発転向後としては初めて横浜スタジアムのマウンドに上がった。初回に4点という大量援護を受けた斉藤は5回を7安打3失点に抑えてマウンドを降りると、中山の好リリーフもあって史上三人目の100勝100Sを達成した。
::
89年は7年ぶりに開幕投手を任されて7回3失点で見事に勝利投手。その後も自らタイムリーツーベースを放った5月4日中日戦で5年ぶりの完封勝利を達成するなど、開幕から一月間は4勝無敗と絶好調だったが、そこから3連敗を喫するなどシーズンを通しては8勝6敗、防御率3.22とまずまずの成績に留まった。
::
90年には自身6度目の二桁勝利となる10勝7敗を記録し7年ぶりのAクラス入りに貢献。92年は3勝8敗ながら37歳にして4完投を記録。6月25日の阪神戦では白星こそ付かなかったが9.1回を無失点に抑えて勝利に貢献するなど活躍、91.1回を投げて11四球という安定感も見せて防御率3.65を記録した。93年の横浜ベイスターズ初年度までプレーして引退、川崎時代に入団してベイスターズまでプレーした唯一の選手となった。引退後は投手コーチや解説者として活躍、98年には現役時代に味わえなかった優勝を投手コーチとして味わい、優勝目前には選手よりも興奮して周囲から制止されるほどだったとか。
チーム対戦成績
巨人
31勝35敗
阪神
30勝26敗
中日
25勝24敗
広島
12勝20敗
ヤクルト
30勝20敗
その他の記録
最多無四球
78年:3無四球試合
サヨナラ暴投
87年5月27日巨人戦
初記録
初登板
初勝利
77年5月8日巨人戦
初奪三振
初完投
初完封
記録達成日
100勝
88年7月3日中日戦
100セーブ
86年5月1日広島戦
1000奪三振
87年8月22日広島戦
500試合登板
88年6月7日中日戦
600試合登板
93年10月20日中日戦
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
新人王
●
1回
最優秀防御率
●
1回
最多奪三振
●
1回
最優秀救援
●
●
2回
オールスター
●
●
●
●
●
●
6回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
77
大洋
38
3
1
8
9
0
141.1
156
17
61
3
87
0
0
87
69
4.40
78
大洋
47
12
2
16
15
4
241.0
234
24
67
6
162
0
0
90
84
3.14
79
大洋
37
10
2
11
6
0
196.1
198
25
56
3
138
1
1
94
88
4.04
80
大洋
35
17
1
14
17
1
247.1
245
24
72
3
165
1
4
111
104
3.79
81
大洋
47
3
0
5
15
10
169.1
195
18
61
4
100
0
1
92
81
4.31
82
大洋
56
0
0
5
6
30
134.2
109
12
35
1
80
0
0
36
31
2.07
83
大洋
54
0
0
10
8
22
116.0
113
14
45
2
67
3
1
52
46
3.57
84
大洋
43
1
1
11
6
10
94.0
115
10
31
2
53
1
0
54
51
4.88
85
大洋
55
0
0
9
5
18
109.2
93
9
22
0
72
2
0
40
26
2.13
86
大洋
44
0
0
5
6
23
78.0
62
10
13
0
49
0
0
18
16
1.85
87
大洋
39
0
0
4
1
15
70.2
57
6
16
0
36
4
0
19
17
2.17
88
大洋
24
2
0
5
4
0
105.2
114
4
27
2
38
0
2
45
41
3.49
89
大洋
18
5
2
8
6
0
117.1
127
12
34
2
49
1
0
44
42
3.22
90
大洋
24
6
1
10
7
0
150.1
144
15
39
2
98
0
0
71
68
4.07
91
大洋
17
1
1
4
6
0
99.2
103
10
28
0
57
1
0
45
40
3.61
92
大洋
17
4
0
3
8
0
91.1
92
12
11
4
66
0
0
42
37
3.65
93
横浜
6
0
0
0
0
0
10.2
20
3
1
2
4
0
0
13
9
7.59
通算
17年
601
64
11
128
125
133
2173.1
2177
225
619
36
1321
14
9
953
850
3.52
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
77
大洋
38
49
0
4
0
0
0
4
2
0
1
3
0
1
0
16
1
3
.089
78
大洋
47
90
6
12
1
0
0
13
1
0
0
7
0
1
0
34
1
0
.146
79
大洋
37
73
9
10
1
0
0
11
5
0
0
7
0
5
0
30
1
1
.164
80
大洋
37
89
4
8
3
0
1
14
3
0
0
3
0
0
0
28
1
0
.093
81
大洋
47
53
2
5
1
1
0
8
1
0
0
2
1
1
0
18
2
2
.102
82
大洋
56
32
2
6
0
0
1
9
2
0
0
1
0
1
0
10
0
0
.200
83
大洋
54
30
1
4
0
0
0
4
2
0
0
4
1
1
0
5
2
0
.167
84
大洋
43
22
1
3
0
0
0
3
2
0
0
6
0
0
0
5
1
0
.188
85
大洋
55
20
1
3
0
0
0
3
2
0
0
1
0
1
0
6
0
1
.167
86
大洋
44
12
0
1
1
0
0
2
0
0
0
0
0
0
0
3
1
0
.083
87
大洋
39
11
0
1
0
0
0
1
2
0
0
1
0
0
0
4
0
1
.100
88
大洋
25
36
0
6
0
0
0
6
1
0
0
4
0
0
0
8
0
1
.188
89
大洋
18
43
0
6
1
0
0
7
5
0
0
0
0
0
0
13
1
1
.140
90
大洋
24
57
3
10
1
0
0
11
0
0
0
4
0
5
0
13
1
2
.208
91
大洋
19
35
1
5
1
0
0
6
1
0
0
4
0
1
0
7
0
1
.167
92
大洋
17
27
2
4
0
0
0
4
2
0
0
5
0
0
0
6
2
0
.182
93
大洋
6
3
0
1
1
0
0
2
1
0
0
1
0
0
0
1
0
0
.500
通算
17年
606
682
32
89
11
1
2
108
32
0
1
53
2
17
0
207
14
13
.146
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
6回
7
0
0
0
1
0
14.0
25
1
2
0
10
0
0
13
13
8.36
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
6回
7
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000