:新浦争奪戦:
1968年にドラフト制度の穴をつく事件が起こった、渦中の人は、その後大洋でも活躍した新浦
壽夫である。
68年の夏、新浦は1年生エースとして甲子園で53イニングを投げ防御率0.34、40奪三振を記録し、静岡商を準優勝に導いた、当然のごとくスカウトの目が集中したが、まだ一年生であり、本来であればドラフトは2年先の話である。だが今回は多少事情が違った、新浦は1年生といっても、定時制から全日制に再入学しており、高校野球でプレーできるのは2年生までであることと、新浦が韓国籍であることだっだ。
前年に大洋に入団した安田が、後で韓国籍と分かり外国人選手扱いとなり、外人枠の関係で選手登録できなかった事からも分かるように、韓国籍の選手は外国人扱いとなり、ドラフトの対象外になるはずで、もし新浦が退学すれば、2年後のドラフトを待たずに新浦を獲得できることになる。
こうした背景から、新浦の獲得をめぐって国内ばかりかメジャーリーグを巻き込んだ大争奪戦が始まった、サンフランシスコジャイアンツのスカウトが「大リーグで育てたい」と発言し、大洋を含む国内6球団が新浦獲得に参戦、まずは巨人が1500万円を提示し、東映が2000万円を提示した、その後巨人は1800万円、広島が2200万円、中日が2000万円、東映が手取りで2000万円を提示した。
まずは「パには行きたくない」ということで、東映と西鉄が脱落し、さらに中日、大洋も消え、残るは巨人と広島となった、金額や、育成面からも広島有利といわれたが、新浦は巨人を選択した、メジャーリーグへの野球留学が決め手になったと言われている。
巨人は新浦に続き、同じく韓国籍の松原を口説き落とし、二人をドラフト外で獲得。新浦は巨人で活躍し、その後韓国の三星や、大洋でも活躍し、日本で通算116勝を挙げた。松原は巨人では活躍でき無かったが、南海に移籍後、野村監督のもとで花開き、通算91勝を挙げた。
前年の大洋の安田から、新浦、松原と問題が続いたことで、規約が改正され「日本の中学校、高等学校、大学に在籍したことがある選手」はドラフト会議にかけなければいけなくなった。
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