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監督
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大洋ホエールズ
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MLB記録
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内川 聖一
2
名前
うちかわ せいいち
生年月日
1982年8月4日
経歴
大分工高
校−横浜(00年D1位)−ソフトバンク−ヤクルト
入団年
00年ドラフト1位
在籍年
01年−10年
背番号
01年[25]:02年−10年[2]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
手術3回
:
父親は法政大のファーストとして六大学ベストナインにも選出された事がある内川 一寛。幼い頃から野球のとりこになり、サンタクロースへはボール1ダースをお願いするほど野球漬けの日々を送った。父が監督を務めていた大分工高校時代に進学すると、1年秋に骨に穴が開く「骨のうしゅ」を発症、左かかとを3度にわたって手術。2年秋に復帰し、3年夏には県大会決勝まで駒を進めるが、惜しくも敗れて甲子園には出場できなかった。だが実質1年余りで43本塁打という驚異的な数字を残した。
:
横浜入団
:
津田、前田、緒方らを発掘した広島の名スカウト村上 孝雄は内川の素材に惚れ込んでいた。そうそうに1位指名を決めて、本人からも好感触を受けていたが、実は内川の心は揺れていた。故障の影響で体力に自信のない内川は、12球団一厳しいと言われる広島の練習についていけるか不安だった。内川は広島に「指名されても困る」と入団拒否の意向を伝え、3年間後を見越したトレーニングメニューを提案した横浜に入団した。
:
嬉しい誤算
:
3年間はじっくり育てる予定だった内川だが初年度のオープン戦で具台晟からツーランを放つなどアピールして開幕一軍を勝ち取った。森監督が高卒ルーキーを開幕一軍に入れたのは86年の清原以来10年ぶりだった。2年目には早くも22安打を放つ活躍を見せ、中でも代打では25打数12安打、打率.480と無類の勝負強さを発揮した。
:
謎の故障
:
03年はキャンプで右目の視力が大幅に落ちたため開幕は湘南で向かえたが、5月18日に怪我の石井に代わって横浜に昇格。右目も回復した内川は16試合で66打数21安打、打率.318で10打点と大活躍してすっかりスタメンにも定着した。このままレギュラー獲得かと思われたが、またもアクシデントが内川を襲う。今度は右手の握力がボールを握れないほどにまで低下し、、6月13日に登録抹消となった。
:
アゴよさらば
:
03年、内川を苦しめた故障の原因は、なんとトレードマークのアゴにあった。内川のアゴは右に曲がっており、その骨格のズレが、けい椎の神経を圧迫し、右目と右手に影響を与えていた。03年オフの契約交渉で球団社長は「骨を削って治してほしい」と年棒にプチ整形代を上乗せした。
:
アゴは死なず
:
一度はアゴと別れる決意を決めた内川だったが、やはり長年連れ添ってきたアゴと別れることなど出来るはずも無かった。内川はアゴを削る代わりにプチ整形代を使ってかみ合わなかった奥歯を矯正した。
:
巨人戦として球団初
:
04年5月18日巨人戦、この日内川は初回に木佐貫から同点ホームランを放つと、3回にも木佐貫から2打席連続ホームラン、そしてなんと4回にはチームとしては80年の田代以来となる3打席連続ホームランを放ち、一躍全国に名を知らしめた。内川はベンチ前で出迎える選手たちの手に、ハイタッチならぬ「アゴタッチ」で応えた。
:
代打逆転弾
:
05年9月11日ヤクルト戦。試合は先発の吉見がリグスのスリーランで先制されると、打球を受けて降板する苦しい展開だったが、2回から加藤武が4イニングを無失点に抑えると、6回からは木塚が何とか凌いで試合を作る。すると6回までヤクルト藤井の前に2安打に抑え込まれていた打線が、7回裏に佐伯、多村、種田の3連打などで2点を返し1点差とすると、代打内川が「変化球が来る」と狙っていたスライダーをレフトスタンドに運んで、防御率で三浦と争っていた藤井をノックアウトした。
:
イップス
:
06年には自身初の100試合出場を果たし、115安打で打率.286と活躍したが、イップスによる送球難からセカンドのレギュラーを掴み切れなかった。07年は外野手に転向したが開幕から打撃不振で二軍落ちを味わった。だが8月9日に一軍復帰を果たすと同日のヤクルト戦でいきなり3安打5打点を記録。翌日からもヒットを連発して月間30安打で打率.448という凄まじい成績を残した。だが同年は92試合出場で打率.279と期待されたレギュラー取りは果たせなかった。
:転機:
08年に就任した杉村コーチにそれまで自信を持っていた前で泳ぎながら変化球を打てる部分を「それがオマエの一番悪い形だ」と指摘されて打撃スタイルを変更、手元までボールを引き付けて右方向への打つ技術に磨きをかけた。また前年からチームメイトとなったベテランの仁志に何度も助言を求めて、内川自身が「仁志さんの犬みたいなものでした」と語るほど心酔し、メンタル面でも大きく変わるきっかけとなった。
:
オールスターで5打席連続ヒット
:
08年は開幕はベンチで迎えたが代打で打率4割を超える活躍を見せて4月下旬からファーストのレギュラーを掴む。その後も徹底した右打ちでヒットを連発して6月8日には規定打席に乗って打率.399で打率首位に躍り出た。その後は多少数字を落として前半戦を打率.357で折り返したが、初選出されたオールスターの第一戦でタイムリーを放つと、横浜スタジアムで行なわれた第二戦では4安打を放って前日から5打席連続ヒットを記録した。
:
右打者最高打率
:
オールスター明けの8月6日の巨人戦で2本塁打を含む3安打を放って勝利に貢献すると、28日の巨人戦で4安打、翌日のヤクルト戦で7打席連続安打となる3安打と快打を量産して月間打率.449で月間MVPを受賞した。9月に入っても打率を下げるどころか押し上げて右打者最高打率となる.378で初の首位打者を獲得。出塁率も.416で球団史上二人目の最高出塁率。189安打で最多安打という三冠に輝いた。また打率.378とシーズン複数安打60試合は球団記録となった。
:
WBC
:
09年に行なわれた第2回WBCでは宮崎キャンプでイチローに「詰まってヒットを打つって本当ですか?」と質問すると「ホントだよ」と言われたことで自身のバッティングに自信を深めた。大会では第1ラウンドゲーム4の韓国戦では初回に三塁線を抜く2点タイムリーツーベース、第2ラウンド決勝の韓国戦では同点ソロと活躍。そしてWBC決勝の韓国戦では同点に追いつかれた直後のレフト線へのヒットをスラィディングしてワンバウンドキャッチし、素早く二塁に送球して見事にアウトにして流れを止めると、延長10回表には先頭打者として詰まったライト前ヒットで出塁し、イチローのセンター前ヒットで決勝点のホームを踏んだ。
:
2年連続首位打者ならず
:
09年シーズンは8月7日に村田が左足を痛めて離脱すると、翌日の中日戦では攻守で活躍し、延長11回裏にサヨナラヒットを放って試合を決めた。同8月には打率.365、17打点を記録するなど後半戦に数字を上げて、9月下旬に一時的に打率1位にも立ったが、最終的にはラミレスに破れてリーグ2位の打率.318に終わった。
:
ソフトバンク移籍
:
10年は6月15日のソフトバンク戦で9連敗とどん底に沈むチームを救う先制のグランドスラムを放って連敗をストップさせた。同年には全試合に出場して3年連続3割となるチームトップの打率.315を記録したが、チームは3年連続で勝率3割台中盤の断トツ最下位に終わり、同年のオフにFAでソフトバンクに移籍した。また移籍の際に「出て行く喜びを感じられます」と発言したことが横浜ファンの反感を買うことになった。
:
月間MVP、交流戦MVP
:
移籍初年度にはいきなり4月に打率.397を記録して月間MVPという絶好のスタートを切ってチームを引っ張った。交流戦最終カードの横浜戦ではハマスタを埋めた横浜ファンから激しいブーイングを受けたが、2試合で9打数5安打を放ち最終戦でソロを放った際には何度もガッツポーズを見せた。交流戦で18勝4敗1分という圧倒的な成績の立役者となった内川は交流戦MVPに選出された。
:
MVP
:
交流戦明けからは足の故障で1か月間チームを離れたが、復帰後もヒットを量産して打率.338で自身2度目の首位打者に輝きリーグ優勝に大きく貢献した。優勝決定試合となった10月1日の西武戦では9回途中から涙を流し、チームメイトから胴上げされるサプライズを受けた。またMVP投票では半数以上の1位票を集めてMVPに選出され、クライマックスシリーズでも11打数5安打でMVP、選手会が実施した「選手が選ぶMVP」などMVP尽くしの一年となった。日本シリーズでは3勝3敗で迎えた最終戦でタイムリーを放ってチームの日本一に貢献した。
:
スランプからの復活
:
12年は6月に月間打率.128という大スランプに陥り、一時は打率が250台にまで低迷した。焦りかららしくない三遊間への内野ゴロを量産してオールスターを迎えても打率.266で3本塁打という成績に留まっていたが、8月になって大幅に状態を上げると、8月19日には右手薬指を剥離骨折したが強行出場を続けて月間打率.400を記録、9月も打率.386をマークして5年連続の打率3割と自身2度目の最多安打を手中に入れた。だがチームは3位に終わり、クライマックスリーズでは敗戦に繋がる落球も記録してしまうなど悔しさも残る一年となった。
:
WBCで涙
:
13年には春先のWBCで23打数8安打(打率.348)を記録したが、準決勝のプエルトリコ戦で2点を追う8回裏の一死一、二塁で一走の内川がスタートを切ったが二走の井端はスタートを切らず、結果として内川が一二塁間で挟まれてアウトとなった。唯一の好機を逃した日本はWBC3連覇を逃す形となり、敗戦の責任を背負い込んだ内川はベンチで号泣した。シーズンでは4月29日のロッテ戦でドラフト同期の吉見から100号本塁打、5月17日の中日戦からの3試合で14打数12安打で8打点を記録、夏場には肋骨を亀裂骨折したが全144試合に出場して打率.316、19本塁打、92打点という好成績を残した。
:
7年連続3割
:
14年には開幕戦で4安打を放つと、第4戦まで複数安打を重ねて、4月10日からの5試合では13安打を積み上げるなど開幕から一か月間打率4割越えを記録、5月下旬から臀部の肉離れで一か月間戦列を離れたが、7月11日の日本ハム戦でボテボテのショートゴロ内野安打で苦笑いの1500安打を達成、同7月に33安打、20打点を記録して月間MVPに選出されるなどチームの首位浮上に貢献、終盤には成績を落としたが打率.307(右打者としては落合に並ぶ史上1位の7年連続3割)、18本塁打、74打点を記録。日本シリーズでも2試合で先制打を放つ活躍で日本シリーズMVPに選出された。
:
4番キャプテン
:
15年は新監督に就任した工藤監督から秋山、小久保という偉大な大先輩に続く3代目の主将と4番打者を任された。重責を担いながら7月までは打率3割をキープしたが、8月には21打数連続ノーヒットを記録し、猛練習を行った際に脱水症となり、その後にわき腹痛と苦しみ月間打率.174と低迷した。だが工藤監督から「お前のチームだと思ってやってくれ」とまで言われて迷いが吹っ切れ、9月には11試合で複数安打を記録。最終打率は.284と連続シーズン3割が7年連続でストップしたが、黄金期を迎えたチームは圧倒的な力でリーグ制覇を達成、優勝決定試合となった9月17日の西武戦では最後まで責任を全うした安心感から9回表の守備から涙を流した。
:
CSでMVPも
:
CSではファイナル・ステージ第1戦の守備でフェンスに激突したが激痛が残る中で強行出場を続けて延長10回裏にサヨナラヒット、第2戦でも6回裏に勝ち越しタイムリーツーベース、第3戦では3回裏に決勝打となる先制タイムリーと3試合連続で決勝打を放って日本シリーズ進出の立役者になった。CS後の検査で肋骨骨折が判明して日本シリーズは欠場となったが、初戦でお立ち台に上がった松田が「内川さん見てましたかぁ!」と絶叫するなど一つにまとまったチームは2年連続の日本一に輝いた。
:
106打点
:
16年には開幕直後の4月14日に震度7の熊本地震が発生、翌日の楽天戦で決勝弾を放った内川はお立ち台で涙を逃した。6月には11日の巨人戦で満塁弾を含む2本塁打、29日のロッテ戦で4安打、翌日には3安打を放つなど月間打率.341で25打点を記録、夏場には数字を落としたが、9月に11日の西武戦でスリーランを含む4打点、次戦では5安打3打点を記録するなど月間打率.347で26打点と大幅に数字を上積みして自身8度目の3割と自己最多となる106打点という好成績を残した。だがチームは日本ハムに逆転優勝を許して3連覇はならなかった。
:
故障
:
17年には4年前の雪辱を期したWBCに出場、第2ラウンド初戦のオランダ戦で6対6で迎えた10回表一死一塁でレフト線へツーベース、第2ラウンド第2戦のキューバ戦では5対5の同点で迎えた8回裏一死一、三塁で犠牲フライを放つなど代打の切り札として活躍した。シーズンに入っても開幕から高打率をキープし5月終了時点で打率.335、11本塁打、42打点と三冠レースですべて上位につけていたが6月2日に古巣ハマスタでの横浜戦で空振りした際に首を痛めて戦線離脱、、一か月後に復帰すると球宴では第1戦で勝ち越し打を含む2安打を放ってMVPに選出されたが、7月23日ロッテ戦の守備で左手親指を骨折して同年は73試合出場に留まった。
:
横浜との日本シリーズ
:
シーズン終盤に一軍へ合流すると楽天とのCSファイナルでは初戦でソロ、第2戦で同点ソロ、第3戦で逆転スリーラン、第4戦で同点ソロとCS史上初の同一ステージでの4戦連発を記録した。古巣横浜との日本シリーズではブーイングも覚悟していたハマスタでの第3戦で試合前に横浜ファンから温かい拍手が送られて内川は帽子を取って応えた。同3戦で先制打を含む2安打、第5戦で3安打を放って古巣を苦しめると、横浜の盛り返しで2勝3敗となり第6戦も9回表までリードを許す展開となったが、9回裏一死から山崎康が投じた渾身のツーシームをはじき返すと、打球は横浜ファンで埋まったレフトスタンドに飛び込む起死回生の同点弾となって内川は何度もガッツポーズを見せた。延長戦の末に競り勝って日本一を決めると試合後の優勝監督インタビューで工藤監督から「内川キャプテン!」と呼び寄せられて、監督から「最高の男です」と称えられた。
:
横浜への思い
:
シリーズ前の共同インタビューでは余計な意識が入らないように古巣との対決を「どうでもいい」と発言して反感を買ったが、シリーズ後には自宅のショーケースに横浜のユニホームや帽子などを飾っていることを明かした上で今の横浜の選手たちに「僕が横浜にいたときにはできなかった、ファンに日本一を夢見るチャンスをつくってくれて感謝している。だからこそ思う。次は互いにリーグ優勝して、もう一度日本シリーズで戦いたい。そのときは僕の中でもまた、新たな感情が生まれるのではないかという期待があるから」と語った。
:
2000安打
:
2000安打まであと25本でスタートした18年は打撃不振に苦しみ、4月18日には右ひざに死球を受けて途中交代、強行出場を続けて5月5日のオリックス戦で1999安打を放ったが、そこから15打席連続ノーヒットと足踏み、ホーム3連戦最後の西武戦では9回二死から3人のバッターが繋いで内川に打席を回して大歓声が上がったが、ライトフライに倒れて地元での達成はならなかった。5月9日の西武戦の第3打席でショートゴロに倒れてこの時点で打率が.200まで落ち込んだが、第4打席にセカンドの頭上を越えるらしいヒットで史上51人目の2000安打を達成、内川は「やっとやっと打てた。しんどかった」と率直に語った。なお1800試合での到達は史上9位で右打者としてはラミレス、長嶋に次ぐスピード記録だった。
:
CSで復帰
:
5月15日には自打球で右足のくるぶしを負傷、右ひざの状態も思わしくなく登録抹消となった。6月16日に復帰すると同日の広島戦でツーランを含む2安打を放ったが、なかなか打撃の状態は上がらず6月30日にスタメン落ち、8月16日に疲労性の体調不良で抹消となると、9月中旬に二軍戦で復帰したが右肩痛を発症してそのままシーズンを終えることになった。だが若手に交じってフェニックスリーグで調整を行ってCSに間に合わせると、ファイナル第4戦では2点タイムリーを放ってCS通算47安打26打点となりCS記録を更新するなど11打数5安打で打率.455という勝負強さを見せた。日本シリーズでは初戦で受けた死球の影響もあってか17打数2安打と苦しんだが、第5戦で2988日ぶりの送りバントを決めると、日本一を決めた第6戦でも先制に繋がる犠打を成功させた。
:
19年目の初受賞
:
19年は開幕から絶不調に苦しみ4月22日のオリックス戦で決勝ソロを放ってお立ち台に上がった際には瞳を潤ませながら「この時間が一生続けばいいのに、と思いますね」と語った。6月15日の横浜戦でも勝ち越しソロを放ってお立ち台に上がり(横浜は史上初の5000敗)、20日のヤクルト戦では2本塁打を含む4安打と復調気配は見せたが打率.250前後から抜け出せず137試合に出場したが打率.256に留まった。だがプレーオフではCSファースト初戦で勝ち越し弾、第2戦で好守、第3戦で決勝ソロ、ファイナルでは初戦で代打送られる屈辱を味わいベンチで苦笑いを見せたが、第2戦ではファールフライをフェンスにぶつかりながら好捕するなど日本シリーズ進出に貢献した。またリーグ初の一塁手守備率10割を達成して史上最も遅い19年目のゴールデングラブ初受賞となった。
:
ヤクルト移籍
:
20年は17年ぶりに開幕を2軍で迎えると、ウエスタンリーグで打率.327を記録したにもかかわらず戦力構想から外れて1軍昇格のチャンスすら与えられず退団した。12月11日に恩師の杉浦繁が打撃コーチを務めるヤクルトへの入団が発表された。
:
サヨナラヒット
:
21年には開幕戦に5番ファーストで出場、2安打2併殺というらしい幕開けとなった。3月30日の横浜戦ではハマスタの横浜ファンからも拍手を上がる中で逆転につながるタイムリーを含む2安打を放った。上々のスタートとなったが翌日にコロナウイルスの濃厚接触者の疑いで抹消となり、復帰後は来日が遅れていた外国人選手が合流した事でスタメンの座を失った。7月9日の広島戦では同点に追いついた9回裏一死満塁で代打起用されてしぶとくセンター前に落としてサヨナラ勝利、内川は両手を突き上げて喜びを表現した。チームは28年ぶりの8連勝となり同年の優勝に向けて勢いづける大きな1ピースとなった。
:
引退発表
:
22年はイースタンリーグで打率.333を記録してチャンスを待つと、コロナウイルスの影響で1軍選手が大量離脱した7月に1軍へ昇格して3番レフトでスタメン出場、試合前の声出しも任されて「何を言っていいのかわからないくらい正直、緊張しています。でも昨日と同じように絶対に躍動するんだという気持ちで頑張りましょう」と士気を高めた。同年の初打席となった初回の一死一塁でライト線にツーベースを放って右手を握るガッツポーズを見せた。7月21日に抹消となり、9月28日にNPB選手としての現役引退を発表した。
:
引退試合
:
10月3日に行われた古巣の横浜戦が引退試合となり、第2打席で坂本からレフト線にツーベースを放って2186安打目を記録、打った瞬間に大きなガッツポーズを見せて二塁ベースに到達すると大きな目を潤ませた。4回表の守備に就いてから交代を告げられてチームメイトらに祝福されながらグラウンドを後にした。試合後に行われたセレモニー後の場内一周では横浜ファンが待つレフトスタンドに差し掛かると両手で顔を覆って号泣、涙をぬぐいながら大きく手を振って感謝を表した。
::
NPB引退の翌年は九州アジアリーグに所属する地元の大分B-リングスでプレー。同年の9月に現役引退を発表した。
初記録
初出場
01年3月30日ヤ:9回に代走
初安打
02年4月24日中:ギャラードから
初本塁打
02年7月7日中:山井から
初打点
02年6月19日巨:7回に高橋尚から
初盗塁
03年6月8日巨:3回に二盗
記録達成日
1000安打
11年6月9日巨人戦:東野から
1500安打
14年7月11日日本ハム戦:浦野から
2000安打
18年5月9日西武戦:武隈から
100本塁打
13年4月29日ロッテ戦:吉見から
2000試合
2021年7月6日阪神戦
記録達成日
月間MVP
08年8月、11年4月、13年8月
14年7月、16年9月
オールスターMVP
13年第3戦、17年第1戦
日本シリーズMVP
14年
交流戦MVP
11年
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
MVP
●
1回
首位打者
●
●
2回
最多安打
●
●
2回
最高出塁率
●
1回
ベストナイン
●
●
●
●
●
5回
ゴールデングラブ
●
1回
オールスター
●
●
●
●
●
●
6回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
01
横浜
3
2
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
02
横浜
42
66
11
22
4
1
2
34
7
0
0
3
0
4
0
13
1
1
.333
03
横浜
45
150
20
47
5
0
4
64
18
4
4
6
0
5
0
13
1
9
.313
04
横浜
94
338
55
97
11
1
17
161
45
2
7
12
1
18
0
42
7
12
.287
05
横浜
90
234
33
64
11
0
5
90
23
1
1
6
1
19
2
36
10
2
.274
06
横浜
124
402
41
115
15
2
4
146
34
8
3
7
3
22
5
64
9
11
.286
07
横浜
92
247
24
69
17
3
7
113
29
3
4
4
1
16
6
37
9
2
.279
08
横浜
135
500
83
189
37
1
14
270
67
2
3
5
4
31
4
49
7
5
.378
09
横浜
132
503
65
160
32
2
17
247
66
1
5
2
4
42
1
56
16
3
.318
10
横浜
144
577
75
182
36
4
9
253
66
1
2
3
4
47
6
51
17
4
.315
11
ソフトバンク
114
429
48
145
21
3
12
208
74
4
0
0
7
25
2
48
3
0
.338
12
ソフトバンク
138
523
44
157
21
3
7
205
53
6
4
0
7
31
6
36
12
1
.300
13
ソフトバンク
144
570
76
180
33
1
19
272
92
1
0
0
5
46
12
47
23
0
.316
14
ソフトバンク
122
488
50
150
26
1
18
232
74
0
0
0
7
34
5
48
5
0
.307
15
ソフトバンク
136
529
60
150
24
1
11
209
82
1
0
0
7
45
4
55
24
3
.284
16
ソフトバンク
141
556
62
169
19
0
18
242
106
3
2
0
9
38
2
53
27
6
.304
17
ソフトバンク
73
266
31
79
13
0
12
128
50
0
1
0
2
32
0
26
9
2
.297
18
ソフトバンク
71
281
27
68
11
0
8
103
30
1
1
0
3
9
3
32
6
3
.242
19
ソフトバンク
137
500
49
128
21
0
12
185
41
3
0
1
4
28
2
49
16
0
.256
21
ヤクルト
38
53
3
11
1
0
0
12
2
0
0
0
0
2
1
12
3
1
.208
22
ヤクルト
7
16
2
4
2
0
0
6
1
0
0
0
0
1
0
2
0
0
.250
球団
10年
901
3019
408
945
168
14
79
1378
355
22
29
48
18
204
24
361
77
49
.313
通算
21年
2022
7230
860
2186
360
23
196
3180
960
41
37
49
69
495
61
769
205
65
.302
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
11
ソフトバンク
7
30
1
7
0
0
0
7
2
0
0
0
0
0
0
3
0
0
.233
14
ソフトバンク
5
20
0
7
2
0
0
9
3
0
0
0
0
2
0
2
0
0
.350
17
ソフトバンク
6
22
2
7
2
0
1
12
3
0
0
0
0
4
0
2
0
0
.318
18
ソフトバンク
5
17
0
2
0
0
0
2
0
0
0
2
0
1
1
2
0
0
.118
19
ソフトバンク
4
11
1
2
1
0
0
3
0
0
0
2
0
0
0
0
1
0
.182
21
ヤクルト
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
0
.000
通算
6年
29
102
4
25
5
0
1
33
8
0
0
4
0
7
1
10
2
0
.245
クライマックスシリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
11
ソフトバンク
3
11
0
5
2
1
0
9
3
0
0
0
0
2
0
0
0
0
.455
12
ソフトバンク
6
22
1
9
2
0
0
11
2
0
0
0
0
2
0
3
0
1
.409
14
ソフトバンク
6
26
4
7
0
0
2
13
4
0
0
0
0
1
0
5
2
0
.269
15
ソフトバンク
3
12
2
5
1
0
0
6
4
0
0
0
0
0
1
0
0
0
.417
16
ソフトバンク
7
25
4
9
2
0
1
14
3
0
0
0
0
3
0
2
1
0
.360
17
ソフトバンク
5
18
5
7
0
0
4
19
7
0
0
0
1
1
0
3
1
0
.389
18
ソフトバンク
5
11
2
5
0
0
1
8
3
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.455
19
ソフトバンク
7
26
4
7
0
0
2
13
5
1
0
1
0
1
0
6
0
1
.269
21
ヤクルト
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
9年
43
152
22
54
7
1
10
93
31
1
0
1
1
10
1
20
4
2
.355
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
6回
14
28
5
13
3
0
0
16
9
0
0
0
0
0
0
1
2
0
.464
WBC打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
09
日本
6
18
3
6
1
0
1
10
4
0
1
0
0
2
0
1
1
0
.333
13
日本
6
23
4
8
0
1
1
13
4
1
2
0
0
1
1
3
1
0
.348
17
日本
6
8
1
3
2
0
0
5
3
0
0
0
1
2
0
1
0
0
.375
通算
3年
18
49
8
17
3
1
2
28
11
1
3
0
1
5
1
5
2
0
.347
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
01
湘南
89
286
34
69
16
1
2
93
31
6
2
0
52
30
11
5
.241
02
湘南
38
112
9
25
2
0
1
30
9
0
5
0
12
17
4
5
.223
03
湘南
43
155
28
34
4
1
4
52
12
7
2
0
16
17
2
4
.245
04
湘南
3
11
0
5
1
0
0
6
1
0
0
1
0
1
0
3
.455
05
湘南
1
3
0
1
0
0
0
1
1
0
0
0
1
0
0
0
.333
07
湘南
19
75
12
27
4
0
2
37
10
0
0
2
8
4
0
0
.360
11
ソフトバンク
1
4
0
1
0
0
0
1
1
0
0
0
0
2
0
0
.250
17
ソフトバンク
5
16
1
4
1
0
0
5
1
0
0
0
0
2
0
0
.250
18
ソフトバンク
6
15
2
3
0
0
2
9
2
0
0
0
0
1
0
0
.200
20
ソフトバンク
42
98
8
32
6
0
1
41
17
0
0
4
17
9
1
1
.327
21
ヤクルト
13
34
1
4
1
0
0
5
1
0
0
0
2
3
2
0
.118
22
ヤクルト
60
173
18
58
10
0
4
80
31
0
0
3
23
24
7
1
.335
通算
12年
320
982
113
263
45
2
16
360
117
13
9
10
131
110
27
19
.253